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上井草まつりの章_8-5

 起きた。まだ昼間だった。


 窓の外を見る。回転を続ける大きな風車が見えた。三枚の大きな羽根がぐるぐる。


 まつりが付けた名は「のむら」らしい。


 ぐるぐる。


 風車は、それが当り前であるかのように回転していた。


 俺はガラッと窓を開ける。すると、強い風が入ってきて、カーテンを激しく揺らした。


 少々の喉の渇きを感じつつも、俺は風車に向かって話しかけた。ちょいとかすれ気味の声で、


「のむらー、元気かー」


 風車のむらは、キィキィと音を立てた。


 おそらく「元気ですぜ」ということだろうと判断して、俺は二度ほど頷いて見せる。


「何バカなことやってんだ、俺は……」


 なんだか、まつりの拳が恋しい。ぶっ飛ばされたい。そんな風に思った後に、大きく首を振った。


「何考えてんだ、俺! 大丈夫か!」


 ドMな思考を嘆きたい。


「はぁ……」


 溜息。


 まつりは大丈夫だろうか。俺がいなくて寂しくないかな。まつり。


 一人でいると、どうしてもまつりのことばかり考えてしまう。


 顔が浮かんでは消えたりして、これは恋。そう、恋。恋以外の何者でもないね。だけど、


「結婚かぁ、本当に結婚することになんのかなぁ……」


 何だかモヤモヤしたものも、胸の中にある。


「はぁ……」


 二度目の溜息を吐いた時、


「――マリッジブルー?」


 背後から声がした。振り返ると、ショートカットの娘の姿。伊勢崎志夏だった。


「よう、志夏。どうした?」


「誰か居るかなって思って」


「そうか」


「こんな所でサボってて平気? 上井草さんに怒られない?」


「いや、むしろ邪魔者扱いされて追い出された」


「え? 風車を解体するんじゃなかったの?」


「いや、それは国民の皆様に迷惑がかかるからな。やめさせた」


「そう」


「で、代わりに、この街への電力の供給だけをストップするって話だ」


「なるほどね。それで風車の制御室に行ったってことか」


「まぁ、そういうことだな」


「それで、どう? はかどってる?」


「よくわからんけど、たぶんな。行って見てくればわかる。俺はあの空間では確かに役に立てないと」


「そうなんだ。でも見に行くのは遠慮しておくわ。地下は苦手なのよ」


「そうか」


「そうなの」


「ところで。志夏の方こそ、忙しいんじゃないのか?」


 と、その時だった。ぐるぐるーっと志夏のお腹が鳴いた。そして、志夏は自分のお腹を指差して、「ね?」とか言って笑った。ゴハン休憩といったところだろう。


「そういや俺も、腹減ったし喉も渇いた」


「お昼の時間だからね。一緒に食べない?」


「でも、一人分を二人で分けるとなると――」


「大丈夫。二人分持って来たから」


「そ、そうか。じゃあ頂こうかな」


「ええ。遠慮したら殺すぞ」


 え、殺す……だと?


