飛古野みことの章_8
アルバイトを始めたのは、笠原みどりが紹介してくれたレストランだった。笠原みどりにアルバイト経験について聞かれ、無いと答えたところ、「飛古野さんは信用できるから、お仕事紹介するね」と言ってくれた。
小さな女店長との面接で、「一応きくけど、ご両親は何をしてる人なの」と聞かれ、わからないと答えたにもかかわらず、採用となった。ウェイトレスとなり、配膳をする仕事だ。
なお、念のために言っておくが、厨房に笠原みどりは居ない。当たり前である。もしもみどりさんが居たら、まかないによって店員全員が地獄を見ることになるからだ。
というわけで、私はまず、先輩を観察して仕事を覚えることにした。
結論から言えば、参考にならなかった。
だって、先輩はとっても無愛想で、目つきがわるくて、口数が少なくて、とても接客には向かない種類の人だったから。それは、相手に居心地の悪さを感じさせるだろうなと思えるくらいのレベル。客観的に見て、恐怖を与えていると評価できるくらいのもので、レストラン店員として失格だった。
客層が、わかりやすい不良が多いので、ああなってしまったのか。それとも、ああだから不良しか残らなかったのか。いずれにしても、彼女の動きを観察していても、全く参考にならないと断言できた。
もしかしたら、彼女は元々、厨房にいるべき人なのかもしれない。たまに、店の余った食材で作る中華料理は、とても美味しいものだったから。
ともかく、私が参考にするべき人は、たぶん、笠原みどりさんなのだと思う。あの営業スマイルを見ていると、みどりさんのために動きたくなる。何とかみどりさんの役に立ちたいと思ってしまう。
一人、手鏡を取り出して、にこりと笑いかけてみる。
ぎこちない笑顔に見えた。
比べるまでも無い。まだまだだと思った。
「コノミっち。何ひとりで笑ってるの?」
不意に、横から声がした。
「わぁッ!」
私は驚き、手鏡を落としてしまった。
「あ……」
ひびが入った。
「もう、何してんの。わたしの料理ひっくり返したら、怒るかんね」
「すみません……店長」
「まったくもう」
店長は、髪の毛を右手でくしゃりと握り締めた。その腕には、赤、白、緑のハンガリーやイタリアの国旗のような三色が目立つ。
背が小さくて、華奢で、明らかに年下。つまり学校の後輩にあたる。以前、一緒に卓球をした浜中紗夜子が店長だった。面接の時には驚かされたっけ。
そう、この『レストラン☆はまなか』は、紗夜子のパスタをメインで出すお店であり、紗夜子の店だったのだ。
つまり私は、後輩にこき使われているというわけで……。
浜中紗夜子について、達矢くんはこう評していた。
「あいつは、強いぞ」
「強い? あんなに華奢なのに?」
「そういう身体的な強さじゃなくてな。心がさ、他の人と違うよ、やっぱり。あいつは、つらいこととか、自分の弱さとか、痛いくらいに知ってるから、だから、強くなれるんだと思う。なんて、月並みにカッコイイこと言っちまったな」
照れたような口調で、達矢くんは言っていた。
ぶっちゃけ、彼の人物評なんてあてにならないし、大して格好いい言葉だとも思わなかったけれど、確かに浜中紗夜子には、どこか筋の通った強さを感じると、私も思う。誇り高い店長さんだ。
髪の毛がカラフルな不良どもから文句をつけられても一歩も引かないし、食い逃げをしようとした上井草まつりさんを捕まえて謝罪させるのも、きっと紗夜子でなければできないことなんじゃないかと思う。
元々料理が美味しいところに、接客の部分もだいぶ改善されたためだろうか、店は連日大賑わいするようになった。強調したいのは、私が入ってから繁盛するようになったということであり、おかげで私も、この町にしては高額の給料をもらっている。
ああ、そうだ、そういえば、私は給料の使い道に困った。何せ、この町には私がお金をかけるほどの娯楽が無い。高価な化粧品やら洋服やらにお金を掛けるという手段もあるし、たくさんの書物とか、たくさんのゲームとかを大人買いするという手もある。だけど、いずれも趣味じゃない。
私は、自分でも驚くほどに無趣味だった。町を歩き回るのは好きだったけれど、それは、果たして趣味だといえるのだろうか。趣味の無い人は、果たして人間らしいと言えるだろうか。
どうだろう……。
趣味と人間らしさはあまり関係ない気もするけれど。
たとえば、店長の浜中紗夜子は、とても趣味が多い。音楽もきくし、自分でも音楽をやるし、服にもこだわりがあって、自分で服を作ったりもするみたいだ。絵を描くのも好きだという。彫刻も陶芸もこなすし、もちろん料理上手だ。彼女の興味は、「何も無いところから何かをつくり出す」ことに向いているようだ。しかし、かと思えば、卓球や野球などの球技にも抜群のセンスを発揮するし、実はゲーム好きでも知られていて、パソコンの前に座るとかじりついて離れないという話もある。
というわけで、紗夜子には趣味が多い。だけど、紗夜子はどちらかといえば無表情で、お人形さんみたいで、人間らしさが足りないように思える。
「どしたの、コノミっち?」
「いえ、何でもないけど……」
だとすると、別に趣味など無くても、人間らしく居られるのか。
私は割れた鏡を見て、笑いかけてみた。さっきより、少し上手に笑えた気がした。