ブルースクリーン-3
というわけで、だ。俺は上井草電器店とやらに足を踏み入れた。
店番していたのは、悪名高き上井草まつりだったが、その時は暴力よりも紗夜子にガッカリされっぱなしであることの方が重大なことだった。
店内は、テレビばかりが並んでおり、しかも時代遅れなことに薄型テレビはほとんど無く、ブラウン管ばっかりだった。
「キミか。何か用か?」
「ああ、パソコンが欲しいんだ」
「パソコンか。ちょっと待ってろ」
そしてまつりは、一度店の奥に引っ込んだかと思ったら、古めかしくて黒いゴツゴツしたもの。一見すればノートパソコンに見えなくもない物体を差し出してきた。そうだな、はっきり言ってしまおう。
ワープロだった。
俺は、やれやれといった調子で、
「おいおい、まつり。これはな、ワードプロセッサっていうんだよ。文字打って印刷するのが役割のほとんどなんだよ。パソコンとは呼べないんだよ」
するとまつりはこう言った。
「はぁ? 殺すぞ?」
何なんだよ好戦的過ぎるだろ。
「お前……」
「あぁ? 『お前』だと? 馴れ馴れしい奴だな。しねよ」
どうやら俺は嫌われたらしい。しかし、ここまで言われて言い返せないのでは、男としての沽券にかかわるというか、なんというか。
「おいおい、客に向かって『しね』とは何事だ。何だこの店は!」
「あぁ? 出て行けクレーマー!」
まつりのそんな声が耳に入ったかどうかってタイミングで、音速のごときスピードで間合いを詰めてきた上井草まつりの右拳が俺を襲った。
避けられずにガシャーンってなった。
吹っ飛んで、出入り口のガラス扉を割って、店の外に出たのだ。
驚いて目を丸くする俺と、カシャンカラカラと崩れるガラスの音と、強い風の音とか風車の回転する音とかがあって、そこまでやったってのに上井草まつりはまだ怒ってて、
「キミ、最低だな。ガラスまで割りやがって、後で請求するからな!」
ちょっと、手の甲とかガラスで切って痛かったけど、パソコンを失った紗夜子のハートはもっと痛かったに違いないんだ。
湖に来た。若山さんが居たので、俺は話しかける前にいきなり土下座した。
若山さんが、ショッピングセンターの店長であり、しかも家電売り場が主戦場だという情報を事前に得ていたからだ。
若山さんは釣竿をユラユラさせながら言う。
「おいアブラハム。いきなり何だ」
「お願いします!」
と、俺は地面に向けて叫ぶ。
「だから、何だって訊いてんだがな」
「パソコンを、ください!」
「どういうことだ」
俺は、パソコンが壊れたという話をした。そして、パソコンが無いと生きられない人間の話をした。そりゃもう、同情を誘うように上手く言ったつもりだった。まつりに吹っ飛ばされた話もした。手の甲のキズを見せて、そりゃもう理不尽さを語ってやったさ。
しかし、若山は言ったんだ。
「ほほう、それは良い機会だな。ウチでバイトしろ」
アルバイトで時間を縛られるのは嫌だった。紗夜子と過ごす時間が無くなってしまう。
「いや、でも、紗夜子を置いてそんな……」
「なんだぁ、紗夜子ってのは。二十四時間監視が必要なペットでも飼ってんのか?」
「ペット? や、そ、そういうわけじゃ、ないですけど」
「じゃあ良いだろ。朝十時から夕方までな。明日から来い。どっちにしろ、来なかったらパソコンは手に入らないわけだろ、その上井草って娘を怒らせたんだったら」
正座しっぱなしだったから、俺の脆弱な足が疲れてきた。それでなくても泣きそうなのに、足の痺れで涙目になる。
若山は付け足すように言う。
「バイトするんだったら、先にパソコンをくれてやってもいい」
「本当ですか?」
俺は涙を飛び散らせながら歓喜した。
「やります! バイト!」
俺のアルバイトが決定した。
店頭でのレジ打ちと、商品の説明をしたり、ショッピングセンターの裏にあるトンネルからトラックで運ばれて来た品物をエレベーターに載せて運んだりするのが俺の仕事となったが、さすがにプチ不良で初心者の高校生にさほどハードな仕事は回って来ず、楽勝だった。
楽勝だったのだが、給料はもらえなかった。
何故なら、そのままパソコンの代金となったからだ。ちなみに、パソコンの代金を払い終えても、まつりの店のガラス修理代を払わねばならないことになったため、タダ働きが続くようだ。
何だか腑に落ちない点が幾つかあるのだが、とにかく重要なのは新しいパソコンが手に入ったということだ。
昼の休憩時間、中華料理屋で買った豚まんを控え室で食っていたところ、若山さんは、俺の前に真新しい箱を置いた。
何だろうかと首を傾げると、若山さんはこう言った。
「これが、この町で出来る最高スペックだ。少々改造したから、ものすごい快適だぞ」
「おお、それは、紗夜子よろこびます」
「ちなみに、このハイエンドPCくんの値段だがな……」
「いくらですか?」
「二百万円だ」
耳を疑った。
「……へぁ?」
変な声が出た。
「話を聞いた限りでは、最高スペックじゃないと満足しなさそうなんでな、とびっきりのを組んでやった。まぁ、達矢はしばらくタダ働きだな。はっははは」
笑い事じゃない。
いやしかし、パソコンというものが高価なものだってのは大いに理解できる。その中に入っていた数多の情報のことを考えれば、二百万でも足りない場合もあるかもしれない。
果たして、紗夜子のノートパソコンの中身にそれだけの価値があったのかどうかは、壊れて水浸しとなってしまった今では不明だけどな。
というわけで、俺は二百万というリアリティに乏しい数値に全力で表情を引きつらせながらも、
「ありがとうございます、若山さん」
そう言って、紗夜子の元へ一刻も早くパソコンを届けようとしたのだが、
「まぁ待て。達矢は夕方まで仕事だろう」
「もう、やめていいっすか?」
「そんなふざけた話は無いだろう」
「……ですよね……」
日が沈むまで働いた。