明日香がつかまった-7
トンネルの出口が見えたから、女は心を読む力を発動させた。相変わらず明日香から発せられる不快過ぎるノイズ以外に思考の束は見られない。
那美音は意を決して明日香と二人、トンネルの外へと飛び出した。
ずっと暗いトンネルを歩いてきたから、まぶしかった。
砂漠のような世界が広がっていた。雨が降らないこともない、むしろ降水量は多い方なのだが、一面クリーム色の砂浜である。
海から吹く風に乗って砂が運ばれ、町のアスファルトを全て覆っている。
那美音にしても意外な光景であり、明日香にしてみたら限りない高鳴りをくれる景色であった。
だがしかし、冒険の幕開けかと思った明日香にとっては残念なことに、そして逃亡の始まりだと考えていた那美音にとっても残念なことに、何の幕開けでも始まりでもなかった。いや、ある意味、「終わりの始まり」とは言えるのかもしれないが。
那美音は静かに周囲を見渡す。
村は廃墟。朽ち果てた建物が大量に。山肌の崩落によって壊滅した村だから、土砂に半分以上埋まったままの家屋もあった。海は広がっている。苛立つくらいに爽やかな青空との曖昧な水平線だった。しかし、その水平線に、嫌なものが見えた。
尖った船首を那美音たちの方へと向けて走ってくる戦艦。
蜂が飛ぶような音がした。
上空を飛行機械が、旋回している。
飛行機は人が乗っていないようだった。
明日香は能天気に飛行機に手を振ったりしているが、那美音はとてもそんな気分にはなれない。戦艦には誰が居るのか、何故飛行機が飛んでいるのかを理解できてしまったから。
さらに、背後のトンネル出口の隔壁が落ちた。はるか遠くの廃墟から武装した兵隊がわらわら出て来た。大量に出て来た。あのあたりは、そのとき那美音が展開していた能力の影響圏外だった。
明日香はわけがわからなかった。那美音は全て理解した。
柳瀬那美音は、
「ああ、そうね、そういうことね」
と、全てを諦めたような声を出す。意図しない涙が流れた。
上で話がついたのだろう。つまり、両軍の軍隊が手を組んで、柳瀬那美音という用済みのスパイを討ち取ることにしたということ。
もう銃の中には弾は入っていないが、たとえ入っていたとしてもどうしようも無かった。
透明な盾と黒い銃を構えながら向かってくる三十人ほどの兵隊。迷彩服の連中がじりじりと近付いてくる。
明日香は女の腕にすがりついて怯え、那美音は悔しそうに奥歯に力を込める。
逃げ場は無い。罠だった。おびき寄せられた鼠だった。
今更走って逃げたところで、どこまで逃げられるだろう。
少し喉が渇いているくらいで他は万全な那美音ならともかく、明日香は足をくじいたり肩を痛めたりしていて満身創痍。それでなくとも相手は訓練された人間たちと、人間のスピードなんて簡単に追い抜いてしまう機械。
せめて、せめてと那美音は思う。明日香を抱き寄せながら言う。
「ごめんね、色々ひっぱりまわした挙句に、こんな結末しか用意できなくて、ごめん。最低だね、あたし」
那美音は膝の横に手を伸ばす。隠された銀色に輝くものを手に取る。
「でも大丈夫。先に行っていて。あたしも、無事じゃ済まないって、わかってるから」
紅野明日香は、首を傾げた。
――ああ、でも違うのか。あたしは天国なんかには行けないからね。
明日香の胸に、銀色が突き立てられた。そして押し込まれる。
「ぁ……ぇ……?」
せめて、せめてと呟きながら。何条もの涙を流しながら。
那美音の体を、銃弾がいくつも通り過ぎていく感覚があった。痛いというより先に苦しいという感覚が襲ってくる。
長身の女が崩れ落ちるように倒れる。
地面に少しずつ、じわりじわりと赤が広がって行き、明日香の赤と混ざった。
そして、赤が黒へと変わるのを見届けることなく、地面にしみこむのを見届けることもなく、風に飛ばされたり砂に隠されたりするのを見届けることなく、二人の意識は消えてゆく。
目の色は緩やかに明滅を繰り返し、魂は風に運ばれてゆく。
言葉にできなかった最後の言葉、全ての人への謝罪の言葉。
――紅野明日香、それから町の皆、本当にごめん。こんな終わりしか、用意できなくて。
柳瀬那美音の左腕を、兵隊が掴み上げた。
【明日香をつかまえた おわり】