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利奈っちから見た紗夜子

※宮島利奈視点

 わたしは、通っている図書館で、昔のことを思い出していた。


  ★


 澄んだ金属音がした。


 遠くバッターボックスの方で、金属バットがボールにぶつかる音がした。


 相手チームのバッターが打ち上げた打球は、澄み渡った空に高く高く舞い上がって、ライトを守るわたしの方へと飛んできた。


「おーらい! おーらい!」


 わたしは言って、グラブを構えた。


 でも、落ちてきたボールは、わたしの後方数メートルのところに落ちた。


「なぁにやってんだぁ! 利奈ぁー!」


 まつりの声が、ベンチから響いた。


「ちがうのー! 風がー!」


 いいわけをした。


 この町は風が強いから、高く上がったフライを捕るのは難しい。


 でも、今思えば、他の皆はちゃんとキャッチできてるんだからいいわけになんてならない。


「言ってる間にボール追ってよー!」


 マウンドに居たマナカの声がした。


 幼かったわたしは、その声を耳にして、ようやく背後、ライン際で転々としていたであろうボールを追いかけなくてはならないことを思い出した。


 でも、振り返って走って、転がっていたボールに追いつき、ボールを掴んだ時には、打ったランナーは三塁に到達していた。


 こうなるともう、わたしの肩の力ではランナーを刺せない。


 わたしは、ボールを持っている手から力を抜いた。投げるのすら諦めた。


 打ったランナーがホームインした。喜びに湧く相手ベンチと、暗く静まり返る味方ベンチ。


「利奈ぁああああ!」


 まつりの怒ったような声が、暗く静かなベンチから響く。


 まつりは、負けるの嫌いだから、このツーアウト一塁二塁からの逆転打――エラーみたいなものだけど記録はランニングホームラン――を許せなかったに違いない。


 ただ野球チームに入ったのが他の皆よりも早かったというだけで、皆より下手なのにレギュラーの座にしがみついている自分が、何だかみじめだった。


「おらぁあああ! 利奈ぁあああ!」


 怒ったまつりが駆けてきた。


「ち、ちがうのよ、まつり! 空中イレギュラーが!」


 わたしは言い訳をしようとしたが、


「りぃいいなぁあああ!」


 まずい、あれは、暴力を振るう顔だ。とわたしは思った。


 まつりの方が、かけっこも速いから逃げられない。


 ミスをしたのはわたしだし、大人しく餌食になろうと思った。


 でもその時、わたしを殴る直前で、


「こらぁ、やめなさいマツリ!」


 まつりのお姉さんであるサナさんが、まつりを後ろから羽交い絞めにして暴力を阻止した。


「おねえちゃん……」


「落ち着きなさい、マツリ。ミスは誰にでもあることよ」


「でも何なのあの態度。投げようともしないで!」


「ごめん……」


 わたしはトボトボと歩み寄り、少し遠くから二人に謝った。俯いて、震えた声で。本当に申し訳なく思っていたから。


「大丈夫よ、マリナ。いくらエラーを責めたところで、失った点は戻ってこないんだから」


 サナさんはそう言った。


 それで気が楽になるわけもなく、何らフォローになってなくて、何が大丈夫なのかサッパリだった。


 顔を上げたら、はるか遠くのマウンドで、マナカがマウンドを蹴飛ばしているのが見えて、わたしは、さっきよりも深く、どんよりと俯いた。





 その夜、布団の上で、わたしは泣いた。


 エラーが悔しかったというのもあるけれど、何も思い通りになってくれない世界が悲しくて泣いていた。


 どうして皆が野球チームに入って来ちゃったの、と思った。


 マナカがソフトボールを始めたから、わたしは野球を始めたのに。


『利奈、あなたも少しは紗夜子ちゃんを見習いなさい。紗夜子ちゃんは本当にすごい子だから、今にすごい人になるわ』


 それは、母の口癖だった。何かとマナカを褒めるんだ。


 だから、わたしはマナカをライバル視していた。


 でも、マナカと同じ土俵で戦っても、マナカに勝つのは難しいってわかってたから、だから野球をがんばろうって思ったのに。


 なのに、わたしは未だに八番ライト。それどころか、皆が野球を始めてしまったものだから、レギュラー落ちの危機……というか、実力的には二軍落ちしてた。


 マナカはあっという間にエースになってしまった。年下なのに。


 わたしよりも野球ができるまつり(野球チームに入る前まで、わたしはいつもまつりにボール拾いさせられていた)がベンチに居るし、それよりももっと上手なサナさんもベンチ。


 どう考えても、わたしはレギュラーを掴めないと思った。


 才能が違うんだ。


 はっきり言って、わたしに運動の才能は無い。


 何よりも、マナカに負けたくなくて始めた野球だったのに、あっさりとポテンシャルの差を見せつけられてしまって、わたしの心はあっさり折れた。


「もうやだよ」


 呟いた時に、決めた。


 ――こんな思いをするなら、野球なんて、やめちゃおう。


 そしてわたしは、ほんとうに野球をやめた。





 わたしは、マナカをライバル視していた。


 マナカの方は、そんなこと気にもしないで飄々(ひょうひょう)としていて、わたしはそれが更に気に入らなかった。


 あらゆることで、わたしはマナカと自分を比べていた。


 でも、何一つ勝てなかった。


 唯一勝てそうだったのは、国語。


 マナカは国語が苦手で、わたしは国語が得意だった。


 もっとも、マナカの「苦手」とわたしの「得意」を比べた時に、勝っているのは「苦手」の方だったりして、その事実がかえってわたしに悔しい思いをさせた。みじめだった。


 マナカが一つ年下だったという事実も、わたしの思いに拍車をかけた。


 もうやだ。


 どうしてマナカと自分を比べてしまうんだろう。


 そんなことしたって、悲しくなるだけなのに。


 仲良くしたいのに。


 そう思っても、どうしてもマナカに負けたくはなかった。


 マナカに負けているうちは何も手に入らない、とまで、その時のわたしは思っていた。


 今では、マナカに勝っていることが少しだけある。


 一つは身長。

 もう一つは、まつりと仲良くできること。

 もう一つは、特に怖がることなく教室に行けること。


 争いが、ずいぶん低レベルになった気もするけれど、一つでもマナカに勝てるものが生まれて、わたしはずいぶん気が楽になった。


 あとは、マナカが理科室にひきこもっている間に、わたしは勉強して、本当にマナカを追い抜いてやるんだ。


 わたしはそう思って、娯楽雑誌から目を離し、図書館の天井を見た。


 薄暗い天井は、いつもと同じ姿でそこにあった。





【利奈っちから見た紗夜子 おわり】



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