上井草まつりの章_3-4
午後の授業。
昼休みの間に、校内の自動販売機で『超濃いブラック』という安直なネーミングの地元ブランドっぽい缶コーヒーを買っておいた。そして他のお茶とかも大量に買った。次の休み時間には、この飲料たちを使っての対決になるだろう。そして、それで俺が勝つだろう。
何せコーヒーは苦手らしいお子ちゃまらしいからな。ちなみに、俺もコーヒーブラックで飲めないんだがな。まつりにコーヒーを飲ませたら、どうなるだろう。急に性格が変わって、しおらしくなったりしたら嬉しい限りだが、まぁそんな現実味の無い現象は起こらないだろう。
と、そんなことを考えていた時――
ガララララっ!
授業中だというのに堂々と引き戸が開けられた。
そして入ってきたのは……青白い肌、細い腕。華奢な体つき。
明らかに軟弱そうな男子がそこにいた。
……誰だ?
「す、すみません、遅れました。風間史紘です」
「ああ、風間か。久しぶりだな」と教師。
「はい」
あいつ、遅刻を容認されているだと。もう諦められているのか、それとも札付きの不良なのか。とてもそうは見えないが、人は見かけによらないって言うしな。
まつりだって美人なのに壮絶で狂暴だし。
風間史紘という男は、今まで空席だった場所に座った。俺の隣ではなく、上井草まつりの前の席。そして、背後のまつりと少し話していた。
まつりと、仲いいのかな……。
で、授業後。また話しかける。
「おい、まつり」
「今度は何?」
迷惑そうな口調が返ってきた。
「まぁまぁ、俺はさっき、お茶を買って来たんだ。しかし、ただお茶を飲むのではつまらない」
「何言ってんの?」
「そこで、だ。……利き茶対決といこうじゃないか!」
「……なにそれ」
「知らないのか? 利き茶というのは、耳の穴ににお茶を入れてお茶の声を聞くと言う世界的なスポーツだ」
嘘である。
「し、知ってるわよ、そんなの。中国発祥なのよね」
おっと、予想外なところで知識のなさを露呈してきた。しかも中国発祥とか、完全にあてずっぽうだろう。
と、その時、
「まつり様、ちょっと……」
先刻遅刻してきた弱そうな男が、まつりの耳元に近寄り、何かを耳打ちした。まつりの子分か何かなのだろうか。
「達矢、お前……ぶっとばされたいの?」
警告された。殴られる前に説明する。
「そう、さっきも言った通り利き茶というのは、お茶の味を飲み分けるスキルのことを言う」
「たとえば?」
「静岡茶とか、狭山茶とか、鹿児島茶とか、宇治茶とか、茨城茶とか」
「ああ日本のお茶か。ならいいけど」
ふ、やはりコーヒーを出されることを心配しているようだな。可哀想だがその予感は的中することになるぜ。ふへへ。
「いいか、これは対決だ。受けるだろ?」
対決、と聞いて、まつりの表情が変わった。
なんと言うか、漢らしい顔だ。
「いいわ。どうするの?」
「よし、乗って来た」
「え? 何?」
おっと危ない。心の声を口に出してしまった。気をつけなくては。俺は誤魔化しつつ言う。
「まずは、目隠しをするんだ」
「何で?」
「お茶の銘柄を当てるのに、目が見えてしまってはフェアじゃないだろう」
フェアかそうでないか。これも、まつりを乗せるには便利な言葉だろう。
「そうだな。わかった」
「ほら乗って来た」
「あぁ? 何が乗って来たって?」
おっと危ない、またしても心の声が。気をつけねば。
「いやぁ、乗ってきたんだよ俺の気分がな。対決を前にハイになってきてしまったらしい。ちょっとアドレナリンが出ててな」
「あっそ」
俺はちょい長めの手ぬぐいをまつりに手渡した。
「まぁ、どうでもいいけど……」
そして、まつりは目を閉じて、その手ぬぐいを顔にまいて目隠しした。
その時、俺は思わず「……はっ」と声を出す。
しまった! 今、まつりは無防備じゃないか!
何故俺はこのタイミングで油性ペンを持っていないんだ!
額や頬にラクガキし放題だと言うのに!
「おーい、それでどうするんだー?」
「ああ、そうだったな。今お茶を注ぐから待っていろ」
俺は紙コップを取り出し、『超濃いブラック』と書かれた缶の、どす黒い液体を紙コップに注ぐ。
ちゃぽちゃぽちゃぽちゃぽ……なみなみと。
ふへへ、準備完了だぜ。
「おーい」
「今できた。渡すから一気に飲めよ」
俺は、そっとまつりの右手に紙コップを手渡した。まつりはそれを受け取った。
「それ、一気に、一気に」
ブラックなコーヒーが入った紙コップを口元に持っていく。
「…………ん?」
喉を鳴らした。そして、次の瞬間!
バシャァ!
「ウワァアア!」
俺の制服は昼休みのリンゴ汁まみれに続いてコーヒーまみれになった。突然の出来事に驚き、俺は尻餅をつく。
「お前なぁ! 何で日本茶と言っておいてコーヒー飲まそうとしてんだぁ!」
目隠しを取り外したまつりが叫んだ。
俺はコーヒーまみれになりながら、目を逸らしつつ強気の棒読みで、
「あっれー? しまったー。緑茶と間違えちゃったー。気付かなかったー」
するとまつりは疑いの色を込めた鋭い視線で俺を見下ろしつつ、
「ていうか、何であたしがコーヒー嫌いなこと知ってるわけ……?」
俺はようやく立ち上がって、
「ふ、コーヒーが嫌いなのか、お子様め」
まつりは小さく「ふ」とバカにしたような息を吐き、『超濃いブラック』なコーヒーが残っていた缶に口をつけ、そして、ごくごくと飲み干した。そして手の甲でゴシゴシと口元をぬぐう。
あれぇ! 飲めないはずじゃ!
俺は思わず事態を静観していたみどりに話しかける。
「みどり! 何故だ! まつりはコーヒー飲めないはずじゃあ――」
「え? ちょ、ちょっと……」みどりの声。
「ははぁん。みどりと手を組んでたわけだ」
しまった、口を滑らせてしまった!
「みどり! 逃げろ、モイストされるぞ!」
しかし、そう言った時にはもう、上井草まつりは一陣の風となり俺の横を通り抜けていった。
「モイスト! モイスト!」
ダメだ、遅かった。
「くっ、逃げ遅れたか……」
みどりは捕まってしまった。
「ひゃああああ」
笠原みどりの嫌がる声と、笠原みどりの髪からの良い匂いが教室に撒き散らされていく。
そんなタイミングで、風間史紘が、話しかけてきた。
「助けなくていいんですか?」
俺は答える。
「ダメだ、手遅れだ……もう彼女は助からない」
「モイスト! モイスト!」
ばっさばっさされている。
「いたい、いたい、いたたた。やめ、やめてぇっ! いやぁーーー」
教室に響く悲鳴。
そんな中で、おとなしそうな男、風間史紘は、
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね」
「お、そういやそうか。俺は転校してきた戸部達矢だ。戸棚の戸に部活の部、達人の達に鏑矢の矢で戸部達矢」
「僕は風間史紘。風見鶏の風に、間引きの間、史実の史に……糸って書いて広いみたいな字で風間史紘です」
最後の字のイメージが湧かなかったが、悪い奴じゃないことは何となくわかった。俺と風間史紘は、互いの自己紹介を終えて微笑み合った。
「モイスト! モイスト!」
「うぇーん」
ばっさばっさ。
女の子の髪の毛の、甘い匂いに、すこしクラクラした。