柳瀬那美音の視点-後
何日かすると、あたしは力をかなりコントロールできるようになっていた。
心を読み取る力を必要に応じて切ることもできた。ただ、この時はまだ、自分の考えていることを外に飛ばすやり方は知らなかった。
あたしの能力は、二種類。もしかしたら、もっと上位の能力もあるのかもしれないけれど、達矢と出会った時に持っていたのは二種類。
一つは、自分を中心とした球形範囲に居る人の思考を読むことと、もう一つは、自分を中心とした球形範囲に居る人に思考を飛ばすこと。
どちらも自由自在というわけにはいかない。
思考を読むことに関しては、ある程度の範囲を限定することは可能だけど、その範囲内に居る人の思考が全て流れ込んで来てしまうから、その中で求めている情報だけを引き出すのは難しい。ただ、あたしは特殊な訓練を紡いでいるからある程度は欲しい情報だけを聞き取ることができる。
ある程度の範囲に思考を飛ばすことも可能だが、こちらは、相手を選ぶことはできない。範囲内に居る人に、飛ばした思考が届いてしまうから、密談には向かない。遠くからの電話みたいに、相手を選んで会話できれば便利なんだけど、そこまでの力はあたしには無かった。
で、当時のバカなあたしは心を読むだけなら範囲はともかく、今と同じくらいの精度で読むことができたので、学校に行って、生徒や先生の心を読んでみたりした。
なんだかネガティブな感情がいくつも灯っていて、読めてしまうがゆえの苦悩みたいなのもあった。何ていうかな、信じていたものが崩れていって、誰も信じたくなくなるような嫌な感覚。
都会の町を歩けば、それこそ恐ろしいこと考えてる人が大勢いて、しかも人が多いからその分思考の総数も多くて、それだけで倒れそうになった。
だけど、総合的に見れば、あたしは心を読めるようになったことを楽しんでいたとしか思えない。
そしていつしか、あたしは探偵の真似事をし始めてしまった。
やめときゃよかったと嘆いても、時間はそこまで巻き戻ったりはしないんだろうな。
悪いことしようとしてる人を尾行して、警察に通報したりを繰り返して、そんなことし続けてたもんだから、悪い人たちのブラックリストに載っちゃった。
タイムマシンがあったなら、探偵ごっこなんてやめて心を読む力なんて一切使わずに過ごせって銃つきつけて脅したい。とかって、死んじゃったから、銃持てないけど。
それで、あたしは追い回される身となったんだけど、当然、色んな派閥があって、あたしを守ろうとしてくれた人たちが居た。それが、民間で勝手に軍隊つくって政府に対抗しようと画策している人たちだった。
別に、臨時政府にうらみなんて無かった。若者らしく政治に興味があったわけでもなかったから。
拾ってもらって、命を救われて、高校卒業してから、その民間の軍隊の関連企業でアルバイトをすることになった。大学にも行きたかったから、アルバイトにして欲しいと言ったのだけど、大学受験には失敗した。面接には自信があったのだが、問題はそっちじゃなくて……。どうやら探偵ごっこにかまけるあまり、成績がガタ落ちしてたみたいだ。
浪人生活を続けながら、アルバイトという名目のスパイ活動をする日々が続いた。
心を読めるわけだから、スパイは楽だった。欲を言えば、もっと目立たない身長と顔だったら完璧だったと思う。スパイとしてだけど。ああでも、ある意味ハニートラップとかはやり易かったから、どちらがどうともいえないか。
あたしは、多くのものをもたらした。政府に近いところで働くふりをして心を読めば、様々な情報が手に入ったし、お金だっていっぱいもらえた。
でも、やっぱり軍隊っぽいこともあってね、嫌なね、嫌な経験もいっぱいしたよ。裏切りとか、間接的に人の命を奪ったりだとかね。そうしないと、あたしは殺されても文句言えなかったから。仕方なかった。あたしが生きて、生き残って、その先で何か大きなものを守れるかもしれないと知ったなら、あたし一人が厳しい思いをすれば良いだけなら、大丈夫だって言い聞かせた。
今思えば、虚しすぎて何も言いたくない。言葉を出せば、守れなかったと認めることになるから。なんて、死んじゃってるから、もう声なんて出せないんだけど。
とにかくもう本当に、探偵ごっこなんて面白半分でやり始めたのが終わりの始まり。でも、後悔してないって言えば嘘になるけれど、たとえばこの町が崩壊することを知らないでいて、あたしの知らぬ間に生まれた場所が吹き飛ばされるなんてことを知ってて黙ってたら、あたしはそんな自分を許したくない。
そんなことになったこと無いから、なんとも言えないんだけど、何だろうね、町のために死んだことを正当化したいのかも。町どころか、世界を救おうと戦ったんだって、だからもう良いでしょう許してよって、そんな風に思いたいのかも。
というわけで、あたしの村――その頃にはもう町になってたけど――が重大な危機を迎えていることをあたしは知ってしまった。
古代兵器があるとかってにわかには信じがたい情報を得たのは、民間の反乱軍の方だった。民間の連中はそれを手に入れて、世界を裏で束ねている勢力と同等の力を手に入れる算段を立てた。
でも、同じくらいの時に、政府の方も、その兵器の存在に気付いた。
