上井草まつりの章_2-4
俺が目を覚ましたのは放課後だった。
しかも、保健室。隣にいたのは笠原みどり。
「あの、みどりさん」
「保健の先生なら、もう帰っちゃったって」
「いや、そういうことじゃなく……」
「じゃあ何よ?」
「いや、その、ごめん」
「何で謝るの?」
「だって、負けちまったからさ……」
「バカみたい」
何だってぇ……。
「まつりちゃんに勝てるわけないでしょ」
「で、でも、お前がひどいことされてるの、見ていられなくて」
すると、みどりは、一つ溜息を吐いて、
「あのね、まつりちゃんは、少し脆いところがあるの」
とか言った。
「え?」
どこがだ。あんなに強い奴はついぞ見たことないぞ。
「力が、じゃなくて、心が……ね。昔は、今なんて比較にならないくらいに荒れてた」
「そ、そうなのか」
今よりもっと荒れてたって、どんなレベルだ。
「それは、学校を支配するほどに」
「マンガみてーだな」
「教師すら、まつりちゃんには逆らえなくて、学校が無法地帯と化しちゃってたの」
「それで、何がどうなって今の上井草まつりになったんだ……? 見たところ、今はそこまでの不良には見えなかったが」
「幼馴染同盟を発動させたの」
「何だ、それ」
「幼馴染同盟っていうのは、同じ位の時期に商店街で生まれて、一緒の坂で遊んだ六人の仲間たちのことで、サナって子をリーダーに、あたし、マナカ、カオリ、マリナ。そしてマツリ。あの頃は、皆仲良しで、幸せだった。でも、サナが引っ越しちゃって、それをきっかけに、どんどんマツリが荒れていったの。一人だけあたしたちから離れて、遊ばなくなった」
「へぇ」
そんな過去があったのか。
「それどころか、マツリは学校にも来なくなって……そのうちに、残った幼馴染四人も一緒に遊ばなくなっちゃったの」
「まぁ、そうだな。二人抜けたら、集団としては全然違うものになっちまうもんな」
「うん。誰も、リーダーの代わりにはなれなくてね、引っ張っていける人がいなかった」
「まつりとか、リーダーの素質ありそうだけどな」
俺が言ったところ、みどりは言った。
「節穴だよっ」
「え? 何て?」
「戸部くんの目がひどい節穴。まつりちゃんは、リーダーには絶対なれない性格だもん」
「そうなのか……」
「なったとしても、無意識に横暴しちゃうからすぐに反乱が起きて、殴って、その度に傷ついて学校来なくなっちゃうの」
「そりゃまた難儀な……」
「うん。弱すぎなの。だから、暴れる。それで……あたしたちは幼馴染四人で集まった。手当たり次第に他人を傷つけるマツリを、何とかしようとした」
「何とかって、どうやって」
「それはね――」
「それは?」
「『他の人を殴りたくなったら、あたしたちを殴って』って言ったの」
「半端ないっすね、幼馴染同盟」
「だって、本気で何とかしたかったから……」
「俺には真似できねぇな」
「知ってる? その頃は、この学校が更生施設って役割も持ってなくて、ただの風の強い田舎村の学校だったんだよ」
「そうなのか?」
そんな時代があったとは。
「うん。だから、マツリみたいに暴力的な子も少なかったし、喧嘩する相手もいなくて、ストレスが溜まったんだろうね。学校を征服してたのもその頃のことだったかな。うん。それで、マツリはある日ね、男子とつまんないこと、本当につまんないことが原因で喧嘩して、本気で暴れてね。あたしたちに言われた通りに、本当に、幼馴染の一人に暴力を振るって、その幼馴染の一人、マナカに大怪我させちゃって……それでさすがに大反省して、自分の家に引き篭もったの」
「大変だぁ……」
「そうなの。大変なの」
「それで、どうなった?」
「えっと、これは、あんまり外から来た人に言っちゃいけないことなんだけどね」
「ああ、誰にも言わないから」
「そう言う人に限ってペラペラ喋るよね」
否めない。結構喋っちゃって怒られたことがある。
だが、どうせこの街に、話ができる友達なんていないし、これから先できるとも思えないしな。何とかなるだろ。
「大丈夫。俺は言わない男だ。そこまで深刻な話なら、節度は守るぜ」
「そう、じゃあ、言うよ?」
「ああ」
「えっと、どこまで話したっけ」
「幼馴染に怪我させて引き篭もったってとこ」
笠原みどりは、軽い調子で言った。
「ああ、うん。それでね、手首切っちゃって」
手首……?
