上井草まつりの章_6-5
次の時間は、自習だった。
いやぁ、それにしても、恐ろしかった……。
あの目は本気だった。本気で殺す気だっただろう。しかし本気で怒ったということは、嫌がっているということでもある。あるはずだ。とすれば、セクハラは有効。これは間違いないだろう。そして、今の俺は打たれ強い。ゆえに、持久戦で挑めば、まつりは必ず音を上げるはずだ。
俺の見たところ聞いたところによれば、まつりの精神力はさほど強くない。いずれ負けを認めさせる時が来るだろう。
ふふふ、楽しみだぜ。
さて、先述の通り、今は自習時間。
教室内で、まつりを探してみると、級長の伊勢崎志夏と何かを立ち話していた。
風車がどうとか、避難がどうとか言ってるが、今の俺にはそんなことよりもやらねばならないことがある。
コソコソとまつりの死角から接近する。
「それが、上井草さんの意見?」
志夏が言った。
「意見っていうか、命令よ」
まつりが答える。
「ん? あ、上井草さん、うしろ」
ふっ、志夏が俺に気付いたか。
だがもう遅いっ。俺の手は既にまつりのスカートの裾を掴んでいる。
「なっ――」
まつりのそんな声が聴こえたが、
「せやぁ!」
ばっさーーーーーーっ!
スカートめくりした。
またしても凍りつく教室。
一瞬、スカートの奥にある下着が見えた。紫色だった。スカートが元の場所に戻ろうとする世界の中で、俺は言ってやった。
「いやはや、まつりさん……紫はないなぁ」
「…………このっ」
俺は殴られるのに備えて身構えたが、
あれ? おかしい。
殴られなかった。おかしい。絶対殴られるはずなのに。
まつりは拳を握り締めながら、
「…………っ。二度と……二度とするなよ……」
言って、拳を収めた。そして何事も無かったかのように志夏と話し出した。
「それで、志夏。さっきの話だけど」
「ええ、それで…………」
何だか様子が変だ。だが、とりあえず、とりあえずだ。やるなと言われてやりたくなってしまうのは人として仕方の無い衝動で、まして俺はそういう衝動が強い子なのだ。俺の中のプチ不良が、「もう一回、もう一回」とコールし続けている。なお、俺の中に「やめるんだ」と言う優等生的人格は居ない!
「それぇ!」
俺は、再びまつりのスカートをめくった。
再犯。
次の瞬間――。
視界が白くなって真っ暗になって、星が舞った。
何が起きたのか。たぶん、殴られたか蹴られたかしたんだと思う。ざわつく教室の声が耳に入る。
「するなって言っただろ!」
回復した視界で、目の前の女は泣いていた。
あのまつりが。涙。
俺の後頭部は、掃除用具入れのロッカーにめり込んでいて、身動きが取れなかった。
「何なの! お前、何で、こういうこと……」
泣いてる。涙声。おかしい。変だ。こんなはずでは。
「あ、あの、まつり……?」
「しねっ!」
その言葉を耳にしたとき、胸が痛んだ。
まつりは俺に背を向けて、前の扉から教室を出て行った。
廊下を走る足音が、どんどん小さくなっていった。
「まさか、泣くとは……」
その時、視界にみどりが現れた。
「…………」
現れたっきり、黙っている。黙って俺を責めるような目を向けている。
「……ごめん、みどり」
謝った。掃除用具入れのロッカーにめりこみながら。
するとみどりは、俺の胸倉を掴んでグイッとロッカーから外すと、俺を思いっきりバチンと引っ叩いた。
痛い。
今までのどんな攻撃よりも。
「あ、あの……」
俺は慌てて取り繕おうとするが、みどりは無言を返す。俺はみどりから視線を外して床を見つめながら、
「ごめん……」
「こんなことなら……」
「え」
「こんなことなら、モイストされてた方が全然よかった!」
「そんな……」
そんなことないだろうと言いかけて、そんなことあったことに気付く。俺が一人で勝手に空回りして変なことになって、結局まつりを泣かせてしまった。
「女の子泣かして楽しいの?」
楽しいはずがない。でも、
