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飛古野みことの章_5

 翌朝、私は、ある店に足を運んだ。


 この町で情報通といえば、誰であろう。それは、笠原みどりさんである。


 笠原さんは、こちらの町に、お店ごと引っ越してきていて、今なお現役で看板娘をやっている。緑色に輝く看板の店、その名を笠原商店NEXTというらしい。転入したクラスで隣の席になったので、いろいろな話をしたのだが、町で一番の情報通だということに自信と誇りを抱いているようだった。商店街で店番をしているだけで、情報が集まるのだと言って、スマイルを見せてくれた。


「わからないことがあったら、何でもきいてね」


 笑顔がかわいらしい、とても性格の良い子だと感じた。


 ただ、情報通とは聞こえが良いけど、実のところは噂好きなだけなんじゃないかと思っていて、ちゃんと信用できる人物かどうかを見極めるには至っていない。


 ともかく、私は、気になることはすぐに調べてみたがる性質(たち)だから、話題にのぼった紅野明日香という人物について、彼女に聞こうと思ったのだ。


 透明な戸が自動で開いた。


「いらっしゃいませー、あ、飛古野さん」


 エプロン姿の彼女が、私の名前を呼んでくれた。存在を記憶してくれていたことが、とてもうれしかった。


「どうしたの? 何で笑ってるの、飛古野さん」


「あ、ううん、なんでもなくて」どうやら無意識に笑ってしまっていたらしい。私は頭を振ってから、頬を引き締めた。「おはようございます。笠原みどりさん」


「おはよー。いやあ、久しぶりのお客さんだよ。コーヒーをサービスするようになってから、どういうわけか客足が途絶えてたんだけど、よかったぁ、飛古野さんが来てくれて。あたしのコーヒーのせいでお客さんが来ないのかと思って不安だったんだ」


「はあ、そうなんですか……」


「飛古野さん、コーヒー大丈夫?」


「ああ、はい」


「苦手な人もいるからなぁ。まつりちゃんとかもさ、コーヒー苦手みたいで、あたしが出しても絶対飲まないんだよね。せっかく良いお豆使ってるのに。賞味期限も切れてないのに」


 そうして紙コップで差し出されたコーヒーは……見た目は普通だった。香りも、ヤバくない。


 でも、口をつけてみると……。


 これはおかしい。宇宙の法則を無視している。見た目も香りもいい、豆も良い豆だという。それなのに味がこんなに酷いコーヒーなんて……。信じられず、もう一口飲んでみる。やはり不味い。不味い不味い不味すぎる。閑古鳥が苦しげに鳴き叫んでも仕方のないテイストだ。どうやればコーヒーをこんなに不味く淹れられるのか、誰かに研究させたいくらいだ。


「おいしい、よね?」不安そうに、私の顔を下からのぞきこむ笠原みどり。


「ええ」


 本当のことが言えなかった。それを言ってしまったら、彼女は泣いた挙句にお菓子のヤケ食いとかに走りそうだと思ったからだ。


「だよね! よかった! じゃあ、ゆっくり、見て行ってね。商品について何か質問があったら、遠慮なく言ってね」


「え、ええ」


 きっと私は、ひきつった笑顔をしていたと思う。心底うれしそうな笠原みどりとは対照的に。


 さて、隙を見て不味いコーヒーをトイレに捨てた私は、笠原みどりに話を聞く前に、何か面白いものが売っていないかと店内をぶらついた。


 けっこう広い。コンビニエンスストアを意識しているようで、上井草まつりの身長と同じくらいの高さの棚に、ぎっしりと商品が並べられている。


 おにぎり、サンドイッチ、お惣菜、各種飲み物、化粧品や文房具もある。色あせた本とか、何週か遅れた漫画雑誌とか、ちょっと古いアイドルグッズとか。小型ゲーム機等の娯楽用品や、お菓子、お酒、タバコ、医薬品まで幅広く取り扱っていた。どうも手作り焼きたてパンみたいなものが目に付いたのだが、コーヒーの味を考えるに、あのパンにも精神を蝕む毒が入っていると考えて差し支えないだろう。


 普通のコンビニエンスストアには絶対に置いていないであろう金属バットや、本格的な画材や、ギターの弦、電動ドライバーやハンマーなどの工具類、陶磁器の類、野球のグローブもある。宴会用だろうか、犬のきぐるみ、チャイナ服、魔法少女服などのコスチュームもあった。値段がついていないことから考えるに、服は非売品かもしれない。


 もしかしたら、コンビニというよりもリサイクルショップとかの方が近いのかもしれないと思った。


「コーヒーのおかわり、する?」


 馬鹿を言ってはいけない。あんなのは二度といらない。かといって、はっきり断るのは笠原みどりさんを悲しませてしまう。そこで私は、話をそらすことにした。


「ところで、これは?」


 私はある商品を指差した。レジ前の一番目立つところにあったのは、モイスターソースという商品だった。どんな味がするのかと思って裏側の成分表示表を見たら、それは食べ物でも飲み物でもなくシャンプーであった。


