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明日香がつかまった-2

 大きな袋の中には、明日香が居る。


 学校から坂を下って辿り着いた湖のほとり、そのベンチに座った紫色の女は、無線機を手に取った。思考の届かない場所と連絡をとるためである。もっとも、思考の届く場所であっても、那美音は無線機を多用する。


 何故ならば、那美音は自らが指定した範囲内の思考を読み取ることはできても、特定の相手に思考を飛ばすことができないからだ。


 思考を飛ばすことができないという意味ではない。那美音はテレパスである。人の心を読むし、人の脳に直接思念を叩き込むことだって可能だ。


 ただし、その距離を自由に指定することができても、細かく範囲を指定できない。飛ばされた思念はまるで水の波紋のように広がり、那美音のもとへと収束する音の波はまるで排水溝にできる渦のように飲み込まれる。


 那美音は訓練によって波を取捨選択して聞き分けることはある程度できるが、飛ばす方の波紋を精密にコントロールする術を身につけてはいなかった。スパイという立場にとって、どちらが必要かと言えば、聞き取る方の精度が重要なためだろう。


 大きな声を飛ばせば放射状に遠くまで届いてしまい、小さな声を出せば狭い円形範囲にしか届かない。心の声を内緒で聞き取ることは得意だが、内緒話をするのは苦手なのだ。


 那美音は口元に黒いボディの無線機を構え、前髪を揺らす強い風の音にかき消されないくらいの堂々たる声で、


「標的、ストローベリーを確保しました」


 僅かな沈黙の後、無線機から男の太い声。ノイズ交じりに、


『C地点にて待て』


 すぐにブツリと通信が切れる音がした。


 袋を抱え、すぐにその場所に那美音は向かった。


 事前にAからKまでのポイントを暗記していて、Cとは何処かと言ったら、中華料理屋のことである。といっても、ショッピングセンターの中にある中華料理屋ではない。既に営業していない商店街の中華料理屋だった。


 かつて那美音がこの町に居た幼少期には、まだ店だったが、今や廃墟となった路地裏の中華料理屋。なお、ショッピングセンターに移転しただけであって、店の看板そのものが無くなったわけではない。


 那美音は昔のことを思い出しながら寂れ切ったシャッター通り商店街を歩く。


 意外と路地裏に良い店が多かったな、なんてことを心の中で呟きつつ、一歩ずつ歩き、かろうじて営業していたクリーニング屋の横、その細い路地の向こうに歩いていく。


 風の吹かない狭い路地裏を少し歩くと、かつて肉まん等を販売していた出窓が見えたが、そこは長いこと開いていない様子だった。


 手前にある扉を開けようとするが、開かなかったので乱暴に蹴破った。その衝撃で、うっかり肩にかけていた大きな袋を壁にぶつけてしまったが、中身が目覚めることはなかった。


 ほっと一つ息を吐き、扉を開けて中に入る。今はもう、誰も住んでいないようだった。


 ここがC地点。待ち合わせの場所に指定されたからには、何かがあると考えて左右上下を見回してみる。


 が、何も無かった。周囲に誰かの思念も感じない。


 那美音は靴を履いたまま時間が止まった中華料理店の中を歩く。


 彼女が歩いた場所に積もっていた埃が剥がされ、足跡ができた。


 木製の椅子を引く。どうにか座っても大丈夫そうだったので、そこに座った。


 周囲に気を張りながら誰かが来るのを待った。


 しばらくの間、自分は何をやってるんだろうなぁ、なんて考えながら呆けていると、半径三十メートルほどの範囲に張った網に、政府の関係者と考えられる思考の男が入ってきた。町のメインストリートではなく、裏側から入ってきたことに加え、思考の内容が、


(面倒くせえな。どうして自分がこんな伝言役なんてやらねばならんのだ。まったく、面倒くせぇ)


 伝言役。どうやら大佐が寄越した下っ端のようだ。


 男は埃まみれの出窓から室内をチラリと覗いて女の姿を確認すると、


(あれが、大佐の言ってた超能力部隊のスパイ女か。どういう原理か知らねぇが心を読むらしい。考えてることを悟られないように、心を無にするんだ)


 などと考えながら、


(ドア。無。ドア、無。開ける。無。鍵、無。いや開いて、無、る)