「えっと、志夏さん? 今何て……?」


「上井草さんの真似。似てた?」


 ああ、なんだ。モノマネか。


「いや、あいつはもっとこわいからな。志夏には全く殺気が足りないぜ」


「そうね。で、ハイ、これ」


 志夏は言って、弁当箱を差し出して来た。


「お、おう」


 受け取る。


「志夏が作ったのか?」


「いや、笠原さん」


 俺はその名を聞いて、「ほう、そうか」とか言いながら頷いた。


 笠原みどりの弁当なら、美味い気がするな。イメージ的に。


 弁当箱を開けてみた。


 彩り豊かなステキ弁当。


 これは、さすが。みどりらしいな。


「今頃、上井草さんにもお弁当を届けに行ってるはずよ」


「そうか、大変そうだな」


「そうね……大変だろうね」


「じゃ、いただきます」


 俺は言って箸を取り、まずは玉子焼きに箸をつけた。


「…………」


 無言でじっと見つめる志夏。


 もぐもぐ……。


 これは……。


 もぐもぐ……。


 予想外に……。


 そして何とか飲み込む。


「どう? 味は」


「志夏、聞き忘れたんだけどさ、みどりって、料理上手なの?」


「要するに、そういう味なのね」


 いやぁ、見かけによらずひどい味だった。


「これを美味しいなどと言ったら、弁当料理という文化に対する冒涜になるぞ」


「ね。気持ちはうれしいんだけど、ね。ちょっとね。見た目は綺麗なのにね」


「拷問道具に使えるぞ、これ」


「あ、笠原さんが聞いたら泣いちゃうわよ?」


「いやいや、こんなもん食わされた俺が泣きそうだよ」


 俺は箸を置いた。


「笠原さん、短気な上井草さんに悪戯されていないといいけど……」


 弁当が不味すぎてか。あり得る話だ。だが、


「それは、大丈夫だろ。まつりが『もうモイストしない』って言ってたからな」


「へぇ、信じてるんだ」


「ああ。好きだからな」


 本当に。本当に。いつの間にか、こんなにも好きになってた。


「ところで……」


 と志夏は言って、スカートのポケットをゴソゴソとまさぐり、何かを取り出した。


「な、なにぃ! それは……」


 憎きペン型のボイスレコーダー!


『これを美味しいなどと言ったら、弁当料理という文化に対する冒涜になるぞ』俺の声!

『拷問道具に使えるぞ、これ』俺。

『あ、笠原さんが聞いたら泣いちゃうわよ?』志夏。

『いやいや、こんなもん食わされた俺が泣きそうだよ』俺。


 ばっちり録音されていた。


「どう?」


「どうもこうも、何で録音してるんすか」


 やめてくれ、頼むから。


「いや、笠原さんがね、お弁当の感想が欲しいって言ってたから、そこで私が録音しとくわって言ってあげたのよ」


「過ぎるくらいなお節介っすね」


「結果的に余計になっちゃったわね。これじゃあ、ちょっと可哀想」


「よし、わかった志夏。そういうことなら、俺がみどり用に素敵ヴォイスを録音してやろうではないか!」


 そうすれば、みどりが悲しまないで済む。善行だぜ。


「達矢くん。要するに、嘘を吐くってことね!」


「まぁ、そうだが、それが優しさというものだ」


「そうかしら。本当のことを教えてあげた方が良いこともあるんじゃない?」


「いいか、志夏。俺はな……女の子を悲しませたくないんだよ」


「つまり、笠原さんのためってこと?」


「まぁな」


「はいはい。じゃあ録音してあげるから、はい、どうぞ」


 志夏は言って、ペン型のソレを俺に向けた。


 俺はゲフンと咳払いをした後、


「美味しかったぞ、みどり」


「……それだけ?」


「ああ。『美味しい』という一言が、どれだけ作った人を安心させるか。それはとてもとても重要で美しい言葉なのだよ」


「ふーん。でも、嘘じゃん」


「まぁな」


 俺は苦笑しながら言った。だが、その時!


 カツーン、と何かが落ちる音がした。まるでプラスチックの塊が、床や廊下に落ちたような。


「…………?」


 音に反応して振り返ると、床に落ちた弁当箱が見えた。目を床から少し上げてみると、細い足、長めのスカート、長袖グリーン系のカーディガンに、肩ほどまでのそこそこ長い髪。笠原みどりの姿がそこにあった。


「あ……」


 俺は声を漏らすしかない。


「戸部くん、今の話……」


「み、みどり。どこから聞いていた?」


「さっき級長がマイクを向けた時」


「じゃ、じゃあ……」


 美味しいという嘘を吐いている一部始終を見られているじゃねえか!


