超能力暴走バトル編_42
振り抜かれた炎の宝刀は、明日香の体をすり抜け、何ら傷を与えたりすることは無かった。が、次の瞬間だった。真っ赤な球体が明日香の背中から勢いよく飛び出した。
きらきらと光を放つ、魅惑的で、それが悪しきものだとは考えられないくらいのものだった。
本子は、飛び出した後に空中で静止した真っ赤なソレを掴み取ると、ふわふわ浮遊して、達矢の持つ壺の中に投げ込んだ。
カランともコロンとも音を立てることなく壺の中に消えた。
「これで、とりあえずの封印はできました。ひとまず、もう安心です」
本子がそう言った時、明日香が無言で膝を折ってその場にバタリと倒れる。
「あっ」
目を閉じて倒れる明日香を受け止めようと走り出したが、間に合わず、明日香は床にダラリと手を垂らして倒れる形になった。頭を打ったんじゃないかと心配したが、先に膝をついてから横向きに倒れたので、そこまで強く打っていなかった。
そして達矢は、小走りで教室を出て廊下の外に落ちていた鞘に宝刀をしまいこみ、壺をそばに置いてから教室に戻った。
窓から冷たい風が入ってきて、二人の髪を揺らした。
ふと達矢が明日香を見ると、首から掛けられた長方形のペンダントが、淡く点滅していた。
「本子さん、このペンダントは明日香なんだろ? どうすりゃいい? どうすれば明日香は元の体に戻れるんだ?」
「えっと、ちょっと待ってくださいね。今、思い出しますから」
「忘れすぎだろ、大事なこと」
「うるさいですね、呪いますよ?」
「いいから、さっさと思い出してくれ」
達矢が明日香を仰向けに寝せて、ちょっと捲れちゃってたスカートを整えてやり、こいつの体あったけえなぁ、寝顔も可愛いし、なんて浮かれたことを思った頃にようやく本子さんが過去のいろいろを思い出して、
「思い出しました、達矢さん」
「おう、どうすればいい?」
「ペンダントを取り外して、燃やしてください」
「燃やす? さっきの剣でいいのか?」
「はい、本物の炎を使って燃やしてやって下さい。焚き上げです。早くそうしないと、そこに悪いものが流れてきて二の舞になりかねません」
達矢は頷き、宝刀を取りに戻り、鞘から抜くと、一度は青く光る普通の刀のような刀身を見せたかと思ったら、すぐに燃え上がり、刀としての形を失い、剣になった。
もう一度教室に足を踏み入れ、しゃがみこみ、明日香の首からペンダントを外し、片手で脆くなっていたチェーンを無理矢理千切る。それで明日香は少しだけピクリと体を動かした。
「じゃあ、やるぜ」
達矢は、ペンダントに火をつけた。
達矢の中に、記憶が、明日香の記憶が流れ込んでくる。
明日香の幼少期のこと、小学校時代にバナナが好きだというくだらない理由で妙なイジメにあっていたこと、中学時代に家出を繰り返しはじめたこと、両親との関係が揺らぎ始めたこと、ストーカーの恐怖。怯えの感情。担任教師に恋してラブレターを渡した記憶。返事の手紙でフラれて泣いた記憶。かざぐるま行きが決まったと知らされた時の衝撃。何もかもどうでも良くなって家出して街を歩き回ったこと。引越しの準備。無理矢理飛行機に乗せられたこと。悲しそうに手を振る両親。こっそり窓の外を眺めながら泣いたこと。どうして私がこんな目に。その他いろいろ、いつか違う世界で辿った悲しい結末も、古代兵器が正しく発動した幸せな結末も、暴走してしまった結末も、達矢との悲しい逃避行も、幸せな逃避行も、勝利も、敗北も、バッドエンドもハッピーエンドも、いくつもの記憶が灯っては消え、やがて長方形のペンダントは形を失った。灰も残さず燃え落ちた。
情報を載せた何か。ヒトの目に見えないモノは、達矢の周囲を渦巻いたり、達矢の体を通過したりと好き勝手動いた後、持ち主である明日香の中へと戻っていく。
明日香という存在が、明日香の体に戻っていった。
達矢は明日香の名を呼んで肩を叩いてみる。しかし明日香は目覚めない。
「これで、もう大丈夫だよな? 明日香は、助かるんだよな?」
不安になって達矢は訊ねたが、本子さんはこう言った。
