超能力暴走バトル編_38
明日香の叫びは止まった。しかし、炎は猛り狂っていて、伝承上のヤマタノオロチってのがもしも居るとしたらこんな感じなんだろうなという形をして数本の炎の帯がバタバタと跳ねるように揺れていた。振り回される新体操のリボンみたいにも見える。
しかし炎の音が響くわけでもなく、その場にあったのは、耳が痛いくらいの静寂。はりつめていた。
「ど、どう、なったんだ?」
達矢が沈黙を破った時、少し気温が上昇したものの学校がドロドロに溶け出すとか、そういったとんでもない事態にはなっていなかった。
戸部達矢の背中に隠れて幽霊と明日香に対して怯え震える宮島利奈と、宝刀を見つめながら立ち尽くす穂高華江の姿。
華江は、刀を抜いたはずだった。しかし、そこに刀の形をしたものは無かったから、格好つけて抜いた後に首を傾げた。
「…………何だい、これ」
穂高華江は、昔からバット振り回して暴れたり、日本刀を振り回して暴れたりした経験が何度もある。というわけで、ドス的なものの扱いに関しては、一日の長があるわけだが、こと不思議な宝刀というものに関しては、振り回した経験など無かった。
確かに、長く伸びている細い棒状のものという意味では刀と変わらないかもしれない。しかしそこには、かつてあったはずの短く青く輝くいかにも刀らしい金属製の刀身が無かった。
刀身の姿は、まるで、炎そのもの。ゆらゆらと揺らめく形をしており、枝状に炎の束が出たり消えたり、プロミネンスのごとく吹き上げたりしていて、色は赤とオレンジと黄の三色で、時々青色や紫色が現れたりしながら絡み合ったり、それぞれの色が出たり消えたり明滅したり混ざり合ったりしていた。
宝刀を封じていた鞘よりも長い刀身は、揺らめいていたものの、まっすぐで、刀というよりも剣と言った方が正確に見えるのかもしれないが、ひとまず刀と呼ぶことにする。
穂高華江は、そんな不思議な刀の扱い方を知らない。
誰かその正しく強力な扱い方を知っている人間が居るとすれば、それは紅野明日香だったり、柳瀬那美音であったり、ファルファーレであったりするのだろうが、彼女ら三人はむしろ今回は敵側なのである。本子ちゃんも知っているはずなのに忘れてるし。
この事態を打開する攻撃力が無いわけではない。普通の刀のように振り回せば、明日香が纏う悪い炎を断ち切ることができる。しかしながら、伸びたり、炎弾を飛ばしたりとか、そういう類のことが出来ない。何本もの枝葉を鹿の角のごとく飛び出させた形状に変化させて出力アップすることも出来ない。不思議グッズの範疇なので、使い方が解らねば、ただのフレイムソードである。
達矢は本子さんに視線を向けた。他に利奈と華江と自分しか居ない中で、最も何かを知っていそうな者だったからだ。
本子さんは、その視線に気付き、
「ハナちゃん。その剣を使えば、切れます」
「ん、ああ。そうかい。んで結局、どうやって戦うんだい?」
「さー、振り回せば切れるんじゃないですかね」
「テキトーだねぇ」
華江は、一つ溜息を吐いて、
「まぁ、とにかく、申し訳ないけど、紅野明日香ちゃんって子のこと、斬らせてもらうよ!」
そして、走り出そうとした、まさにその時だった!