「うっ、うっ……ひどいよ、戸部くん……」


 泣いてる。


 そして志夏が、


「達矢くん最低っ!」


「おい、お前ぇえ!」


 最近の志夏さん極悪なんだけど!


「美味しくないなら、美味しくないって、はっきり言ってよぅ……」


 俺は最大級に慌てふためき、


「あ、その、あの……」


 とかって何とか弁解しようとするが言葉が上手く出て来ない。そんな頭悪い自分が嫌い。


「わかってるもん。自分の料理が美味しいなんて思ってないもん! でも、笑いながら、カゲであたしのお弁当の不味さを雄弁に語らなくても良いじゃん。うぅ……」


 手の平で、涙を拭い、ずずっと鼻をすすった。


 そこへ、更に、追い討ちをかける女が一人。


『これを美味しいなどと言ったら、弁当料理という文化に対する冒涜になるぞ』俺の声。

『拷問道具に使えるぞ、これ』俺。

『あ、笠原さんが聞いたら泣いちゃうわよ?』志夏の声。

『いやいや、こんなもん食わされた俺が泣きそうだよ』俺の声。


 ボイスレコーダーから発せられる無慈悲な声。


 それ、ほぼ、俺の声。


「ひ、ひどい。こんな……こんなの……」


「ふぅ」志夏は深刻そうに溜息を吐いた後、「最低の男ね……」とか言った。


「いや待て。誤解だ。誤解じゃないけど誤解なんだ! ああ、どうすれば、どうすればわかってもらえる?」


 と、まさにその時だった。


「みどり、何で泣いてるの?」


 愛しのまつりさんの声がした!


 そして視界に姿を現した!


 俺ピンチ!


 何故だかわからないけどそんな気がする!


 ピンチ! 俺ピンチ! 大ピンチ!


「うぁあああん、まつりちゃーん」


 泣きながらまつりにしがみつく笠原みどりと、キッと俺をにらみつける上井草まつり。


 ――死ぬ。


 そう思った。


「ヤケ食いしてやるぅううう!」


 みどりはまつりの平たい胸に顔をうずめた後、すぐに離れ、泣きながら廊下を走り去って行った。


 俺、まつり、志夏。


 残された三人の間に、静寂が流れる。


「…………」


 そして、その静寂を破ったのは、あの憎きペン型ボイスレコーダーだった。俺とまつりは、その機械から発せられる声に耳を傾ける。


『マリッジブルー?』志夏の声。

『まぁな』俺の声。

『上井草さんに怒られない?』志夏。

『ところで、上井草さんと達矢くんは、本当に結婚するの?』志夏。

『今のところ、俺にその気がないです』俺。

『やはりみどりをパートナーにしたいっ!』俺。

『上井草さんに怒られない?』志夏。

『いいか、志夏。俺はな……女の子を悲しませたくないんだよ』俺。

『達矢くん。要するに、嘘を吐くってことね!』志夏。

『まぁ、そうだが、それが優しさというものだ』俺。

『つまり、笠原さんのためってこと?』志夏。

『ああ。好きだからな』俺。


 以前録音されたものも混ぜてきた。

 よくも短時間でここまで作り込めたものだ。まるで以前から周到に準備をしていたかのようだぜ。


『じゃ、いただきます』俺の声。

『うっ、うっ……ひどいよ、戸部くん……』みどりの声。

『美味しかったぞ、みどり』


 志夏のボイスレコーダー最低だな。


 最低で最悪だ。アホすぎる。何この展開。大して悪いことしてないのに、冷や汗が止まらないんだが。


 ああもう。何この修羅場。俺死ぬんじゃないの?


