アルファと本の出あい-2
闇の中を、赤いリボンの少女は大きなものを持って歩いていた。斜面をのぼっていた。
前日、家を出るときに焼きついた風景。
積もった雪が、深くなっていた山。急斜面。三十度、いや四十度くらいの傾斜があるかもしれない。木造家屋の屋根で慣れない雪下ろしをしていた兄たち。見慣れない雪で遊んでいて兄に怒られて言い返す姉と、その友人たち。
少女は雪崩が大きくなる前にあえて雪崩を起こすべきだと思った。
それが、家や麓の人々を守ることだと知っていた。
そうしないと自分の家も友人の家も巻き込まれると思った。
深々と雪が降り続く夜。彼女は鈍感に眠る二人の姉、その四本の腕から逃れた。
雪崩が起きる。
本から流れ込んで来る知識の中にあった。
確実というわけではない。もしかしたら大災害が起きるかもしれないというレベルの話だ。
厚着をして外に出た。
寒かった。息が白かった。
フードをかぶった。
彼女の肌よりも白いものが、黒い空から落ちてきていた。
彼女は、雪下ろしをする道具、平らで重たい金属が先端についていて、持ち手の部分は木で出来ているものを掴んだ。巨大な手作りスプーンみたいなものだ。
重たかった。
少女が運んでいるのではなくて、その道具に少女が運ばれてるかのようだった。
大人の男でも、非力なタイプなら自在に振り回すのが困難そうなもの。四歳児にはとてもじゃないが持ち歩くことなんてできなさそうなもの。
それでも、やらなくてはならなかった。
既に、いつ雪崩が起きてもおかしくはなかった。
狼が軽く踏んだだけで起きるかもしれなかった。
雪崩が起きるのは確実だった。
重要なのは、その発生地点。
どこから崩壊が始まるかで、大きく変わる。
四歳児は重たい物体を持って、少しずつ、ほんの少しずつ急斜面をのぼった。
白い吐息。
数時間歩いた。
日の出の時間になった。
いつもなら何でもない目覚めを迎える時間。
日の出を喜んで、今日もキレイだな、なんて言う時間。
「ここだ」
彼女は小さな声で呟いた。
それは、ほんの小さな一撃だった。
計算されつくした角度に、計算されつくした一閃。計算されつくした方向に、激しい白い波が、咆哮のような轟音を上げながら煙のようなものを立てながら落ちていった。
自分の家が、ない方に。誰の家も、ない方に。
針の穴を通すような、そこしかないというポイントを刺激して、自分の家と、その先にある集落や友人の家に向かう雪崩を分散させた。
鳴り響き続ける轟音の中で、彼女は大きく溜息を吐いた。
集落に明かりが灯った。直後、自分の家にも明かりが灯った。
小さな人影が、ぽつぽつと家の外に出てきて、彼女を指差した。
走り出した。
彼女は集落を救ったヒロインになった。
専門家がやってきて、彼女の功績を分析して讃えた。
赤いリボンの天才少女と呼ばれた。
政府の人に連れられて、トップクラスの学校に入れてもらった。
勉強もした。勉強させてもらえるのに、入学金が無料どころかお金までもらえた。
知識はずっと流れ込んで来ていた。
山の上に豪邸が建った。
飛び級に次ぐ飛び級の果てに、史上最年少で卒業すると、世界の事情から彼女は半ば強制的に軍に入れられた。
軍に入ったら、久しぶりに友達ができた。大人の男だった。白人の男で、どっかの国とどっかの国のハーフで、相手が子供だというのにナンパして、きみ可愛いね、きみの姉ちゃんとか紹介してくれよ。とか声をかけてきた。
大きなリボンが、母ちゃんの作るパスタみたいだと言われた。
バカにされてるとは夢にも思わなかった。
いろいろなことを教わった。
大人と話すのは面白かった。
あだ名をつけてもらった。
ファルファーレというのはパスタの種類の一つだった。
その名を本名にした。祖父からもらった本当の名前を使うと何かと都合悪いことがあったからだ。
本名ファルファーレ。
そこから一部を抜き取って、アルファと名乗ることにした。
ギリシャ文字で一番目の文字だったというのもある。
一番は好きだった。
アルファは、ロケットを作る部門に配属された。
あっという間に一番に、責任者になった。
天才だったから。本の知識があったから。
ロケットが引っ張っていく乗り物に乗って、他の星に移住する計画が立ち上がった。アルファ計画という名がついた。
ロケットから何から何まで、全ての設計が、アルファに任された。