「これは、キスしかない。キス。うん、王子様のキスしかない」
「えぇ? おまっ、お前、何言ってんだよ」
「そういうことになってるんです。キスされないと、愛の接吻が無いと目覚められないように仕組まれてるんですよ」
嘘である。
達矢はゴクリと喉を鳴らした。
明日香は、もう無事に助かった。ただ眠っているだけで、少しすれば目覚めるはずだ。今はまだ深い眠りだが、いずれ浅い眠りになり、やがては目を覚ますだろう。
明日香は呼吸している。教室の床に横たわって、肉体の疲れを癒している。
電気が消えて、明日香の明るい炎も消えて、薄暗い教室。後方の窓は熱で変色変形している。カーテンが揺れる。正常な窓から陽光が差し込んで、二人を照らす。窓の外の巨大風車は普段と変わらず、メンテナンス不足で変な音を立てながら回転を続けている。
達矢にとって、明日香は一緒に転校してきた女の子。でも、既にそれ以上の存在に思えていた。
幽霊は、目の前の少女にキスをしろと言う。眠っているにもかかわらず、いや、眠っているからこそしろと言う。
それは犯罪だよと達矢は思う。常識的で理性的な部分はそう叫ぶ。でも、ここは風車の町。ダメな連中が集まってる、法律なんてもんが機能するのが難しい掃き溜めだ。実際、あまり表沙汰になることは無いが、種々の犯罪なんてのは日常茶飯事で、特に湖近くの白い住宅街なんかは夜に出歩いたら危険な町の筆頭でもある。ここだけの話、性犯罪も後を絶たない。達矢の中の弱さが、キスすればいいじゃないかと叫び出す。
人工呼吸だと言い張れば、後で激怒されたり嫌われたりもしないんじゃないかと打算が広がる。
――仕方ないじゃないか。そうしないと目覚めないというのだから。
そんなことを心中で呟きながらも達矢は見抜いていた。嘘だってわかっていた。本子さん流のジョークだということは確信していた。本当はキスとか関係ないけどノリでそういう方向にもって行こうとしているのだと。
だから、達矢がキスすることに決めたのは、完全に欲望に負けた形だ。
好きだから、キスがしたいと。してみたいと。簡単に言ってしまえばそういうことである。
無防備に眠る相手に、相手から好かれている確証も無いのに許可も無くキスをするなどというのは、最悪の行為に他ならない。だけど、もう止まらなかった。熱くなった達矢の体は、目の前の少女を前にして、更なる熱を帯びてきた。心拍数も上がり、息も荒くなる。
――好きだから仕方ない。目覚めないなら仕方ない。俺が守ったんだから良いだろう。いやまだ俺は明日香を守れていない。キスすることで守れるというのならそうしよう。本子さんの言ってることは嘘だっていうのは明らかだけれど。
そして、達矢は明日香の横に正座する。
頬に手をそえて、顔を近付けていく。
「いや、ダメだ」
煩悩を振り払って、一度は離れる。
「ダメだダメだぁ! 眠ってる子を相手にキスなんかできない!」
「何をヘタレたことを言ってるんですか達矢さん! キスをしないと目覚めないというのに」
「いや、でもなぁ、そうは言ってもなぁ……」
「本当に好きなら、本当に達矢さんが明日香さんのことを愛しているのなら、キスをしたところで大丈夫です」
「何を根拠に言ってんだよ」
「カンです! 相思相愛なので、問題ないのです!」
「あてになんねぇよ!」
「とにかく、キスが見たいです!」
「何で!」
「ドキドキしたいんです。いまや本子、幽霊になってしまったけれど、肉体があった時の情熱的感情を時々恋しく思うのです。本子のためにも、達矢さんはキスをすべき、いえ、しなければなりません。大丈夫。明日香さんは達矢さんのことが間違いなく好きですから、大丈夫です。さあチュウを、いざチュウを」
このやり取りでもう、達矢は百パーセント確信した。明日香は何もしなくても目覚めると。けれども、したい。してみたい。まだしたことのないキスを。
「しなければならないなら、仕方ないかもな」
「そうです達矢さん。仕方ない。これは避けられない流れ、ビッグな潮流なのです」
