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アルファと本の出あい-1

 幼少期だった。


 真っ赤な大きなリボンが側頭部で揺れていた。姉のおさがりだった。


 銀髪で白い肌の少女は、達矢と出会った時点でも幼女と言って差し支えない容姿をしていたが、この頃は更に幼かった。


 一般的な日本人であれば、幼稚園に通っているくらいの年齢である。


 その白い娘は、四歳にしていくつかの集落と家を救った。


 花の咲いた世界に憧れながら、山にある小さな木造家屋で暮らしていた。


 雪が降っていた。


 十一人の大家族の一人だった。


 彼女の『知識』は、雪崩を引き起こした。


 彼女の居た場所は、豪雪地帯ではなかったが、その年は例年では考えられないほどの豪雪で、彼女には、そのまま山に雪が降り続ければ家を飲み込むほどの雪崩が起きることがわかっていた。


 何故彼女にそんなことがわかったのか。


 それは、一冊の本との出会いがあったからだ。


 まったくの偶然だった。


 偶然のことを運命と呼ぶのかもしれなかった。誰が用意したものなのか、神さえも知らない運命というものも、あるのかもしれない。


 運命の邂逅は、過去になった。過去の事実は歴史になった。少なくとも、彼女の記憶の根幹に刻まれた。


 本に触れた途端に、世界が変わった。


 それまで知らなかった知識が、わずか四歳の幼女に、その無垢で白紙の領域に黒い雪崩のように押し寄せた。


 寄せてはかえす波というわけではない。常に新しい知識が塊となって供給され続けた。


 それは、達矢と出会った後にも続いていた。


 頭の中に、いくつもの「使える知識」が入り込んだ。「使えない知識」も入り込んだ。この世の全てが入り込み続けた。


 はじめは苦しかった。ものすごい頭痛が襲った。でも、二十分ほどしたら慣れた。それからは、特別気にすることもなく日常生活を営むことができた。


 人間は常に新たな知識を求め、ゆえに知識を手にする方法を求め続ける。彼女が手にした新たな力は、その蓄積された知識の延長拡大版でしかなかったのかもしれない。


 とはいえ、その膨大な情報量は、かつて人を壊す呪術兵器だと勘違いされたこともあるほどのものだったが。


 なるほど確かに常人なら耐えられないかもしれない。たとえば、目の前の景色から限られた情報だけしか引き出せないような成人からすればそうだ。これに耐えるには、サイボーグなど常人を超越した何かになる等、何らかの開発が必要だろう。


 しかしながら、彼女は子供だった。幼少期児童の情報処理の量と質は、大人を圧倒的に凌駕する。そして、一度クセをつけて染み込ませてしまえば、その方法論は簡単に抜けたりしない。


 一度触っただけで、本は自らの全てを彼女に与えることに決めた。そういうプログラムだった。


 その本には、全ての情報が詰まっていた。


 森羅万象、詰まっていた。


 宇宙全部が詰まっていたと言っても過言ではない。


 その圧倒的な量の情報は、絶えず彼女に注ぎ込まれながらも、彼女が生きているうちに全てを注ぎ終わることはないだろう。それこそ、本に仕込まれた方法を駆使して永遠の存在にでもならない限り。


 その不思議な本は、彼女の家に置いてあったわけではない。彼女の家族が家に持ち込んだものでもない。


 山の中の隠された風の通らない洞窟に、封印されていたものだった。


 まったくの偶然だった。


 運命など、なかった。


 しかし、幸運や不運の結果を振り返った時に、それは運命と呼ばれるものに変わる可能性はあった。


 絶対に行ってはいけないと言われていたにもかかわらず、彼女が山に行ったのは、雪男を探すためだった。自分の祖父が雪男だと言われたから、本物の雪男を探そうとしたのだ。


 彼女が雪を踏みしめた途端、足元が崩れ落ちた。


 落ちた。


 永い年月を経て侵食され、穴ができていた。分厚い雪で隠されていて見えなかった。


 体重が軽かったことと下がプールになっていたことが幸いしたようで、二十メートルほど落ちても怪我はしなかった。すさまじい寒さに震えはしたが。


 彼女は何か燃えるものを探した。


 祖父や両親や姉や兄から、多くのことを教えられてきた四歳にしては賢い彼女だったし、子供らしい火遊びをして叱られ兄や姉と一緒に外に放り出されることもあったから、暖を取ることができれば、余程の寒い場所でなければ寝泊りできることを知っていた。


