上井草まつりの章_5-2
朝食、後、部屋でダラダラ。
昼になり、降っていた小雨も上がり、空が晴れた。
それにしても、さっきの志夏の話は突然だったな。
不発弾で『かざぐるまシティ』全域に避難勧告が出てるなんてのは、なかなか信じがたいこと。街の南……というとみどりが言っていたショッピングセンターの辺りだろう。何だか気になるので、ちょっと行ってみるか。
俺は立ち上がり、螺旋になりきれていない階段を下りて、靴を履いて外に出た。
寮から街の南側に行くには、湖畔の歩道を使うのが最も近い。
近いのだが、最短移動距離の短さが移動時間の決定的な短縮にならないことを身をもって知ることになった。
「さて……湖か……」
視界にあるのは、強めの風を受けて時計回りに回転する風車の背中と、縦に伸びる大きな裂け目。裂け目はその向こうの海と空を切り取る長方形の窓のようだった。
まぁ、キレイといえばキレイだが、自然の風景っぽくはない。作られた風景って感じだ。
自然が作った不自然な風景ってのも、存在することはあるだろうから何とも言えんが。
そして、湖畔に目を落とすと……見覚えのある人の姿があった。またしても釣りをしている。
釣竿片手に振り返ったその男は言った。
「よう、アブラハムじゃねえか」
若山さんは釣竿を地面に置いた。
「戸部達矢ですよ」
いつまでそのネタを引っ張る気だ。
トベタツヤで、ベタベタツヤツヤだから転じてアブラで、ちょっと変えてアブラハムということらしい。
「湖に来るなんて、珍しいな、アブラハム」
「昨日も会ったじゃないですか。あとアブラハムじゃないです」
「じゃあ、オイルハム」
「どんなハムだ」
「ハムが気に入らんか。じゃあオイル公」
「俺の名前の原型なくなってんじゃないっすか」
「うーん……そうだな。面倒だから達矢でいいか。そう呼ぶことにしよう。それでいいか? 達矢」
「そこに行き着くまでに随分かかりましたね……」
「まぁ、細かいことはどうでも良いんだ」
「はぁ」
「ところで、聞いてるか? 避難勧告の話」
「はい、南に不発弾って話で……街全域に……」
「ほう、耳ざとい奴だ。で、どう思う?」
「どう思う……って言うと?」
「避難勧告だよ。明らかにおかしいだろうが」
志夏も同様のことを言っていたな。
「と、言いますと?」
「良いマスト? どこだ?」
若山は周囲をキョロキョロ見渡し、そして言うのだ。
「マストなんて何処にも無えじゃねえか」
この人と話してると、何だか疲れるんだが。
「……それで、おかしいって何がですか」
「そうだな……。本当に不発弾があるのなら、人命救助・リスク回避の観点から、住民を問答無用で即刻立ち退かせるべきだ」
確かに。
「それに、本当に不発弾があるならば、何故一週間後までの立ち退きなんだ? どう考えても即刻立ち退かせるべきだろう。費用をいくら掛けてでも。もしモタモタしている間に爆発しちまったら、政府はどう責任を取るんだ」
言われてみれば、そうかもしれない。
「まるで、そうだな。何かに逃げる期間を与えるための宣告みたいな、そんな感じだ」
なんだそれ。俺が頭の悪いせいかもしれんが、言いたいことがよくわからない。だが、政府の発表の何かがおかしいということは理解できた。
そして俺の中に、政府や国ってのに対する不信感……というか違和感みたいなものが生まれた。
国、政府……現在、かつての民主主義政権が崩れてしまっていて、この国は何処のどいつだかイマイチわからない臨時政府が治めている。
「どうして、そんなおかしな避難勧告が出たんですかね」
「さぁな。詳しい事はただの店長であるおれにはわからん」
ああ、そういえばこの人、ショッピングセンターの店長だとか言ってたな。
「店長なのに、こんな所で油売ってて良いんですか?」
「アブラハムに油を売る……か」
「クソ意味わかんないっすけど」
思わず汚い言葉が出るほどに。
「ま、昨日も言ったが、おれはアイドルじゃないんでね。おれ一人が抜け出しても売り上げに影響は出ないさ」
若山は言うと、慣れない手つきでポケットから煙草とライターを取り出し、口にくわえて火を点けた。そして大きく煙草の煙を吸って、
「がはっ、ごほっ、げほっ! けほ……」
咳き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「煙草も、けっこう強敵だぜ……」
「そうっすか」
「よし。じゃあ……おれはそろそろ店に戻るとするか」
言って、「よっこらしょ」と声を漏らした後、釣り道具を手に取った。
「若山さん」
「何だ」
「ここって、魚釣れるんですか?」
「たぶん、釣れないぜ」
「そうっすか……」
もし釣れるんだったら、暇潰しに釣りでもしようと思ったんだがな。
「それじゃあな」
「あ、はい」
「あ、それと達矢。言い忘れたが……」
「何すか」
「くれぐれも、昨日教えたトンネルには近付くなよ。下手すれば……死ぬからな」
「はぁ。今のところそんな予定はないっすけど」
「なら良い」
頷きながら言った。
「ところでうちの店でバイトしない?」
「しません」
「まぁ、やる気になったらで良いからな。じゃあな」
昨日と同じようなことを言って、軽く手を振ると、南の方角へと歩き去った。
空を見上げると、昨日と違って気持ちのいい晴天で、俺は大きく天に向かって伸びをした。
「さて……やることなくなったな……」
若山さんに南側には行くなとクギを刺されてしまった。