「うっわ……」
これは確かに、他人には喋れない。
「まぁ、色々あったからね。怪我させた責任が取りたかったのかもね。それで、事件を重く見た大人たちが、何とかマツリがこの街で暮らしていけるように、この街に、問題を抱えた生徒を更生、療養させるために受け入れることにしたの」
「なるほど、つまり、この学校は、上井草まつりのための学校ってわけだな」
「そう……なるのかな。うん。まつりちゃんは信じられないほど不器用だから、ストレスとかの発散方法が、わからない。本当はわかってるのかもだけど、上手に表現できない。そこで、問題児を集めて、風紀委員という立場を与えて、まつりちゃんの暴力を半ば容認したの。それで、たまにイライラした時に、あたしとか、違うクラスのカオリとかに軽度の可愛い暴力行為に及んでコミュニケーションとって、バランスとれるくらいにはなったわ」
「なるほど。それで髪の毛バサバサされてたわけか」
「風紀委員なんて役職は存在しないんだけど、そうでもしないと、まつりちゃんのこと、誰も抑えられないから。大人でさえ……」
みどりは、諦めたようにそう言った。
「問題児を抱える街の外の学校の側としても、更生させる組織があれば、問題児はそこに投げ込めば良いから楽で、利害が一致したわけだな」
みどりは頷き、
「そういうこと。でも、それじゃあまつりちゃんの根本的な解決にならないのよね」
「でも、じゃあ、みどりはどうすれば良いと思うんだ?」
すると、みどりは一つ溜息を吐いて、
「問題は、まつりちゃんよりも圧倒的に優れた人がいないことなのよ」
それがみどりの意見らしい。
「いつまでも、イライラをぶつける相手ばかりを探しても仕方ないの。それはモラトリアム的逃避でしかないから。それを、皆、わかってないのよね。誰か尊敬できる人が、まつりちゃんの近くに居ないといけないの。自分よりも圧倒的に優れた誰かに、守ってもらいたいのよ。でも、あたしたちじゃ、そういう存在には、なり得ないから」
「まつりって、かなり強いだろ。体にすげえバネあるし、よく鍛えてる。あれ以上に強い奴なんて、探すの難しいぞ」
「そうね。でも、力だけじゃなくてね、心も強い人をね。贅沢だよね、まつりちゃん」
「だな。とんでもない奴だな上井草まつりは」
「うん……」
「みどりは……」
「え?」
「みどりは、嫌か? 髪の毛をバサバサされたりするの」
「本音を言うとね、もうね……………………………………すっっっごい嫌!」
「ずいぶん溜めたな……」
「だって髪だよ! あたし、髪の毛にはかなり神経使ってるのにバサバサーって、何アレ! ひどいよね!」
いきなり大声で早口でまくし立ててきた。俺は少々たじろぎながら、「そ、そうか。そうだな」とか言うしかない。
「でも、まつりちゃん、モイストさせないと、わざとみたいに暴れるし……」
「モイストってのは、あれか。髪の毛をバッサバッサ捲り上げて周囲を回る暴力的奇行のことか?」
「痛いんだよ? あれ」
「ああ、痛そうだったな」
と、その時、みどりは何か思い出した様子で、頬を赤らめながら、
「あ、そうだ。ところで、さっき言ってた、あの……パートナーがどうのって話だけど……」
ああ、さっきまつりと殴り合い――とはいえ一方的だったが――になる前にチョロっと言った話か。
ツッコミとしてコンビを組んでくれないかという誘いのことだ。
「考えてくれるか?」
「そ、そんな、今すぐ結婚だなんて……」
「結婚? 何のことだ?」
「え」
キョトンとした。
「あれは、結婚じゃなくて、俺とコンビを組んで芸人にならないかという誘いだぞ」
「…………は?」
「俺の予測では、お前のツッコミスキルはなかなかのものだ。俺と一緒に日本一のエンターティナーを目指さないかっ?」
「…………えっと……パートナーって……ツッコミ……あれ……」
「返事は今すぐでなくても良い、じっくり考え――」
「ばかっ!」
バシン!
平手打ちをいただいた。
「良いツッコミだ!」
俺は笑いながら言った。
「このっ……漫才なんて誰がぁ!」
バシン!
頭を叩かれた。
「エクセレンッ!」
素晴らしいという意味だ。思わず親指を立てる程に。
「なんか、なんか……色んなこと話して損した!」
みどりは言うと、地面を強く蹴って、保健室を出て行ってしまった。
あの反応……どうやらコンビを組んではくれないらしい。
何とまぁ、何もかも上手くいかないなぁ……。
っつーか、ほっぺた痛ぇ。
さほど痛い箇所は無くなり、俺は保健室を後にした。我ながら驚異の回復力だった。
そして学校を出て、坂を下る。暗い歩道を一人歩く。
俺は、みどりのまつりに対する言葉を思い出していた。
『少し、脆いところがあるの』
『弱すぎなの』
『不器用』
『手首切っちゃって』
『ストレスの発散方法がわからない』
で、みどり自身はモイストは嫌……か。
どうするべきだろう。
話を聞いてしまった以上、何らかの形で責任を取るべきなのかもしれない。
うーむ…………そうだな……。俺が……。
みどりがモイストされそうになったら、俺が、みどりの代わりになろう。
俺がまつりのストレスのはけ口になれば万事解決だ。
みどりはモイストされず、まつりもストレスを爆発させることもない。
俺が痛い思いをしそうなのが難点だが……。
そうだな、よし、それでいこう。そして、これでもかってくらい恩を売って、みどりをツッコミに迎え、世界中を笑いの渦に包むのだ!