「で、でも、まつりは、女っていうか――」
「女の子だよ! 言ったでしょ! 弱すぎだって、まつりちゃんは弱すぎだって! ちゃんと言ったでしょ!」
「そういえば」
言われた気もする。
「そういえばじゃないでしょ!」
「ごめん……」
みどりに胸倉を掴まれたまま、謝罪の言葉しか、思い浮かばなかった。
「あたしに謝ってどうすんのっ!」
「俺……ひどいことした」
「今頃気付いたのっ! このバカッ!」
そうだ。まつりは、まつりだって、女の子だった。背は高くて胸は小さいけど、女だ。
「俺、謝らなくちゃ、謝りに、行かなくちゃ」
「早く行きなさいよ!」
「お、おう……」
しかし、俺はそのままでは駆け出すことができない。俺はみどりに向かって言う。
「あの、手、放してくれないと……」
「あっ、ごめん」
胸倉を掴んでいたみどりの手が、ばっと外れた。
「いや、ごめんっ!」
俺は言って、教室を駆け出た。クラスメイトやみどり、そして凹んだロッカーを残して。
「まつりちゃんは、たぶん家にいるからっ」
背後から、笠原みどりの声がした。
「おうっ!」
応える。
廊下に出る。
走る。全力。
転びそうになりながら。
見えないまつりの背中を追った。
階段を数段飛ばしで駆け下りて、上履きのまま中庭へ。門を抜け出て、急な下り坂を一人駆け下りる。転げ落ちるみたいなスピードで。
まつりの背中が見えたのは、坂の途中の、まつりの家、上井草電器店の前だった。
「まつりィィィ!」
俺は叫んだ。遠くで、目が合った。まつりは慌てて中に入って、引き戸を閉めた。
「まつり!」
辿り着いた。でも、まつりの姿はもう見えない。
扉を開けようとしてみる。しかし、施錠されていた。何度ガタガタと引っ張ってみても、全く開く気配も見せない。叩き割ってやろうかとも考えたが、そこまでするのは気が引けた。
俺は、少し後ずさって、車道の色あせた白線のあたりに立った。
そこから、二階の窓が見える。まつりの部屋かどうかはわからない。
違うかもしれない。でも、それならまつりが家のどこに居ようが聴こえるような声を出せばいいだけの話だ。
俺は大きく息を吸い、叫ぶ。
「まつりぃー! きこえるかぁー!」
「うるせー、しね!」
二階の窓の向こうからだった。どうやら、そこがまつりの部屋のようで、そこまで叫び続ける必要がないことを悟って少しだけ安心。
「ごめんな、まつり」
「許さない。あと名前呼ぶな、しね」
超おこってる。でも、何だか子供みたいだ。
「窓、開けてくれよー」
「…………」
するとガラリと窓が開いた。でも、顔を見せてくれない。
まぁ、良いか。
「俺な、本当に反省してるから」
「うるさい」
その割には窓開けっ放しだ。うるさく思ってるとは思えない。
「今日のことに関しては本当に悪いと思ってる。お前も女の子だってこと、ちょっと忘れてた」
「だまれっ!」
「ごめん」
「うるさいっ」
子供みたいだな、本当に。そんなことを思い、俺は声を出さないようにして少しだけ笑った。
「おい、今あたしのこと笑っただろ」
鋭いっ。
「ああ、正直に言うと、笑った。おかしくてな」
「何で」
「何か、子供みたいでな」
「……お前だって子供みたいじゃねえか」
「まぁ、そうだな」
スカートめくりとか、我ながら子供っぽい。
一陣の風が過ぎ去るくらいの、少しの沈黙の後、
「……達矢ぁ」
まつりの声が響いた。
「何だ」
「どうしてお前は、あたしに付きまとうんだ?」
何でだろうな。まつりと接していて感じることはといえば、大半は恐怖だ。
それに、優・劣。主・従。上・下。強・弱。暴・力。考えれば考えるほどに嫌いな概念ばかりが散見している。
それでもまつりと一緒に居たいって思えるのは、それはやっぱり、本当にまつりのことが好きだからなんじゃないかって思うんだよ。
人の思考や理念なんてのは、たいがいにアテにならないものだから何とも言えないが。
って、あれ?