「達矢」


 まつりが口を開く。


「何でしょうか!」


「何か、申し開きの言葉はあるか?」


「全て誤解っす!」


「志夏、どうなの?」


「どうかな。達矢くんの気持ちは、達矢くんしかわからないよ」


 この女ァ……。


「おい達矢、本当に、みどりのことが好きなの?」


「いや、俺が好きなのは、お前だよ、まつり」


「…………」


 無言で不信の目を向けられている。


 だが、何でどうしてこうなってしまったのかサッパリだ。俺はずっとまつりのことが好きで、まつりのことばかり考えるくらいに大好きだってのに。


「ちょっと冷たくしたくらいで浮気しやがって」


「待て、違う。違うぞまつり」


「違う? 何が」


「いいか。事実を説明するぞ? しっかり聞けよ?」


「言ってみろ」


「さっきのボイスレコーダーの会話は、半分以上が捏造されたものだ。うまいこと切り貼りしてそれっぽく聞こえる様に作り込まれたフィクションなんだよ」


「どこが? どういう風に?」


「俺は、みどりと結婚したいわけではないし、みどりと、その、関係を持ったわけでもない。嘘は無い。本当だ」


「さっき『女の子を悲しませたくない』って言ってたよな、達矢。今の言葉も嘘なんじゃないのか? あたしを悲しませないための……」


「お前は女の子ではない」


「あぁ?」


「いや待て違う、女の子らしくないとかそういう意味じゃないぞ。誤解するなよ? 俺にとって、上井草まつりは女の子という枠を超越した存在で、かけがえの無い存在なんだ。何ていうか、失うことなんて考えられないくらいの人で、大好きなんだ。誰よりも」


 すると、まつりは言った。


「じゃあ、結婚すると言え」


 そうきたか。


 はっきり言って、結婚なんてかなり気が早いとは思う。まだ互いのことの多くを知らないのに、いきなり結婚なんて。いや、しかしこのままでは、まつりが離れて行ってしまうんじゃないか。そういう雰囲気もある。


 結婚しないと答えたら、バイバイと言って二度と会えなくなるかもしれない。そんなの嫌だ。絶対に。


 この場を切り抜けるためには、言うしかない。言うしかないか。


「そうだな。結婚しよう」


 俺は言った。


「ん? もう一回言って」


「まつりさん。結婚してください」


 再び口にした。結婚してくれという、言葉を。


「………………」


 ものすごい長く感じられるような、冷たい沈黙の後、まつりは言った。


 割と信じられない言葉だった。


「録音した? 志夏」


「バッチリ」


 生徒会長は親指をグッと立てていた。


「え? え?」戸惑う俺。


「約束だからな! 達矢」


「えっ?」


「お前から言い出したんだからな。結婚して欲しいって。全く仕方の無い奴だな、達矢は。あ、約束破ったら、風車のブレードで切断してやるからな!」


 なんかよくわからないが、許してもらえたらしい。ニコニコ笑っている。よかった。


「なるほど、達矢ストライクというわけだな。バードストライクじゃなくて」


 俺は頷きながら言った。


 そして、まつりは腕組をして、ほの寂しい胸を張りながらも申し訳なさそうに目を逸らして、


「まぁ……えっと、信じて良いんだよね」


 とか呟くように言った。


「何をだ」


「あたしのこと、好きだってこと……」


 不安そうにしている。何とも可愛いじゃないか。そんなまつりに、俺は、真っ直ぐまつりの目を見て言ってやるのだ。


「何を今さら。当り前だろう」


 するとまつりは、恥ずかしかったのだろうか、早口で、「じゃ、じゃ、じゃああたしは、地下の風車制御施設に戻るからっ!」と言った後、俺の胸の辺りを指差して、「あと、みどりにはちゃんと謝っておきなさいよ。お店にいると思うからっ」


 そして、風を起すくらいに勢いよく振り返り、俺に背を向けると、教室を出て、廊下を颯爽と駆けて行った。


 まつりの背中を見送った後、俺は呟く。


「奇跡だな」


「何が?」


「殴られなかったし、暴言もほとんど無かった」


「…………それが奇跡って……異常過ぎるでしょう……」


「そうだな」


 俺は志夏の顔を眺めつつ、格好つけてフッと笑った。




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