飛古野みことの章_15
惨敗に落ち込む若山氏と、勝ち誇る上井草のおじいちゃんのところを発って、しばらく歩いた。かつて道だった部分を堂々と歩きたかったが、どこがそうなのかわからなかったので、できる限り凹凸の少ないところを選んで進んだ。
かつてそこに家屋があったことを物語るのは、お風呂場の跡。天井なんか無くて、四方を囲んでいた分厚い壁は膝くらいの高さまでしか残っていないし、風呂釜もないけれど、かろうじてお風呂場の痕跡が残っていた。
歩いている間にも、地下で爆発が続いていて、体に感じる揺れが何度もあった。
どれだけの風呂跡を過ぎただろうか。また前方に別のものが現れた。
それは、車輪がついた手押し車。屋台であった。
ラーメンでも出しているのかと思ったが、そうでもないらしい。
近付いてみると、屋台の裏側に、誰か人間がいるようだったので、那美音さんと私は、屋台の反対側に回りこんだ。
四十代から五十代くらいの男性がいた。砂に書かれていた文字は、『笠原商店NEW』であった。とすると、この男性は、おそらく、笠原みどりのお父ちゃんということになるのだろう。
「いらっしゃいませー。自由に見ていってください。何か気になる商品がありましたら、お声をお掛けください」
男性はそう言ったけれど……。
「そうは言っても」と那美音さんが呆れたように、「品揃え全然充実してないじゃないの」
「それは、言ってくれるなよ、お客さん……」
きっと、この狭い島だ。お客さんも少ないのだろう。だから品数が少ないのも致し方ないのだ。
ふと、私は、しっかりと封をされたダンボールを見つけた。
「あの、この箱には何が?」
「いいところに目をつけるね、お客さん。これは、バナナなんですけど……」
「けど?」と那美音さん。
「非売品なんです」
そう言った男性は、すぐさまハッとした表情になり、次の瞬間には「思いついた!」とばかりに手を叩いた。「そうだ!」
那美音さんは落ち着いていたけど、私はびっくりした。
「お客さんたち、ひとつ、頼まれてくれないか?」
「何ですか」
私だけが首をかしげた。
男性の依頼は、以下のようなものである。
まず男性は、笠原商店NEWの主要な顧客である女の子に対して、バナナを届ける約束をしていたのだという。ところがどっこい、女性が暮らす場所が見つからない。目印となるものが何もないため、道に迷ったのだと言っていた。ただ、この町には道らしい道なんか無くて、だいたい地平線だらけなので、道に迷うという表現は少しおかしいかもしれない。
ともかく、私たちはバナナ配達代行の依頼を受け、女の子へと続く洞窟を手分けして探すこととなった。
なかなか見つからないまま、あっという間に三十分が過ぎてしまった。
洞窟があるのは、瓦礫地帯のほうではなく、湾曲した樹木がわんさか転がっているところの近く。そう聞いていたけれど、雑草は生い茂っているし、詳細な場所が全くイメージできず、ただ洞窟だとしか聞いていないということもあり、発見はもう諦めたいと思う。
「見つけたらロケット花火を打ち上げて合図を送ってちょうだい。あたしが先に見つけたら、思念波を飛ばして飛古野さんを呼ぶわ」
那美音さんはそう言った。思念波を飛ばすことが本当にできるのかと私が訊ねたら、彼女は、私の頭の中に、直接、「できるわよ。きこえてる?」といった言葉を響かせてきた。
那美音さんの口は全く動いていなかったけど、確かにきこえた。腹話術ではないのかと、つい言ってしまったけど、「ちがうわよ」今度は、口と鼻を完全につまみながら、クリアな声を送ってきた。こんな不思議なことができるのだから、私以外の人間の心が読めるという主張も、信じられると確信するようになった。
その那美音さんからの連絡を待ちたいと思う。私はもう、洞窟探しなんかとっくに諦めている。
夏らしい突然の通り雨に降られて、全身びしょびしょになってロケット花火がダメになってしまったからという理由もある。バナナの入ったダンボールも濡れていて、今にも底が抜けそうである。不幸中の幸いと言えるのは、急に連れてこられたので携帯が家に置きっぱなしで難を逃れたことくらいであろうか。
私は、服の裾を搾りながら、ぽつんと置いてあった岩に座った。座るのにちょうどいい大きさだ。岩は濡れていたが、もうすでに私も濡れているので問題ない。
「あら?」
ああ何と皮肉なことだろう。連絡手段を失った私が、先に洞窟を見つけてしまうなんて。
座ろうとして、お尻を乗っけたら、岩が動いた。ずれたところに、穴があった。
巧妙に隠されていたのだ! と言いたいところだけど、実際のところは、むしろ誰かが岩を目印に置いたんじゃないかと思う。たぶんそう。違うかもしれないけど。
そして私は、唾を呑み込み、斜めに伸びている穴へと慎重に潜ったのだった。
バナナが入ったダンボールは穴に入らなさそうだったので、ひとふさだけ持って行くことにした。
四歩目で足を滑らせ、私は、悲鳴を大きく響かせながら、ごつごつとした岩肌を転がることとなった。死ぬと思った。
やがて岩壁に跳ね返されて止まった。行き止まりだった。袋小路の洞窟だった。つまり、目指している女の子は、ここには居ないということか。
この洞窟は、穴の底に行くほど広がっていて、それなりに広い。私の部屋よりは圧倒的に狭いけれど、身動きできないほどではなかった。
目の前がふらふらしていた。なかなか立ち上がれずにいたところ、転んだ拍子に手放したバナナの束が遅れて落ちてきて、短めの髪にボサリと乗っかった。
こんな時、いつもふざけたことを言う戸部達矢くんなら、「金髪のウィッグをかぶったみたいだな、スーパー何とか人に変身したみたいだ」とか言いそう。と、こんなタイミングでそんなことを考えてしまった自分に呆れ果てる。
立ち上がろうとした。しかし立てない。どうやら足が痺れているみたいだった。折れている様子はないし、たぶん、一時的なものなんだろうけど。
それでなくとも、目の前に伸びているのは湿って滑りやすい岩肌であり、転がり落ちてしまえるほどの急勾配でもある。つまり、冷静に判断しなければいけない状況というわけだ。よくよく考えてみれば、これは命の危機である。助けを呼んでも、周辺に住居など皆無だし、誰か探しに来てくれるとしたら、柳瀬那美音さんだけど、私がこんなことになっているとは思いもよらないだろう。
いちかばちか、遠くの光に向かってロケット花火を打ち込んでみることにする。
「だめだ」
やはり。
さっきの雨にやられて火がつかなかった。
三畳分くらいのスペースには、飲み水になりそうなくらい澄んだ水たまりもあった。一応、バナナを持ってきておいてよかった。これだけあれば、三日くらいなら何とか生き残れるはず。
私は、バナナを一本、房からもいで、皮をむいた。そして湾曲したそいつを口に運ぶ――。
――瞬間。赤い光が、私の肉体を包み込んだ。