達矢は、よしわかったと頷いて、本気モード。顔つきも男らしいものとなる。仰向けに転がる明日香の体をまたぐと、体全体を隠すように覆いかぶさる。明日香の上に四つん這いになって、顔の両側に手をついて、ふとももの両側に膝をつく形だ。
そのうち片方の手を床から離し、明日香の前髪を分けてみる。さほど長い髪というわけでもないのだが、よりハッキリと顔が見たかったのだろう。
安らかな寝顔、腹式呼吸で息を吸ったり吐いたりしている。
なお、達矢はキスなどというものはしたことが無かったことは先刻も言ったが、明日香もまた然りであった。
静かに、顔を近づける。吐息が、くすぐったかった。
「し、仕方ないんだからな、ごめんな」
達矢は呟く。ごめんとか言うくらいなら、しなければいいのに。
重ねた。いや、奪った。
最初はべったりと、唇で唇を隠すように。ファーストキス。重ねた明日香の唇が少しだけ動く。触れているのかどうかすら判断がつかないほどにやわらかくて、溶けてしまいそうに熱くって。
炎の匂いと、明日香の匂いがした。
達矢は、好きだった。気付いたらもう、あっという間に好きになってた。どこが好きかって言われると、ちょっと困ってしまうくらいに好きだ。それくらい、全部ひっくるめて、清濁あわせて明日香が好きだ。そうじゃなけりゃ、大好きじゃなけりゃキスなんかしない。
一度離れて、もう終わるつもりだった。だけどもう一度。明日香が親鳥からエサを受け取るヒナのように口を尖らせていたからついつい、もう一度。触れた。明日香の上唇を挟むように。下唇に舌で触れてみたり。今度は明日香も唇を動かして応える。
身じろぎして、「ん」とか「んうっ……」とか声を漏らしながら、薄目をあけ、もう一度目を閉じ、腕を動かして達矢の胸に優しく触れる。達矢に伝わる体温。明日香の手には響く心臓の音。
二人きり、幽霊は置いておいて、二人の世界。触れ合い続ける音が響く。二人きりの甘い時間だった。
もう涼しいを通り越して寒いくらいの室内なのに、達矢はとても熱を感じていた。
なんだか、とても、良かった。達矢としては。
そんなタイミングで、明日香は、何度か小さくまばたきした後に、ゆっくりと目を開いた。
目が合った。
明日香は、最初は何が何なのか判らなかった。しかし突然に窓から襲った寒さによる部分もあるだろう、一気に意識が鮮明になって、頭の回転が早い明日香はひとまず置かれている状況を理解した。
「ん、んん~!?」
目を丸くして、口を閉じたまま叫ぼうとしてそんな声が出た。
達矢の胸を思い切り突き飛ばして「ぷはあ」とか言いながら起き上がり、周囲を見回し、自分が学校に制服で居ることを確認すると、前後の記憶が瞬時に思い出せずに目を丸くして混乱しながらも、とにかく達矢にキスされてしまったことを理解して、でも唇を拭うでもなく床に手をついて、
「あ、あの、明日香……さん……」
という達矢の恥ずかしげな呼びかけなんかには応えず、見たこともないような真っ赤な顔で「あわわわ……」なんて口を半開きで喉を振るわせた後には、ただ涙をポロポロ流して、嗚咽と共に流しまくって、やがて顔を抑えたかと思ったら、
「あああああああああああああ!」
とかって、覚醒しかけた時のように叫びながら、教室を出て、所々焼け爛れた廊下を駆け抜けて行った。
教室に、寒いくらいの風が吹く。
「泣かれちまったな。何だかショックだ……。ははっ、でも良いんだ。明日香が助かったから」
搾り出した強がりを呟き、達矢は空を見た。初めての明日香の感触を思い出しながら。
「明日香……」
呟いたプチ不良は、もう一回、今度は起きてる時に、ちゃんと合意のもとで、もっとロマンあるシチュエーションで、したいと思った。
「きらわれてなけりゃいいんだけど……」
「大丈夫ですよー」
「そうだな、気楽にニヤニヤする幽霊の呟きを、信じたいところだが……」
達矢は、窓際まで歩き、ひしゃげていない窓を開放して、風車の町を見下ろした。
さわやかな風が吹く。
こうして、キスと共に明日香は目覚め、町が高熱に包まれた騒動は収束を見たのであった。