上井草まつりの章_7-4
さて、授業は自習だった。
自習が多いのがこの学校の特徴。何せ教師の数が少ないからな。
で、それを良いことに、隣の席の女は眠っている。二人で一緒の教科書を見るというシチュエーションに憧れていたらしいのだが、その実現はとりあえず見送られ、今はリズミカルに寝息を立てている。安心し切った顔がむかつく。
俺ばかりがまつりのせいで不安と恐怖に苛まれているというのに。不公平だ。なので、ここはひとつ。悪戯の一つでもしてストレス解消といこうではないか。
ふへへ。悪そうな笑いも出てしまうというもの。
しかし、セクハラしてマジ泣きされるのはボコボコにされるよりも苦しいからな。可愛いレベルの悪戯に留めておくべきだろう。
というわけで、俺が長年に渡って考えてきたとっておきの悪戯があるんだが、それを敢行することにしよう。
とっておきの悪戯……それはっ――
――セーラー服のエリを立てるッ!
「…………」
俺は無言で作業を遂行した。
しゃきーん。
――完了!
所要時間0.2秒の早業。しかもまつりに気付かれていない。
ふははは。休み時間が楽しみだぜ。知らぬ間に自分の制服のエリが立てられていることを知ったとき、どう顔を歪ませるかなっ!
ククク。ダークな笑いが止まらないぜ。
で、悪戯完了はいいとして……ちょっと誰かに相談したい気分なんだが、どうしようか。
頼りになる相談相手といえば、そうだな……みどりか、志夏か……。
いずれにせよ、教室中央部に行く必要性があるな。
俺は、くーくーむにゃむにゃと寝息を立てるまつりの背後を音を立てないように移動し、教室中央部のみどりの席の横にあった空席に着いた。教室内で談笑している生徒の席だろう。借りて座ることにした。
みどりは、漢字練習をしているようだった。超真面目である。
ちなみに、みどりの向こう側には、机に突っ伏して眠る志夏の姿があった。ううむ珍しいな。志夏が寝てるなんて。まぁ、それよりも今はみどりに相談だ。
「へいへい、みどり、みどり」
「え?」
振り向いてくれた。
「今、暇か?」
「勉強中ですけど、何か大事な話ですか?」
「ああ。まつりと俺とのことだ」
すると、みどりはペンを机にコトリと置いて、両足をそろえてこちらに向き直った。
「まつりちゃん、楽しそうですね」
「それなんだよ。あいつばっかり楽しそうで、俺は全然楽しくないんだ」
「それは、困りましたね」
「うっわ、完全に他人事だよね、今の言い方っ」
「それは、だって、他人ですし」
「なんか、今日のみどりは冷たいな」
「でも……」
「あいつ、暴力的過ぎるんだよ。みどりは幼馴染だろ。あいつをおとなしくさせる魔法の合言葉とか無いの?」
しかし笠原みどりはピシャリと言い切った。
「何言っても無駄です」
「あと、今朝さ、いきなり起きたらあいつ、眠ってた俺の横に居たんだぜ。なんつーか、おそろしいよ!」
「のろけかよっ」ぽすん。
ツッコミいれてきた。
「のろけじゃねぇよっ!」
いらついた俺は力いっぱい、言った。バシンと手の平で机を叩きながら。
「……ご、ごめんなさい」
「あ、いや、ごめん。ツッコミが、なんか的外れだったからな、いや、的外れなツッコミはそれはそれでとても愉快なものなんだが、今の俺は……」
「はい、わかってます。今の戸部くんは、まつりちゃんをパートナーにしていて、まつりちゃんがツッコミ担当なんですね」
「わかってないじゃないかー」
「え……」
「はっきり言わせてもらうが、まつりはツッコミではない!」
「え? あたしは、あれが理想形だと思うんですけど」
「あんなもんは、ツッコミではない!」
「まつりちゃんのは……ツッコミじゃない……?」
「ああ。あいつのあれをツッコミと認めてしまったら、世界が笑えないことになる可能性がある。ありゃただの暴力だ」
「そうなんだ」
「正直……俺が何で生きてるのか不思議で仕方ないよ……」
「確かに」
「殴られた回数を憶え切れないほど殴られるって一体どういう状況なんだ? 俺は一体どんな罪を背負っていると言うんだ! 本当に世界は平等なのか? 否。それは否。この世界には平等なんてものは存在しないのだ。平等は停滞であり、世界は停滞を望んでいないわけで――」
「ちょっ……帰って来てください、戸部くん」
「――はっ。危ないところだった。少しまつりに蹴られた時の頭の打ち所が悪かったようだ。暴走しかけていた」
「きょ、今日の戸部くんはよく喋りますね」
「ああ、だって、まつりとはな、会話が成立しないんだ」
「ああ、はい」
みどりはうんうんと大きく頷いてみせた。
「話をしようとすると、まず一発か二発は拳が飛んでくるんだ」
「それは、ひどいですね……」
「まつりのことは好きだ」
「そうですよね。好きじゃないのに、まつりちゃんと一緒に居られるのはドMの変態さんくらいです」
「ああ。まつりがドSの大変態だからな」