「あ、飛古野さんは、これ知らないんだ」


「このシャンプーが、そんなにオススメなんですか?」


 笠原みどりは苦笑いをして、胸の前で手を振って「NO」を表現した。


「じゃあ何で……」


「実は、これウラ話なんだけどね、飛古野さんだから教えちゃうけど……売れ残りなの」


「じゃあ、何とか在庫を売り切ろうとして、ここに置いているの?」


「まぁ、そういうことになるかな。だってね、ちょっと聞いてよ飛古野さん。こないだまで居たところでは、潮風が強かったり、水道から出てくるお水の質が最悪だったりして、髪の毛にダメージが重なる環境だったの。


だから、女の子にはモイスターソースが必要不可欠だった。だけど、こっちに越してきてから、風はないし、水もよくなったから、あんまし髪の毛が傷まないのよ。それで、自分の好きなシャンプーを選べるようになった今、モイスターソースが売れなくなっちゃって……。


うちのお店の本店では、まだそこそこ売れてるんだけどね、あっちに残ってる人は少ないからさ、こっちに持ってきたんだけど、予想大ハズレ、これじゃ、おとうちゃんに怒られちゃうんだけど……でも、それにしたって、誰も買っていってくれなくて、もう何なの! 皆、あんなにモイスターソースのお世話になったのに! って感じで……あ、ごめんね急に愚痴っちゃって」


「あ、いえ……」


「でも、あたしはずっと使ってきたし、香りも気に入ってるし、皆が使わなくなっても、これで髪を洗い続けるよ」


 そう言って、笠原みどりは、さっと自分の髪をなで上げた。横に広がった髪束が、ふわりと肩に落ちた。


「飛古野さんも、おひとつどうですか?」


 その時である。突然、彼女の背後に影が現れた!


 その影は、笠原みどりよりも頭一つ分は大きくて、制服の半袖に三本ラインが入っていて、つまりは上井草まつりだった。


「モイスト! モイスト!」


 上井草まつりは挨拶もなしに、いきなり笠原みどりの後ろ髪をまくりあげ始めた。


「わあああっ」


 不意をつかれて、驚きの声をあげるみどりさん。


「モイスト! モイスト!」


 掛け声にあわせて、何度もばさりばさりと他人の髪の毛を弾き上げる。


 モイスト……?


 モイスターソースと何か関係があるのだろうか。


 ともかく、モイストと叫びながらみどりの髪の毛をいじめるさまを見て、私は言葉が出てこなかった。あまりに異常な光景を前に、赤の他人のふりをしたい気持ちでいっぱいになった。


「や、やめっ、モイストやめてよ、ていうか、まつりちゃん、どっから入ったの!」


「裏口からモイスト!」


「アウっ……だめでしょ、犯罪で……ウッ、痛っ、やめてってば!」


 笠原みどりが反撃に出たが、その腕は掴まれ、片手でモイストが続く。


「もう! ジュースおごるからぁ!」


「モイス――……ほう」


 上井草まつりはモイストをやめた。そして、飲み物コーナーへ行くと、コーラを開封してプハーとか言いながら戻ってきて、何事もなかったかのように、私に話しかけた。


「おう、飛古野さんじゃん。よく会うな。夏休みだってのに」


「そ、そうね……」


 私は、正直言って、上井草まつりがこわかった。私も強盗的モイストをされてしまうんじゃないかとヒヤヒヤだった。


「ときに、ここだけの話だけどさ」と言うわりには、大声で、「みどりの店のパンは地獄の業火で焼きましたかってレベルのパンだから絶対買うなよ」


「ちょ、まつりちゃんひどい、店主の前で堂々と営業妨害しないでよ!」


「うるせえ、お前が作るもんはみんな不味いんだよ! 前の店のときは、お前の父さんが作ってたから、まだ食えたよ。だけど、今は何だ。どれもこれも、動物のエサにもなりやしねぇ」


「朝の四時に起きて作ってるのに!」


「うわ、時間と食材の浪費だな、もう明日からやめろよ」


「ひどい!」


「ひどいのはお前だ。毎日どれだけの食べ物を無駄にしてると思ってんだよ。そんなん続けてたら、いつか意識の高い連中から袋叩きにあうぞ」


「でも、おいしいって言ってくれる人もいるし! 飛古野さんは、あたしのコーヒー美味しかったって言ってくれたし!」


「そりゃお前、あれだよ。どうせみどりが、『おいしかった?』とかって潤んだ瞳できいたから、残酷な真実を告げられなかっただけだろうよ」


「え、そうなの? 飛古野さん」


 私は笠原みどりと、視線を合わせないようにした。彼女の目には、露骨に無視したように映ったかもしれない。


「ひどい。よってたかって!」


 そして笠原みどりはレジの奥から飛び出した。


「まつりちゃんのバカァ!」


 それを、上井草まつりは、「モイスト! モイスト!」と叫びながら追って行ってしまった。


 嵐が過ぎ去った後には、私一人が、ぽつんと残された。


「えっと……どうしよう……」




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