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飛古野みことの章_16

 唐突に目の前が真っ赤に光ったとしたら、人間、誰でも驚くものだろう。私も例に漏れず、びっくりして目を閉じた。次に目蓋を開いた時、瞳に映ったのは、数秒前とは別の場所だった。


 洞窟であり、岩がごつごつしているというのは共通である。私の左手にバナナの房があって、右手に一本の食べられる寸前のバナナがあることも変わらない。気温が外より圧倒的に涼しくて寒いくらいなのも同じだ。


 ただ、まず広さが違っていて、こちらの方が圧倒的に広い。大広間だ。そして何より、さっきは一人きりだったけど、今は……もう一人いる。


 私の前には、ダンボールでつくられたテーブルと椅子があって、椅子には女の子の姿があった。女の子、とはいっても、年齢は私と同じくらい――つまり、高校三年生くらい――だ。


 長袖の制服を着ていることからも、私とそう変わらない年頃だとわかる。身長は同じくらいだけど、私の方が一センチくらいは高いような気がする。私よりもほんの少し長いくらいの短い髪で、耳を出している。凛とした、気の強そうな顔つきと雰囲気だった。


 この女の子、どこかで――。


「バナナ!」彼女は言った。


 その時、私は、はっとした。そうだ、バナナだ。


 彼女は、以前、私にバナナを差し出してきた。夢の中でのことだけど。


 どうだろう、もしかしたら、彼女もそれを記憶しているかもしれない。ここは、思い切ってきいてみようではないか。


「私と、夢で会ったこと、ない?」


「は?」


 すごい顔をされた。眉間にシワがくっきりと浮かび上がる。


「てか、あんた誰よ」


「あ……すみません。私は飛古野みことっていいます」


「知らないわ」


「そうですか……」


「私は、紅野明日香」


「紅野明日香!」


「は? なに、その反応。ずっと探してたのよ、みたいな感じ。ちょっと嫌なんだけど」


「す、すみません……」


 そうか、この子が紅野明日香。戸部達矢くんの恋人で、上井草まつりさんの良きライバルで、卓球のラリー音に名前が似ている紅野明日香か。これまでぼんやりと浮かべていた彼女のイメージは、だいたい合っていて、それが今、くっきりと形になって、非常にすっきりした。すべてのもやもやが一気に晴れるような。


 私が一人頷いていたところ、明日香は、いきなり声色を高くしてはしゃぎだした。


「てか、それ、手に持ってるの、バナナでしょ! ねえ、バナナ! 私のバナナ?」


「えっと……」私は、どう言うべきか慎重に考えようとした。


「あ……あれ……」明日香は、戸惑い、慌てたように、「バナナの気配がしたから、こっちに転送したんだけどな。でも、ああ、思い返してみると、いつもと違うところだったし、いつもと違う人だし、いつもと違う量だし……これさ、もしかして私、ミスった? 洞窟探検ピクニックしているところを邪魔して誘拐しちゃった系?」


「いえ、そういう系ではないです。大丈夫です。むしろ助かりました。私、頼まれてて」


「頼まれた?」


「ええ、笠原商店NEWのおじさんから、バナナを届けてほしいって頼まれたの」


「それにしては……量が少ない……種類も……」不満そうである。


「本当は、ダンボールで持って来てたんだけど、あの小さな穴に持っていけるのは、これくらいが限界で」


「そっか。どこでもいいから穴に放り込んでくれれば、勝手に取りに行くんだけどな。そーだ。みこと、だっけ? ちょっと笠原のおじさんに、そう伝えてくれないかな」


「あ、わかりました」


 紅野明日香は手を出してきた。私は、バナナをたまたま近くにあったテーブルに置いて、その手を握った。


「ちがう! バナナ!」


 どうやら、握手は不正解。バナナを握らせるのが正解だったらしい。


 私は、バナナを渡して、「お好きなんですか?」と訊ねた。


「あんたも食べる? どのバナナがいい? フィリピン産? エクアドル産? 台湾? ペルー? 日本のもあるよ」


「あ、いえ。私は、食べようとしていたバナナがあるから」


 皮をむいてある一本のバナナをテーブルから取り上げた。


「そっか。あ、そうだ、座って座って。今、お茶いれるから」


「え。でも……」


 紅野明日香は、私に座るよう促し、そして自身はダンボール箱をテーブルの側に置いた。椅子として使うつもりなのだろう。


「ありがとう」


 私は譲られた席についた。


 冷蔵庫など要らないくらいに肌寒いから、湯沸かし器から白いものが上がっている。


「コーヒーでいい? 緑茶? 紅茶? 烏龍茶?」


「じゃあ、紅茶をもらおうかな」


「レモンとか、ミルクとかは?」


「オレンジがあれば」


「オレンジ? 果物の? そんな飲み方きいたことないけど。てか、オレンジとか無いし。じゃあ……レモンもミルクも嫌なら、バナナティーにでもする?」


「そっちの方がきいたことないわ」


「は? 知らないの? バナナティーを知らないなんて、バナナに対して失礼じゃないの」


 そこでふと、柳瀬那美音さんのサングラスの顔を思い出した。彼女なら、「メロンパン紅茶にしよう」と言い出すんじゃないかと思ったのだ。……いや、これはどうでもいい話だった。


 そうして、他のところに思考が吹っ飛んでいったのが、まずかった。


 私はどうでもいい思考に気を取られ、彼女の暴挙を止められなかった。


 丸っこい透明なポットにスライスされたバナナが投入され、茶葉が放り込まれる。沸騰した湯が注がれて、白い花が咲いて散って消えた。葉が開きながらぐるぐると踊り出し、湯が紅く濃くなっていく。バナナ成分が溶け出ているためか、通常の紅茶よりやや濁った茶色に見える。


「だ、大丈夫なの?」


「知らないの? 美味しいんだよ」


「…………」


 甘い匂いが鼻腔をくすぐっていた。微細な泡がはじける音がきこえている気がした。


 待つこと数分、私の前に、花柄のティーカップが置かれた。豪快に注がれていく液体。かちかちと、ソーサー、カップ、スプーンがそれぞれ僅かな音を立てる。


 お湯が少し跳ねて私の腕にかかったけれど、我慢した。


「どうぞ」と紅野明日香。「ええ」と私が返す。


 バナナの香りがする。


 おそるおそる、薄くなめらかな容器に口をつける。


「え、おいしい!」


「でしょ!」


 世の中には、私の知らない素敵なことが、とても多くあるんだなと思って、それが嬉しかった。


「飛古野さん、何で笑ってんの?」


 どうやらまた、自分でも意図しないままに笑ってしまったらしい。


「みことでいいわ」


 と、私は返しになっていない返しをした。


「ん、あ、そう。んじゃ、みこと。なんで笑ってんの?」


「明日香って、呼んでいい?」


「質問に答えなさいよ」


「うふふ」




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