明日香がつかまった-5
トンネルの中に入っても、誰の心の声も聴こえなかった。
大事な場所にセンサーの一つもつけていない現代にあるまじきザル警備っぷりを心の中で嘲笑しつつも、止まったトラックを追い抜いたり、止まった大型トラックとすれ違ったりを繰り返していく。
やがて、トラックの姿が無くなり、黄色っぽい明かりに満たされた世界が遠くまで広がっていった。
果てが無いみたいな薄暗い道を、どこまで進めば良いのだろうか。那美音もこのトンネルを通った経験が無いからわからない。
迷宮になっていたらどうしよう。毛糸球でも持ってくればよかったかな、なんて冗談めかして考えてみても、不安は拭えやしなかった。
ふと心配になって背後を見ると、隔壁は降りていなかった。事前の情報で隔壁が何枚か落とせる仕組みになっているようだが、まだ遠くに町の明かりが見て取れる。そして、かなり遠くまで気を張っているが、誰の囁きも聴こえない。
――このままいけば、脱出できる。脱出したら、紅野明日香という鍵を盾にして町の一つくらい守らせる契約をできるのではないか。
強がりで、甘く優しい那美音らしい思考であったが、既に二重スパイ活動がバレてしまった那美音は裏切り者として両軍の第一攻撃目標となっている。そんな相手と契約を結ぼうなんて連中がマトモな軍隊を名乗っているのなら世界は既に崩壊必至なレベルで狂っていると言わざるをえない。
もはや取引きなどは不可能。仮に政府の軍に遭遇したなら紅野明日香もろとも那美音を抹殺するだろう。仮に民間軍に遭遇したら、那美音を迅速に抹殺した後、明日香を捕えて祭壇にでも立たせるだろう。
いずれにせよ、那美音にとっては窮地に違いなかった。
歩いた。とにかく歩いた。ひたすら歩いた。
入ってきた場所が見えなくなったが、ゴールも見えなかった。
一本道だと言うのに、あまりに単調な風景だったからか、どちらから入ってきたのかわからなくなりそうに思えた。ずっと左車線を歩いているのだから、間違えようがないのだが、もしかしたら謎のループ世界に迷い込んでしまっている可能性もゼロではないとも考えた。
半ば放心状態だったとも言える。
そんな集中が途切れたある種危険な状態を打破したのは、またしても明日香の目覚めだった。
袋の中で沈黙していた者は、モゴモゴと動き出した。「ンー、ンー」という呻き声も漏れてくる。
読心少女の頭の中が、活発なノイズに満たされる。読心能力を切っておかないと壊されてしまいそうだったから、那美音は咄嗟にそれを切った。
那美音はナイフを取り出した。ジーパンの膝の横に隠して仕込んだ極薄ナイフで、煌く刃は銀色である。普段折りたたまれている刃を展開させて袋に切れ目を入れて、その切れ目から内部にナイフを侵入させる。少々危険ではあったが、縛りつけていた中のロープをいくつか切断。紅野明日香を解放し、ナイフを膝の横の一見して何もなさそうな縫い目の中にしまう。
明日香が自力で袋を破る。卵を自ら割った雛鳥のように袋から顔を出し、久しぶりに外の空気を吸った。
「ぷはぁ、何ここ」
ビリビリと袋を破きつつ、両手をコンクリ地面について、這い出てくる。
飛び出した世界は薄暗いトンネルという不思議な風景だった。眠らされる前は青空の下だった。夢の中は色とかよくわからなかった。そして今、黄ばんだ薄暗い世界に立った。
那美音は、申し訳なさそうに笑ってみせたが、明日香にとっては何が何やらわからない。
――ここはどこか? 夢か? 目の前の巨乳美女は誰か? 何が何なのか?
いくつ「?」を浮かべても足りないくらいだった。
那美音は普段とあまりに勝手が違うので戸惑ってしまった。
いつもなら、相手の考えていることなんて相当深くまで簡単にわかるので、言葉の選択が容易なのだが、意味不明なノイズを飛ばしてくるばかりの明日香とはコミュニケーションが取りづらかった。
というわけで、年上の那美音がお姉さん風を吹かして何かを言う前に、紅野明日香が質問した。
「あんた誰?」
「あたしは、柳瀬那美音。紅野明日香さんよね」
まさかここに来て人違いなんてことは無いだろうし、謎の思念波ノイズは明日香特有のもので間違えるはずがない。これは一応確認したという程度であった。
それに対し、明日香は一度頷こうとしたが、すぐに顔の動きを止める。どうして自分の名前を知っているのか気にかかったからだ。
よくよく思い返してみると、袋から出て来たということは袋に詰められていたということであり、出て来た時にロープが視界に入った気がする。背後から口に何かを入れられたのも背中にかかる胸の圧力とセットで記憶していたため、その犯人が目の前の巨乳女だと推定せざるをえなかった。
寝起きの不明瞭さが飛び去り、ハッキリした記憶が戻ってきたところで、明日香は目の前の女に不信の目を向ける。
「何が目的? あ、まさかあんたストーカー? こっち来る前からずっと私を追い回してたでしょ」
半分正解である。
この風車が立ち並ぶ町に来てから明日香を追い回していたのは那美音であるが、元いた町で監視していたのは別の人間だ。
那美音は説明が面倒だと考え、「そうよ」と、ひとまず肯定することにした。
嘘が苦手なわけではないのだが、普段、相手の思考が全部筒抜けな環境ばかりで、それに慣れてしまっているので普段以上に嘘を吐くという行為に対して不安になり、慎重にならざるをえないのだ。
所詮は超能力を持ったことでついた自信なのだ。それが通用しない相手に対してやりづらいのは当然だ。
明日香はどうしてか悔しそうに声を出す。今にも泣きそうな、鼻に掛かったような声。
「何で? どうして私を追い回すの? べつにそこまで可愛いってわけでもないし、意味わかんないんだけど。私が何かした? それとも私の親とか友達が何かしたの? 何なの?」
那美音はただ静かに首を振った。
どう言っていいのかわからず、また那美音にとっても何をどうとか明確に説明できるほど理解できちゃいないのだ。
町全体を覆うほど広い範囲を盗み聞きできる那美音でも理解できないのだから、ずっと眠らされていた明日香に理解できるわけもない。
ただ一つ言えるのは、
「急いで逃げないと取り返しのつかないことになる」
「え?」
顔をくしゃくしゃにして訊き返すのも無理はない。
それでも余裕を持てない那美音は「とにかく行くわよ」と強引に明日香の手を引く。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」振り解く。「ちょっとは説明して――」
明日香は言いかけて、固まった。
那美音が銃口を向けていたからだ。
うるさいメスをとにかく黙らすにはこうするしかない、などと思ったのだろう。手を震わせることなく明日香の眉間に向けている。
「黙ってついてきなさい」
「ちょ、もしかして、これって、誘拐? 私どうなるの? 監禁? それとも換金? 猟奇的にいろいろされちゃうの? ねぇ」
「黙りなさいって言ってるでしょう」
那美音は再び銃を向ける。
しかし、一度は怯んだものの、そこに殺意が無いことを感じ取った明日香は、那美音を相手に互角に渡り合おうとする。
「少しは説明してよ。歩きながらでいいから」
「……わかったわ」
那美音にとって、つくづくやりにくい相手だっただろう。
二人は隣村のあった方角へと歩いていく。袋とロープを置き去りにして。