紅野明日香の章_1-1
視点:戸部達矢
俺は、まだ何も始まっていないにもかかわらず疲労していた。
「あー、サボりてぇー……」
そんな無気力な呟きも漏れてしまうほどに。
朝、険しい坂の道を登る。登っても登っても、学校に辿り着かない。
くるくる反時計回りの三枚風車の羽が回転し、重たそうにこすれ合う鈍めの音を立てている。
進む俺の両側をゆっくりと流れる景色は、草原と真っ白で質素な風車の円柱ばかり。いったい、どれほどの風車を追い越せば、あの白い建物にたどり着くのだろうか。そろそろ俺の足も疲労が限界だ。
この坂を登らないと学校に辿り着けないなんて、なるほど、引っ越す前に居た学校のクラスメイトに同情されるわけだ。
この街は、外の人間からしてみたら、牢獄みたいなものなんだそうだ。都会と比較すればそこそこに開放感のある景色と、絶え間なく吹く強い風からは考えられないが、なんでも俺のようなプチ不良を更生させるために、この険しい山に囲まれた街に強制転校させる制度が生まれたという。そしてその制度の網に見事に引っ掛かる形で俺はやって来た。つまり、俺はプチ不良。
周囲を絶壁の山々に囲まれているが、一箇所だけ開けていて、その隙間から海からの強風が吹き入っている。地図で見ると、ちょうどアルファベットの「C」のような形に見える感じだ。
入ってきた風は山の斜面を駆け昇り、斜面に並木のように並べられた風車の羽根をくるくる回す。風車は全て同じ方角に向いていて、常に一定方向に風が吹いているのだという。
つまり「C」の隙間部分から規格外の強風が入り、山肌を撫でるように進み、坂を登って山の向こうやら山の上へと吹き抜けていくわけだ。
風を受けて夜も休まず回転を続ける風車群から付いた俗称は、
『かざぐるまシティ』
だが、そんなことよりも今は、俺の背中を押してくれる追い風がうれしい。
アスファルトの足元を見た後に顔を上げると、俺が今日から通う学校が見えた。そして次の瞬間、チャイムが鳴った。
「げぇ、やべぇ、初日から遅刻ってベタすぎるだろ、俺……」
というか、道理で周囲に学生服を着た生徒の姿が無いわけだ。
まさか見えている場所に登校するのに、これほど時間が掛かるとはな……。
完全なる計算ミスで記念すべき初遅刻を記録することになりそうだ。まぁ、俺くらいのプチ不良ともなれば、遅刻なんてお手の物だぜ。って、威張って言う事じゃないんだけどな。
あれだ、人並みの人間である俺は、転校初日の緊張に震え上がりそうなんだ。だから空威張りしたい気分になった、とそんなところだ。
さて、遅刻した自分を正当化し納得させたところで、ようやく学校の門の前に辿り着いた。見上げれば、白ペンキを塗ったような真っ白な校舎が見えるが、どうしようか……。
もう遅刻は確実なのだが。
校門を通り抜けながら、考え、決めた。
――そうだ、屋上へ行こう。
うむ。やはり、高いところに登って、この街を見渡してみるべきだろう。全く論理的ではないが、俺は残念ながら論理的思考だとか秩序という言葉とはよく対立するようなアレな人間なのさ。
で、コソコソと人目につかないように中庭を遠回りして、昇降口へ。
閑散として静まり返った昇降口でスニーカーを脱いで放置した。
靴下のまま階段を登り、登り、登り、登って、辿り着いた屋上。
引き戸は既に開いていた。
「さて、どんな景色かな、と」
ポケットに手を突っ込んだままトトンと、つま先歩きで外に出ると、
「うぉっと」
いきなりの強風が俺を襲った。
びゅうびゅう吹いとる。
もしも俺が三歳くらいの子供だったら吹き飛ばされてしまうような、
そしてフェンスに打ちつけられて、「フェンスがなければ即死だった」とか言うような。
――って三歳の子供そんなこと言わねえだろ。
自分でツッコミを入れてみる。
「っはぁ。果たして、この学校でツッコミ入れ合ったりできる関係築けるかなぁ……」
不安だ。
だがまぁ、それにしても、これは、良い景色だ。
この街で最も高いところにある学校の屋上からは、街全体が一望できる。フェンスも低くて視界を遮ることもなく、素晴らしい風景が見渡せた。
坂の途中には、いくつもの風車が太陽を向いて咲いている向日葵みたいに一定方向を向いて並んでいて、そして、坂の麓には商店街。
高低差の少ない平らかな場所には、背の低い建物が並んでいる。あれは住宅街だろう。
で、住宅街の中心に広がる浮島が二つある湖と、その先には、強風を生んでいる隙間。直線的な長方形の裂け目があった。裂け目はまるで窓枠のように綺麗な直線で、昇りはじめた太陽と、それに照らされて光る海を切り取っていた。
本当に綺麗だった。
ここをお気に入りの場所にしようと思った。
ただ、風が容赦なく俺の目とかを襲うので、それが難点だ。大きすぎる難点かもしれない。目が乾いて、しばしばするぅ。涙出そう。
と、その時、
『本日転校してきた戸部達矢くん、紅野明日香さん。登校していましたら、至急職員室まで来てください』
いきなり校内放送で呼び出しだよ。
確かに今、戸部達矢という俺の名が呼ばれたよな。
初日から遅刻で、初日から呼び出しくらうとか、何かの主人公か俺は。これで見ず知らずのパンくわえた女の子と衝突したりしたら完璧な朝だな。
とか考えた、まさにその時!