「おかーさんの馬鹿ぁ!」
華江の娘が、走ってきて、目の前の何も無いところで躓いて廊下を滑り、華江にヘッドスライディングアタックを仕掛けた。
華江は小さく驚きの声を漏らした後、声のした方を振り向こうとしたが、その時にはもう、緒里絵の顔面が母の膝に横から直撃。制服を着た母は空中で横向きに回転し、倒れた。教室内に横臥する形になった。
華江としては何が何やらわからなかった。とにかく、またこの娘は邪魔をして引っ叩いてやる、とでも思ったのだろうが、その時、鼻血を垂らした娘は言う。目をこすって泣きながら、
「おかーさんのせいで」
「な、なんだい」
「おかーさんのせいで、Dくんがまつり姐さんと付き合うことになったぁ!」
「え、なんだい、それ」
「許さにゃい、おかーさん、ゆるさにゃい」
ぽかぽかと、拳で廊下を叩きまくっていた。
と、その時だった。達矢は、慌てて「華江さん!」と声を出す。緊迫感のある声だった。
何が起きていたのかといえば、華江さんが着ている制服が燃えていた。
華江は、ようやくそのヤバイ状況に気付き、「わぁっ、やば」と言いながら焦って起き上がった。
このままでは、火傷してしまう。制服の袖と裾とスカートが、同時に炎上。倒れたはずみで華江自身が持っている炎の宝刀が服に触れて、燃えてしまっているのだ。
禍々しくモジャモジャ状態になってしまった明日香と戦う前から、何だってこんなに困難ばかり起きるのかという問題については、なんだかもどかしいと言う他ないが、ともかく華江は宝刀を放り投げて、水場を求めて逃げ出した。
火だるま状態で焦りつつも無言で、階段を降りて行く。
穂高緒里絵も、まてー、と言いながら泣きながら追いかけていった。
なお、宝刀の炎は実在する炎なので、水で消える。
と、ここで補足しておくが、明日香の炎が通常の炎と違うからといって、熱を持たないわけではない。触れれば普通の炎と同じようにとても熱い。
明日香の炎と宝刀の炎、明確な違いを示すとすれば、一番大きなものは、明日香の炎は水では消えないということだろう。触れている『命』を直接燃やすという、非常に冷酷極まるものなのである。だから、たとえば、かつてまつりの制服についた炎は、『制服という存在』を消滅させて、他に燃え移ることは無かった。
つまり、肌に直接炎を喰らわない限り、炎上しない。逆に言えば、皮膚とか体の一部にこの実体無き火がついてしまったら、壺で吸い取るか宝刀で切り裂くかしなければ助からない。存在そのものが消されてしまう。これは、宝刀の炎とは全く違った特性である。
宝刀の炎は、実は現実の炎と全く一緒のものなのだが、暴走状態で炎まみれの相手――明日香のような状態――に炎をぶつけようと考える者はなかなか居ないので、炎が弱点だという単純な話はあまり知られていない。ただ宝刀での攻撃が効くということになっている。要するに、ガスバーナーとか松明とかでも、ライターなどでも明日香の暴走火炎を切り離すことができる。本物の炎を使って、悪しき意識が生み出した悪しき炎をぶった切るのだ。
ちなみに、明日香は、ずっと放っておかれているが、特に寂しいとも何とも思っちゃいなかった。意識は封じ込められたままだからである。
さて、廊下をオレンジ色に染めながら放物線を描いた柄のついた炎の塊は、いつの間にか近くに来ていた上井草まつりの腕の中におさまった。なお、Dくんは既に保健室である。うっかり気に障るようなことを言ってボコボコにされたようだ。保健室には、アルファ、那美音、Dくんが呻きながら寝転がっている状況であり、これで保健室のベッド三つが全て埋まった形である。
体操服姿の上井草まつりは、柄をしっかりと握り締めた。
「おい達矢、まだ明日香を何とかできてなかったのか? キミの親分だろ? はやく何とかしてやればいいものを」
明日香は、ただ静かに目を見開いて止まっている。死んだ魚のような瞳のまま。動いているのは、周囲に浮かぶ光彩と、束になって激しく揺れている炎だけ。
まつりは、明日香の方に向き直り、片手に持った刀を向けた。まるでホームラン予告でもするかのように。揺れて煌く炎は、まっすぐ明日香に向けられた。
というわけで、まつりは刀を両手で握って構え、「おりゃぁああああああああ!」と声を挙げながら静かに暴走する娘に正面から急接近。そして宝刀を振り回そうとした。
しかし、まつりは真っ向勝負が大好きで、あまり学習というものを知らない娘である。
宝刀の切っ先は、明日香に届かなかった。というよりも、振る前に明日香のファイヤが襲ったからだ。
この時の明日香の状態は、未だ半覚醒状態。普通であれば、半径三メートルに近付かない限りは、攻撃されない。しかしながら、何故か上井草まつりに向けての攻撃は、それ以上の距離をカバーしている。どうやら、無意識に敵視しているようだ。心なしか、意識が無いはずの明日香の表情も険しくなったように見える。