人類の再出発、その最初の計画。
極秘中の極秘の計画は、決行された。
アルファの家族は、名誉ある移住者第一号になるはずだった。
人工衛星に見せかけて打ち上げられた。でも――。
爆轟。
信じられなかった。
そんなはずはないと思った。
受け入れたくないと強く思った。
人のやることだから、どこかにミスがあったのかもしれない。
そのミスは、もしかしたら故意に引き起こされたのかもしれない。
事故かもしれない。事件かもしれない。失敗したことに変わりは無い。
何人かの家族が、その命を自分の自信作と共に散らしたことにも変わりは無い。
着ていた白衣をビリビリと破こうとした。
少女らしい非力さは、それをさせなかった。
涙が落ちた。
膝をついて崩れ落ちた。
忘れることにした。忘れることができなかった。それでも忘れようと記憶を押し込めた。
幸か不幸か、彼女には毎日大量に流れ込んでくる知識があった。
少女らしい弱い心は家族の悲しい結末を、新しい知識で上書きしようとした。
やがて、ただ失敗した悔しさだけが残った。
それでも、プロジェクトの失敗は多くの人への打撃を意味する。
それだけでも十分に涙を流せた。
でも、どうして、どうしてと自分を責めても、原因がアルファにあったわけではなかった。どうしようもなかった。でも、責任者だった。責任をとることになった。
武器を作れと言われた。
爆弾とか、ミサイルとか、そういうものだ。
小規模なものから大規模なものまで。
従うほかなかった。
自分の作った兵器の使い道も理解していた。
嫌だった。
誰かに助けを求めたかった。
少女らしい非力さはそれをさせなかった。
知識ばかりがあった。囲われないと生きていけなかった。知識があるからそれに気付けた。知識があるからそこから抜けられないと理解できた。諦めるべきだと思った。諦めたくなかった。
そんな時、アルファはある噂を耳にした。
軍の中、どこかに存在すると噂の超能力部隊に、心が読める人間が居ると。
アルファは、その超能力者と話がしたかった。
自分の心を読んで欲しかった。
そして、苦しみを分けたかった。
少女らしい脆弱さを、誰かにわかってもらいたかった。
責任なんて持ちたくなかった。十代になったばかりの、弱く幼い少女にとっては、ひどい苦痛だった。
楽しみがアイスクリームくらいしかなかった。いつも友達にして部下でもある男に買いに行かせていた。
それでも、苦痛とはいってもアルファにしてみれば、祖父や両親が死んだことなんて、忘れていたから幾分か苦しみは少なかったかもしれない。
家族のことを忘れたから、兄や姉や弟のことも忘れた。
この頃から、赤いリボンをつけなくなった。
そんなものをつけていた自分の記憶を忘れたから。
過去を捨てたから。
アルファ、本名ファルファーレは、超能力者に向けて何度も呼びかけた。心の中で、助けに来てよと呼びかけた。話を聞いてと呼びかけた。
一度だけ、連絡があった。
それは、紙に書かれたメモを、友達を介して届けてくれただけだったけれど、彼女にとっては宝になった。
『安心して。あたしはあなたの味方』
味方ができた。
嬉しかった。
繋がってる感覚があった。
もしかしたら、それは錯覚だったかもしれないけれど、そう思えたことが、何よりも喜びだった。
あるいは、会ったことのない超能力者は、アルファにとって絶対的な神様みたいなものだったかもしれない。
アルファは武器を作った。作らされた。
ロケットは絶対に作らなかった。失敗した計画のリベンジをする気には、どうしてかなれなかった。
心の奥底にしまいこんだ嫌な記憶が蘇った場合、何が起きるかわからないと上層部も考えた。そこでアルファからロケットや宇宙に関するものをなるべく見せないようにした。
兵器開発のアドバイザーみたいなポジションに落ち着いた。
戦闘機やら、爆弾やら、銃火器やら、ステルス性能つきの色々やら。その他いろいろ、エトセトラ。
いつも最先端のものを見て、重要な作戦があれば帯同させられた。
爆弾解体の際にアドバイスを求める電話が掛かってくることもあった。
空母の中に世界でも有数の研究施設が作られ、アルファに与えられた。
アルファのアイデアや設計は、多くが採用されていった。
アルファのアイデアや設計は、いくつもの命を奪っていった。
勲章がいっぱいだった。