 薄闇の中、側頭部に手を伸ばす。濡れた大きな赤いリボンを整えた時、自分が落ちてきた穴から、雪の塊が落ちてきて、轟音を上げて崩れた。


 ビクッとした。


 震える手で、濡れた服のポケットに入っていたマッチをこすった。


 びしょぬれで、点火は不可能だった。


 泣きそうになった。


 でも、泣かなかった。


 いつも助けてくれる兄が、こんな離れた場所に来ることはないと理解していた。


 大声を出して狼や本物の雪男に襲われたらまずいと考えていた。


 我慢。


 涙目になりながら、湿った最後のマッチをこすった。


 ダメだった。


 寒さに手が震えてきた。


 コチコチに凍る自分を想像して、元々白い顔がさらに白くなった。


 両肩を抱えた。


 とりあえず脱いだ。下着以外全部。冷たい服をずっと着続けているのが気持ち悪かった。特別恥ずかしいとも思わなかった。


 幸いにして、洞窟は山肌に比べれば暖かかった。


 次第に取り戻してきた正常な血流を感じて、安心した。


 服を、広げて、置きっ放しにした。


 乾いてくれることを期待した。


 上を見た。穴が一つだけあった。


 よりによって、そこから落ちるなんてツイてないと思った。


 とはいえ彼女が雪男探しに単独で出かけたりしなければ、そんなことにならなかった可能性が高いのだ。けれども、そのおかげで彼女は本に出会った。


 裸だった。裸足でもあった。そのままゴツゴツした地面の暗い洞窟を歩くと、やがて行き止まりになった。


 どこかに炎は無いものかと探した。あるいは炎を生み出す何かを探した。


 賢い少女は四歳にして火の起こし方をいくつか知っていた。


 マッチでも黒い紙と虫眼鏡でも、この際、木の棒でもいい。


 無かった。


 でも、燃えそうな本を見つけた。


 本といえば紙でできていて、紙が燃えるということを知っていた。


 分厚い、辞書みたいな本だった。


 黒い輝きを放つ本だった。


 不思議だった。黒いのに光っているというのは、何か不自然だと思った。


 朽ちた茶色の木片も、そこかしこに転がっている。


 本は、誰かが来るのを待っていた。


 きっと、誰でも良かった。


 自分の知識を活かしてもらっても、活かしてもらわなくても、どうでもよかった。


 本には、迷う機能なんて無かった。


 ただ知識の塊をぶつけることしかできなかった。


 彼女が本に触れた時、一気に流れ込んだ。既存の記憶に影響を及ぼしかねないほどの勢いで。


「うあぁあああああああああああああ!」


 頭の痛みに叫んだ。甲高い声が響いた。


 わけがわからなかった。でも次の瞬間には何もかも理解できた。


 ――ああ、あたしは、普通じゃなくなったんだ。


「あぁあぁぅ、あうっ、ううっ……」


 叫んでも意味のないことがわかって、彼女は痛みに耐えることにした。


 頭の痛みが引くまでの間、ずっとグッタリしていた。


 しばらく裸で倒れていた。冷たい地面だった。そのまま地面に飲み込まれていくようにも錯覚したけれど、そうはならないとすぐに否定した。


 やがて痛みが引いて、起き上がる。


 彼女の目の前に本があった。


 何回か突ついた後、おそるおそる開いてみた。


 何も起こらなかった。


 中は白紙だった。目を凝らしても何も浮かびあがってこなかった。


 相変わらず、頭の中には圧倒的情報が波のごとく押し寄せてくる。


 彼女は、自分の置かれた状況を理解した。


 どうすれば良いのかも理解した。


 雪男がこの山に居ないことも理解した。


 彼女は裸足のまま、裸のまま洞窟を歩いた。


 坂を下りた。ひたすら下りた。


 何とか山肌に出られないかと考えた。


 洞窟で助けを待っても望みは薄いと思った。


 穴の下で待っていても、あんなところには誰も来ないと確信していた。確かに、そこは余程の事情が無ければ人が寄り付くこともなかった。


 どうにかして脱出するには、迷路みたいな洞窟を歩くしかないと思った。


 どうしたらいいだろうかと思った。


 思った途端に、頭の中に流れ込んできた。


 どこへ行けば外へ出られるのか。どこへ行けば家に帰れるのか。


 洞窟の出口までの道が。


 彼女が寒さに震えながら家に帰ると、裸で帰ったため大いに心配された。


 事件だ事件だと騒ぎ立てる兄がいた。一緒に風呂に入ってくれた三人の姉がいた。弟は彼女よりも幼くて、放っておかれてギャアギャア騒いでいた。


 両親や上のほうの兄や姉は仕事に出ていた。


 もじゃもじゃした祖父はパイプふかして笑っていた。




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