「きゃっ」
どぐしゃっ。
「はうあっ!」
突然の頭頂部への衝撃に俺はうつ伏せに倒れ、額をコンクリに強打した。
何事だ。痛い。何事だこれ!
頭上から声がした。
「あやぁ、ごめんなさい。まさか下に人が居るとは思わなくて」
女の子の声だった。
「いててて……な、何が起きた……?」
俺はぶつけた額を押さえながら立ち上がり前を見た。涙で掠れた視界に制服姿の女子が居た。どうやら、その女子が少し高い所から降って来たらしい。おそらく、給水塔のある屋根部分からジャンプしたのだろう。ちなみに、パンはくわえていなかった。
その女子は、
「にしても、しょっぱなから呼び出しか~……参ったな」
風に短めの髪をなびかせながら言った。
「…………」
じっと見つめてみる。
そこそこ可愛いじゃないか。
いや待てよ、風に吹かれているから可愛く見えるのかも知れない。風に吹かれている女子は二割り増しくらいで可愛いく見えるからな。
「……何見てんのよ。ていうか、あんた誰?」
他人の上に落下しておいてケロっとしているだと?
なんつー不良だ。
「俺は、今日転入してきた戸部達矢だ」
名乗った。
「へぇ、じゃあ今呼び出しくらった不良? やだこわい。近付かないでよ」
「お前も今、『呼び出しか~』とか言ってたじゃねえか。お前も転入生なのか?」
「ん、うん。そうだけどね。紅野明日香っての」
「紅野明日香……」
何だろう、妙に馴染みがあるような気がする名だった。
「呼び出しなんてかったるいわー。私は逃げるけど、あんたどうする?」
「何だと!」
教師陣からの呼び出しから逃げる?
そんな思想を展開させるほどの豪の者なのか、この女。
俺は、不良とはいえプチが付くほどの可愛い不良。だから、今までの人生で呼び出しにはちゃんと応じてきたぞ。すっぽかしたことなど一度も無い。もしや、この学校には、コイツみたいな突き抜けた不良が、うじゃうじゃなのか?
これからの学校生活が不安で仕方ないぞ!
いや、だが、待て。よく考えてみるんだ。
俺がこの学校に来た理由は、更生してプチ不良を脱却するため。
となれば、目の前に居るコイツも不良を治すために島流しにされて来たに違いない。
コソコソ登校していきなり屋上まで来てしまった俺が言えることでもないだろうが、目の前の非行を見逃すわけにはいかないっ!
俺は、彼女の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと、何よ急に」
「何って、お前を職員室に連れて行くんだよ」
「あ、そうやって一人で抜け駆けする気なんだ。教師の前に私を突き出して、『この女が逃げようとしたので捕まえていたら遅刻してしまいました』とか言って深々と頭を下げた挙句に熱された鉄板の上で土下座までするつもりなんだ」
そんなヤバイ土下座するつもりはねえよ。
っていうか、そうか、こいつを突き出せば遅刻の罪が軽くなる可能性もあるのか。
コイツ、不良のくせに頭いいじゃねえか。
「いいから行くぞ」
「どこにっ?」
「だから職員室に」
「やぁだぁ! やめてぇ! 離してぇ!」
「ええい、静まれ。紅野明日香!」
「あ、気安く名前呼んでんじゃないわよ!」
「はいはい……」
何だか、初めて会った気がしない。彼女の近くは妙に居心地が良かった。
「いきなりサボリなんて、ダメなんだぜ!」
「それ、いきなり屋上に来たあんたが言うことなの?」
「いやまぁ、細かいことは気にすんなよ」
「…………」
顔は見えないが、なんか不満そうにしてる感じの無言を返してきた。
で、ちょっと迷った末に職員室前に来た。俺は紅野の手をしっかり掴んで放さず、引っ張ってきた。
「もう、逃げないから離してよ」
不満そうに声を出す紅野。
「あいにく、俺はよく知らない人間を簡単に信用するほど優しくないんでな。それはできない相談だ」
そしてその時、職員室の引き戸が開いた。
俺が開けたわけではなく、教師が中から出てきたようだ。
「…………お前ら、何で手つないでんだ?」
教師に指摘された刹那、紅野は無理矢理俺の手を振り払った。
ちょっと痛い。
「……さて、戸部達矢と紅野明日香だな」
俺たちは揃ってこくこくと頷いた。
「転校初日から堂々遅刻とは前評判通りだ。ついて来い。教室はこっちだ」
「はい」「はい」
これも揃って、良い返事をした。