どちらにつけば世界を混乱させないで済むのかと考えれば、既に力のある政府の方だと思った。どうやれば町を守れるのかと考えれば、どっち選んでも微妙だと思った。
多角的に考えて、あたしは政府の方を選択して、そちらの軍隊に重要な情報を何度も横流しして、やがて入隊し、二重スパイになった。
あたしは心が読めるから、どこに機密文書があるのかなんて簡単にわかるし、誰か人間が近付いてきたら正確な位置まで把握できるから見つかることも少なかった。
あたしは民間の連中には「政府に入り込んでスパイする」と言い残し、事実上、政府の側に寝返った。
心が読めることを申告して、周囲の人間の思考を読み取ってみせる等、力を見せ付けて、超能力部隊というところに配属された。そうすれば、リスクをかけずに総力を挙げる政府の連中のことだから、便利なあたしが町に送られることになると思った。
民間の軍は風車の町出身だから地理には明るいだろうという理由で、政府の軍は心が読めて便利だからという理由で、それぞれ同じようで、でも少し違う指令を下してきた。
――紅野明日香を何としても生きたまま捕まえろ。
――紅野明日香を捕まえろ。場合によっては殺しても構わない。
そんな風に。
その後の話は、まぁ、皆さんの知る通りだけど、一応話しとくべきかどうか。
簡単に言えば、紅野明日香を捕まえられなくて、戸部達矢っていう一般人を巻き込んでしまった挙句、どうにもなんなくて殺されちゃったって、バカな話。
もうね、本当に、謝ろうとしても、言葉がないくらいに、申し訳ない。
あたしなんて、ただ泳がされてたメダカみたいなもんで、ただの使い捨てだったんだよね、たぶん。
こんなバカなあたしが撃たれた時、達矢は、あたしのことを呼び続けてくれた。本当に本気で、こんなあたしの身を案じていてくれた。
女として何もさせてあげなかったどころか、ナイフつきつけたりまでした、あたしのことを。
好きだって言ってもらったんだからキスでもしてやるんだったかな、なんて思う。従順でかわいい男の子はあたしも好きだし。
あたしが何とか町を守ろうと、小船の上で心の声を飛ばした時、あたしの直属の上司である大佐と呼ばれる男の思考が流れ込んできた。
それは「柳瀬那美音を殺せ」という命令。
やっぱりそうなるよね、って思った。
そして、「念のため、町も数日後に爆破」という言葉も。
――都合よく、八方美人に生きてきたから、それは、報いみたいなもんなのかな。本当に守りたいものを守れなくて、こんな所で終わるんだ。
そんな風に思った。
あたしは呟くように思考を浮かべる。
(覚悟はしてたけどね……)
大佐は言う。「人質に構うな。とにかく柳瀬を撃て」と命令する。
このままだと達矢も巻き添えになると思った。
(達矢だけは、守る。守らなきゃ。せめて、達矢だけでも……)
あたしは、船の方に向き直る。
対峙する。
巨大な船に。
あたしは達矢に平静を装って言い聞かせる。
「良い? 達矢。救助されたら、あたしに人質にとられてたって言うのよ、絶対に、そう言うのよ」
「な、何を言ってるんだ、那美音……」
彼は戸惑っていた。
あたしはもう、覚悟を決めていた。未練が無いって言ったら嘘だけどね、その時にはしっかり、どうなってもいいような覚悟を固めることができてたと思う。
本来なら、固めるのは覚悟じゃなくて、状況を良い方向に固めておきたかったけど。
(あたしがどうなっても、達矢を)
「じゃあね、達矢。またいつか、会えたら、またいつか……ねっ!」
(バイバイっ!)
心の中で大きく手を振る。
((たったの二日だけだったけど、ありがとう))
(((ありがとう……楽しかった……)))
あたしの頭に生まれた、少しずつ小さくなっていく、かすかな声。しっかりと隠していた感情。
あたしは左足を軸に回転して、振り向きざまに後ろ回し蹴りを繰り出した。クリーンヒットした。
彼の体は舞って、海の中に落ちた。
((((…………さようなら……))))
沈む。どんどん沈む。達矢が沈んでく。
(((((妹に、よろしくね)))))
あたしは水中でもがき始めた彼の思考が響く方へと浮き輪を投げる。
そして、彼からは視線を外し、船と対峙した。
両腕を大きく広げる。
風車の町を、守るように。
強い、向かい風が、吹いていた。
(さぁ、どっからでも掛かってきなさい! あたしは、ここよ!)
心の中で、あたしは叫んだ。覚悟と決意を胸に。
(あたしは、逃げも隠れもしな――)
コンクリ上を駆け抜ける足が地面を激しく叩くような、ダダダダという音がした。
何の音だろうかと思ったら、銃声だった。
その音が銃声だと理解した時には、あたしはもう、撃たれてた。船の上から発射された高価な銃弾に撃たれていた。
体中を、銃弾が通り抜けた。
倒れた。何もきこえなかった。何も見えなかった。あたしの体は、力なく、船に崩れ落ちた。あっけなく、やられてしまった。
(那美音……?)
五感が消えている中で、確かに声が聴こえた。達矢の声だった。
(那美ねぇええ!)
最期に聴こえた、声。
騒がしいなぁ、もう、と思った。終わりくらい、静かにしてよって思った。心の中で、笑いながら。
(なみねぇええええぇぇぇ…………)
ありがとうとか、さようならとか、もうちょっとハッキリ言えばよかったかな。
少しだけ後悔しているけれど、まあいいやとも思う。
ごめんなさい。
【柳瀬那美音の視点 おわり】