かくして、炎の帯三本が体操服やら短パンを燃やし、まつりの髪にまで火をつけた。避けられなかった。
「うぁっ、あっつ! 卑怯! 炎とか卑怯だぞてめぇ! 正々堂々勝負しやがれ!」
しかし明日香は答えない。
「って、やば、燃えてきた、なにこれ、消えないしっ」
まつりは炎のついた部分をリストバンドでこすったり叩いたりしてみたが、火は消えない。やがてリストバンドが燃えて消滅した。
まつりは、恐怖からたまらず炎の刀を手放し、ゴトリと机にぶつかり椅子の上に載った。椅子が燃え始める。カーキ色が炎に触れて、赤や黒へと変色していく。
達矢は言う。
「おい、本子ちゃん。これは、まずくないか?」
「何がですか?」
「教室の炎もヤバめだが、それより先ず、まつりの炎を消さないと」
「ああ、そうですねぇ。体操服の方は消えても彼女が裸になっちゃうだけですが、髪の毛についたのは良くないです。今はまだ先っぽに点いただけですけど、やがて彼女本体を燃え落としてしまいます。まぁ、彼女が燃えたら平和になりそうだから、別に良いのかもしれませんが」
「おいおい、サラリとすげぇこと言うなよ」
「冗談です」
「で、どうすりゃいいんだ?」
「そうですねぇ、達矢さんの持っている壺がありますよね。それで炎を吸い取れば良いのです」
「そうか、わかった」達矢は頷いて、まつりを呼んだ。「おい、まつり。こっち来い」
が、まつりは「ひあああああ」とか言いながら、教室内を走り回っていて、服がぼろぼろに溶け落ちて、またしてもかなり肌が見えてしまっている。達矢は大変ドキドキしながらも、
「まつり! 髪に火ィついてる! そのままじゃ死ぬからこっち来い!」
と大声で呼んだ。が、立ち止まったまつりも悲痛な大声でこう返す。
「こんな格好でそっち行くとか、変態かてめぇ!」
そんな場合じゃないだろう、とは思ったが、そういう態度ならば仕方ない。確かに服を着ていない状態で達矢の前に行きたくないというのは理解できる。ならば、達矢が行くしかない。利奈は達矢の背中に隠れてばっかりで、アテにならないし。
「よし、じゃあそこで待っていろ」
燃えながら、胸と股をおさえて膝をついていたまつりに壺を持って接近しようとした達矢。しかし、まつりは逃げ出した。もうほとんど裸だった。靴と靴下だけは履いている状態だが、もう町を歩いてたら公然猥褻罪で現行犯逮捕されるほどの露出である。
そうこうしているうちに、まつりの腕にも火が点いた。髪と腕が、燃えている。
しかも、まずいことに裸状態であることに気付いた利奈が、「みちゃダメ!」などと言って、後ろから達矢に目隠しなんてしたもんだから、さらにピンチ拡大。
控えめな胸があたるとか、密着ドキドキとか、そんなことを考えている場合でもない。早く壺を使って吸わないと取り返しがつかない。
「ええい、放せ利奈っち!」
「そんなに、裸が見たいの? まつり、わたしより貧乳だよ? それでも?」
「違う! お前は本子さんの話を聞いてなかったのか」
「本子って……あの幽霊……」
「はい、本子です」と幽霊は笑顔で敬礼して見せた。
「ひあああ、オバケーッ!」
そして利奈の手は達矢から離れ、幽霊から体全体を背けてうつ伏せになり、耳をおさえて寝転がった。
普段の達矢ならば、何だこれバカすぎる、などと考えたところだろうが、この時は、上井草まつりを救うことしか考える余裕がなかった。
達矢は壺を両手で持ち、まつりに向けたまま接近する。
衰えない吸引力全開で、悪しき炎だけを吸い込む壺であるため、うっかり炎の帯も巻き込みそうになったが、そこは明日香から発せられた帯の長さが限界に達し、襲われることは無かった。
胸の前で腕をクロスさせて自らの両肩を抱いて炎上しつつ、もう諦めたように足をそろえて女の子座りしているほぼ全裸の上井草まつりだったが、達矢がその背中に静かに接近し、壺を向けると、炎だけが切り離され、あっという間に吸い込まれた。特に燃えて縮んだりしていない短い髪が揺れた。
間に合った。
明日香は、まつりが反撃可能範囲から離れたので、様子見をしていて、達矢は肩で息をしながらも、ひとまずまつりの背中を観賞していて、利奈っちは役立たず極まることにオバケに怯えて耳を塞ぎながら「あー」とか何とか言っている。
上井草まつりは振り返る。てっきり助けてくれたのが利奈だと思いながら。
振り返ったら違った。男だった。達矢だった。達矢は申し訳無さそうに頬を掻いたりしていた。
悲鳴。涙。
廊下に飛び出て校内を全力で駆け抜けても胸は揺れない。明日香や達矢の居る隣の教室に入って、適当に、誰のだかわからない女子の体操服を泣きながら着る。
「……しにたい」
らしくない呟きだった。
そのまま、教室の床の上に四つんばいになり、一日を振り返って、あまりの醜態の連続に絶望していた。これはもう、しばらく立ち直れないだろう。