何か俺、とんでもないこと考えてないか?
まつりが好きだとか何だとか。
いやいや、そんなわけがないだろ。
まつりは暴力的で独善的で。バカで。だけど、憎めなくて、いとおしくて。
結構可愛いところもあって、要するに……さ。
要するに、それは、それは、さ。
「好きだからだ!」
俺は言った。大声で。
「しねっ!」
「うえぇえ、そりゃねえだろ」
「またからかう気なんだろ! 昨日もそんなようなこと言ってたじゃないか! ふざけた調子で!」
「あぁ、あれはかなり真面目に言ってるんだ」
「なっ――」
「それから、俺はホラ、好きな女の子に悪戯するタイプのガキっぽい男なんだよ」
「ありえない」
「何が」
「あたしを好きだってのがありえないって言ってんの!」
「ありえちまったんだから仕方ねえだろ!」
「だって、こんな……」
「そりゃ最初は気に入らなかったよ。お前は暴力的で、時々理不尽で、いじめっ子だ。他人の背中をシャープペンの先端でつつくような奴は初めて見た。どうしようもない奴だよ。お前は。だけど――」
「…………」
「だけど好きなんだ! 本当に! お前と一緒にバカなことするのが、たまらなく楽しい時間なんだよ! それを失うことが、考えられないくらいに! 意味わかるか? お前が好きだって言ってるんだぞ。お前にぶっ飛ばされるのだって、もはや快楽なんだ。それに――」
その時だった。二階の窓から何かが出てきた。
そんで、上から何かが降ってきた。
大きな、何か。
それは、まつり。まつりが、涙と一緒に降ってきていた。
「まつりっ!」
俺は彼女を抱きしめようと、両の手を広げた。が、
「しねぇええええい!」
「何ぃいいいい!」
どごーーーーーん!
まつりは俺の顔面に飛び蹴りをかました。
俺の体は吹き飛び、坂を転がり、道の真ん中に大の字を描く。
痛い。
でも、まつりが出てきた。出てきてくれた。よかった。
「殴られるのが快楽だって? この変態がっ!」
短い髪を整えつつ、涙声で、坂の上から悪態をついた。
可愛いじゃねえか。
俺は「おう」とか言って応える。仰向けに寝転がったまま。
「涙が、止まらないんだけど。どうしてくれるの」
「何に対する涙だかわからないことには、俺には止めようがないな」
「あたしにも、わかんない」
「じゃあ、俺のこと好きなんじゃねーの?」
「ほんと、しねって思うよ」
「口が悪いな、お前は」
「許さない。スカートめくられた。仕返しする」
鼻をずずずっとすすりながら、俺の胸倉を掴み、無理矢理座らせた。
二人、アスファルトに座って向き合った。
そして、まつりは抱きついてきた。俺のワイシャツの胸の辺りで涙を拭う。
「あたし、お前のこと嫌いだった」
「そうか、ショックだな」
「でも、嫌いじゃなくなった」
「それはあれだ。最初から俺のこと好きだったんだろ」
「そんなわけねえだろ、しねよ……」
俺はずっと、まつりのことが好きだったかもしれない。
出会った時から、こんな上井草まつりのことが。
「よし、学校戻ろうぜ。みどりが心配してるぜ」
「うん」
「もうみどりにモイストするなよ」
「うん」
「他の奴らも傷つけるなよ」
「うん」
「俺だけを殴れ。な?」
「蹴ってもいい?」
「当り前だ」
「……なんか……お前、おかしい」
言いながら俺の胸から離れると、吹っ切れたように笑った。
泣きながら。でも、今まで見たことの無い笑顔で。