 などと思考に時々「無」の一文字を混ぜるという無意味なことをしながら扉を開けた。


 服装は、至って普通の市民。チェックのシャツをベルトにインして眼鏡をかけた二十から三十代ほどの男。どちらかというと痩せている。


 那美音の方から声を掛ける。


「大佐の部下ね」


 すると男は心の中で、


(うわ、いきなりバレたぞ。心を無にしきれなかったか。つーか、面倒だし無理だろ何も考えないことなんて。別に隠すようなことなんて大して無いからな。自分はここで女を受け取り(ふね)に戻れば良いだけだし、変に隠そうとすると逆にボロボロとハートボイスがだだもれしちゃう可能性ありだな)


 などと呟き、那美音が足元に置いていた明日香の入った袋に視線を落とした。


 那美音はその視線に答えるように、


「生かしたままよ。大丈夫」


「薬を飲ませたのは?」


「四十分ほど前かしら」


「なるほど」


 男は考える。


(とすると、少なく見積もってもあと五時間は保つだろう。それまでに大佐の艦に連れ帰ることが可能かな。さすがにもういっちょ投薬ってのは致死量ギリギリって話で危険すぎるからやめた方がいいけど)


「縛ってあるから、急に暴れ出すことは無理だと思うけど」


 さらに男は余計なことまで思考する。


(それにしても、何だか可哀想だな。まだ十代だって話なのに重たいもん背負わされちまって。結局、イレギュラーな兵器なんて存在させちゃいけないってんでこの女の子、結局は殺される破目になるってのに)


 そこまで読んで、柳瀬那美音はジーパンと下着の間に挟んでいた銃を素早く抜いた。


 男は驚愕の表情で、「は?」とアホっぽい声を出すしかなかった。


 政府軍の視点に立つならば、心無いサイボーグでも寄越すべきだっただろう。あるいは、空母内で日夜研究に勤しむ天才武器職人でもいい。とにかく心を読まれてしまうような人間を使いに出すべきではなかった。


 幼馴染の少女のような、おしゃべりな思考に対して、怒りと呆れを抱きつつ、那美音は銃を持つ手に力を入れる。実は射撃が苦手な那美音だが、この至近距離ならば外す方が難しい。


(い、いやいや、ちょっと待ってくれ。今何か変なこと考えたか? 別に、何がどうなっても町が滅ぼされるなんてことは言っちゃいけないって話だったから全く思い浮かべないようにしてて……って、今思い浮かべちまった。やべえ、これどうなるんだ、銃口。やべぇ、良い銃だな、でもやべぇよこれ、やべ――)


 最初は、撃つつもりは無かった。脅しのつもりで抜いた銃だった。紅野明日香が消されることは那美音にとってそこまで重要なことではない。ただ、町が滅ぶと聞いて、激しい怒りを抑え切れなかった。


 悔しさで食いしばった歯で、顎が痛いし微かに耳鳴りがする。


 倒れた人間が舞い上げた埃が顔を襲って咄嗟に払う。


 男の思念の波が消え去る。


 那美音は袋の中身を確認する。


 ノイズは無い。全く起きる気配は無い。それでも彼女は生きている。呼吸している。


 袋の中に手を入れて、少女の頬を優しく撫でる。袋から自らの手を出し、袋の口を縛る。


 今、この男は何と言ったのか。


「町はどの道消え去ると……この娘はどの道死ぬと、そう言ったの?」


 男は答えなかった。


 風にさらわれて町の人間の耳に届かぬまま消えた銃声。那美音は思う。薄れた怒りに任せて弾丸をもう一発撃ち込みながら思う。


 紅野明日香がいずれにしても死んでしまうこと、それはギリギリ許せることだ。ただ、町を滅ぼすのは許せない。町が滅ぶ。たとえば滅ぶ前に避難するにしても、町がバラバラになるのは避けられない。


 悪名高いこの町を「ハイそうですか」と丸ごと受け入れてくれる場所なんて、地上のどこを探しても有り得ないのだから。


 町がバラバラになる。それは、もう二度と元に戻れないということだ。


 そんなことになるんなら、それが現状で不可避なら、どんな蟻地獄だったとしても抜け出そうと、もがくしかない。


 再び袋の口を閉じ、彼女は廃屋を後にする。足裏に汚いものがついていないのを確認して、扉を閉じた。




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