「わかりますっ」
頷いていた。
「そこで、だ。みどりに普段の話し相手になって欲しいんだ。このままでは俺は肉体的にも精神的にもキツすぎる。せめて精神的苦痛を和らげるために協力して欲しい。頼むっ!」
「はぁ……話し相手……」
「そう、優しく、優しいツッコミをくれるのが嬉しい。あれは癒しだ。癒し。突き抜けるほどのもやしだ」
「――もやしって」ぽすん。
手の甲で優しく叩かれた。
「そう。それだ! やはりみどりをパートナーにしたいっ!」
「でも、まつりちゃんと結婚してるんじゃ……」
「あれはまつりが勝手に言ってるだけだ。強引にコトを進めようとしているんだ。婚姻届を出したわけでもない……というか俺たちまだ結婚できる年齢でもない学生だぞ。っていうか、それ以前に結婚と漫才のパートナー関係ないだろっ」
ぽすん。
俺は思わず、みどりと同じような優しい系ツッコミをしてしまった。
つまり……みどりの胸を手の甲で叩いてしまった。起伏の乏しいその胸を。
「ひゃぁ。む、胸に触らないでくださいっ」
ほの寂しい胸をガードしていた。
やっちまったと思い、少々寒気が走り抜けて行ったが、まつりは眠っているので気付かなかったようだ。もしも現場を見られていたら、俺はまた天井に突き刺さっていたに違いないからな。
「あ、すまん。つい勢いでな……」
「でも、まつりちゃんに怒られないかな……」
「大丈夫。バレなきゃ平気だよ」
「はぁ。なら別に良いですけど……」
と、その時、みどりの奥で志夏がむくりと起き上がった。
「あ、志夏。起きたか。聞いてくれよ。まつりの奴がさ――」
俺は、志夏にも愚痴を言おうとしたのだが、その時、どこからか声がした。
『まつりがドSの大変態だからな』
何だ、これは。
『やはりみどりをパートナーにしたいっ!』
俺の声がするぞ。
『ひゃぁ。む、胸に触らないでくださいっ』
今度はみどりの声がする。
発信源は、志夏が手に持ってるペン型のボイスレコーダーだった。
「ちょ、ちょっと待て、志夏。それは何だ?」
志夏は笑顔で答える。
「録音機。ヤバそうなところを、録音してみた」
「いやいやいや……何してんの」
ヤバイなんてもんじゃないでしょそれ。
「後で上井草さんに聞かせていい?」
「ダメに決まってんだろ!」
「えー」
えー、じゃねえよ。死ぬだろ、間違いなく。撲殺エンドとか誰も望んでないよ。望まれてないはずだよっ。世の中ってのは常にハッピーエンドを求めているはず!
「とりあえず、消去してくれ」俺は言った。
「そ、そうだよ。消してよっ」みどりも言った。
「どうしよっかなー」
志夏のキャラが安定しない! とことんキャラが安定しない子っ! 恐ろしい子っ!
「あの、みどりさんにも迷惑がかかるんで、マジでカンベンしてください」
「それはないと思うわ。矛先は全部達矢くんに向かうでしょうね」
「俺を殺す気か」
「あはは、死なないわよ、大丈夫。神様の加護があるもの」
けらけら笑いながら言いやがった。
「だいたい、級長ともあろう人が、そんな盗聴まがいのことして良いのか」
「大勢が居る教室の中心で堂々と喋ってることを録音してただけよ。盗聴なんて人聞きの悪い。プライベートな場所以外で発する言葉には、責任を持つべき。オーケー?」
言い返せない。確かにそうだ。
「あの、オーケーなので、消してくれ、頼む」
「こういうの、どうかな……」
言いながら志夏は俺の消去要請を無視してボイスレコーダーをいじった。
『まつりと俺との――』『婚姻届』
俺の声が二つ響いた。
『――もやしって』
今度はみどりの声。
志夏はフフフと笑いを漏らしつつ、
「『燃やして』って聴こえなくもない。どう、これ。なんかお昼のドラマっぽくない?」
やめてくれ頼むからっ!
『でも、まつりちゃんに怒られないかな……』みどりの声。
『大丈夫。バレなきゃ平気だよ』俺の声。
「お昼のドラマそのものじゃない?」嬉しそうに言う志夏。
『なんか、今日のみどりは冷たいな』俺の声。
『ひゃぁ』みどりの声。
「色々できるわね」
「もう許してくれ……」
俺は心からお願いした。
みどりも「消してよぅ、消してよぅ」と眠り続けるまつりの様子をチラチラと窺いながら慌てている。
「まぁ、ほんの冗談よ」
言って、志夏はボイスレコーダーを鞄の中にしまった。
「志夏……心臓に悪いことすんな!」
「心臓に悪い系の会話をしてたから、つい」
「つい、じゃねえよ!」
「はいはい、ごめんね。ところで、上井草さんと達矢くんは、本当に結婚するの?」
「今のところ、俺にその気がないです」
「まぁ、そうよね。若いからね」
「でも好きなんだよね。戸部くん」とみどり。
「はい、大好きです」
「のろけかよっ」ぽすん。
みどりのツッコミが発動した。
「ああ……優しいツッコミ最高っ!」
「……えっと……大丈夫?」と志夏は心配そうに俺を見つめた。
ダメかもしんないっ!