ブルースクリーン-4
前が見えなくなるくらいに大きくて、土嚢みたいに重たい荷物を手に持って坂をのぼってくるのは重労働であった。
箱を廊下に置き、少しストレッチをしてから理科室の戸を開けると、紗夜子が居た。
「よぉ、紗夜子。元気だったか?」
「まぁ」
無表情だった。
「まだ、怒ってる?」
「何が?」
別に怒ってるというわけではないらしい。けど、実際どうなのか。表情があんまし表に出ないからわかりにくい。
「パソコンのこと」
すると紗夜子は、無表情で固まった。
「すまん、俺が悪かった」
土下座した。何回土下座すればいいんだろうかなんて心の中で笑っちまった。
「ゆるさない」
許してもらえなかった。ダーティな心の内を見透かされたのだろうか。
「ごめんなさァい!」
声を裏返しながら言っても、無言を返された。絶対に怒っていると思った。
だから、顔を上げた時にすでにベッドに寝そべって漫画を読み始めている紗夜子の姿を見て、拍子抜けしてメガネがズレたような気分だった。いや、メガネとか掛けてないけど。
ずっと背中向けてる紗夜子に語りかける。
「おこって、ないのか?」
「だって、データあるし、たっちーが新しいの買ってくれるっていうしー」
「いや、でもその、詳しくはないんだが、若山さんの話では中身とかがな、大事なものが……」
「別に。だって、バックアップとってるし」
「ばっくあっぷ?」
「ノートパソコンに入ってたデータは、すべてコピーしてあるってこと」
「ちょっと待て。じゃあ、何だ、あれか。そんなに深刻になる必要もないって話だったのか。ははは。あれ、じゃあ何であの時、あんな泣いたんだ? 嘘泣きか? はははっ」
俺はそう言って笑ったのだが、何故だか紗夜子は棒読みで、
「あっはは、何言ってんのたっちー。ふざけてんのー」
これは怒りのサインだと受け取った。もう余計なことを言わないようにしよう。紗夜子にとってあのボロいノートパソコンが愛着あるものだったとしても、新たに購入した二百万のコレには劣るはずなのだから。
俺は、紗夜子の名前を呼んだ。
「なにー」
あくまで俺と目を合わせる気が無いらしい。
まさかとは思うが、パソコンを持ってこない限り目を合わせない気なのだろうか。
なんかそれ陰湿だよ紗夜子たん。
で、とにかく、だ。俺はパソコンを理科室へと運び込んだ。
「こっち向け、紗夜子」
「何でよ」
「パソコンを買って来た」
高速で振り向いた。もしも紗夜子がフィギュアかなんかだとしたら、首もげるんじゃないかってくらいの勢いで。しかも普段の腐った瞳からは考えられない煌きに満ちた双眸で。
紗夜子は箱の姿を認めると、読んでいた漫画を放り投げてステテテと歩み寄ってきた。
まるで、誕生日を祝ってもらって箱の中からケーキが出場するのを心待ちにするような態度であった。
そんな紗夜子が心底可愛い。
俺は箱を開ける。発泡スチロールで固められた場所から、大きなパソコンを取り出した。ハイスペックなデスクトップ型パソコン。巨大なワイドモニタとの一体型だった。若山さんが胸を張って推して来た逸品である。
CPUが最新軍事用だの、記憶容量ハンパないだの、メモリ超ヤバイだの、グラボがどうのこうのだの、わけのわからん呪文みたいな説明を受けたが意味わかんなかった。
しかし、紗夜子はパソコンを嬉々として配線し、起動し、操作し、スペックを表示する画面を確認したらしく、若山さんと同様の呪文を興奮気味に唱えて歓喜していた。しかもタッチパネルもできてテレビも見られるという優れものであることも判明。以前までのしょぼいノートパソコンとは違うと叫んで五分くらい知らない単語を連発してハシャギ続けた。
「うっそぉ! うっそぉ! なにこれぇ。すごい!」
あの腐った目の紗夜子が、目を輝かしている。
なんとも嬉しい。これだけで二百万円の価値があるかと言われれば、微妙なところだと言わざるをえないが。
「あはっ、なにこのサクサク感!」
菓子でも食ってるみたいなこと言っていた。
「これで許してくれるか、紗夜子」
「うん、許す許す」
「ちなみに、ひとつ教えて欲しいんだが」
「なに。何でも答えるよ。星座? 血液型?」
「いや、そういうんじゃなくてな」
「なに」
「どうして俺が、ノートパソコンを水底に沈めたのがバレたのかってことがだな、聞きたい」
「あぁ、簡単だよ。だって、パソコン無かったし。もしかしてパソコンが走って逃げちゃったんじゃないかなって思ってカーテン開けてみたら、湖の方が見えるでしょ。そこにキラキラしたものが転々としてたし。まさかと思って、それ辿ってみたら湖に続いてて、潜って、引き上げて、怒りが湧いてきて、でも頭冷やさなくちゃって思ったからシャワー浴びたの。パソコンと一緒に。その後に、たっちーが犯人だなって思って部屋で待ってた。それだけ」
「そ、そうか。いや、その、ごめんな。大事なパソコンを」
「まぁいいよ。そろそろ寿命だったし」
すごく機嫌が良いみたいで、何よりだった。
俺にはこれから労働基準法も裸足で逃げ出すような地獄のタダ働きが待ってるけどな。