上井草まつりの章_2-3
さて、所変わって、教室。
今日も屋上の女・紅野明日香は来ていない。まぁそんなことはどうだって良いのだ。
級長の伊勢崎志夏は教室前で「がんばってね」という言葉を残して廊下を颯爽と歩き去って行った。朝のホームルームの前に職員室に寄る用事があるんだそうだ。
で、級長のことも置いておいてだ。
俺の目下の目的はというと、いかに面白いことを言うかということなわけで。どういうことかといえば、俺は飽きられるくらいに古めかしい笑いの持ち主だと思われているらしく、更に不良であることも手伝って、誰も俺に近付いてくれない。
俺に近付くことはすなわち、サムい人間とみなされるに等しく、更に不良と仲良くする事でもある。いきなりの遅刻と、ひどい自己紹介が悔やまれる。
そろそろ、クラスを笑わせて溶け込むキッカケってのを模索したいところなのだが……。
面白いことというキーワードで必死に脳内検索をかけてみたが、そういうことを考えている時は、えてして何も思い浮かばないものなのだ。
そもそも、俺はツッコミが居て輝くタイプのはずだ。そうだ。そうに違いない。そうでもなければ転校挨拶とはいえ、あんなスベり方をするわけがないんだ。
となれば、話は早い。
優秀なツッコミを見つけようではないか。
俺が目をつけているのは……笠原みどり。
笠原商店の看板娘である。
彼女は一見おっとりしていて、引っ込み思案に見えるが、実は鋭いツッコミを持っている気がする。俺のツッコミ女子センサーが反応しているんだ。
と、その時、みどりの方を見ていたところ、上井草まつりという風紀委員の女がみどりの近くに立った。
みどりが挨拶する。
「あ、おはよう、まつりちゃん」
すると、上井草まつりは、
「モイスト! モイスト!」
謎の奇声を発しながら、整えられた笠原みどりのしっとりツヤツヤ髪を両手でばっさばっさと乱暴に何度も捲り上げていた。挨拶もせずに!
「モイスト! モイスト!」
ばっさばっさ!
な、なるほど……突き抜けるほど問題児だ。
「や、やめてよまつりちゃん。痛い、いたいってば」
嫌がっている。当然だ。
「モイスト! モイスト!」
ばっさ、ばっさ。
しかし、クラスの皆は、見て見ぬフリだ。ひどいことだぜ。ここは、俺が動くしかない。笠原はツッコミ役候補でもあるしな。
この、まつりとかいう女を懲らしめてやらねばなるまい。
接近すると、良い香りがした。みどりの髪の匂いだ。
そして俺は、まつりの背後から、まつりの両腕を掴んだ。
「モイスト! モイ――」
ガシ、と。
「おい」できるだけ強そうな声を出す俺。
「へ?」横顔をこちらへ向けるまつり。
「やめろ。嫌がってるじゃないか」
その瞬間――教室に尋常じゃないざわめき。悲鳴交じりの。
俺は、まつりの手を掴み、そして思い切り引っ張った。が、びくともしないだと。
「はぁ……? 何のつもりだ、キミ」
「みどりの髪をばっさばっさするのをやめろって言ってるんだ」
俺は力強く言ってやった。
「達矢……だったっけ?」
「そうだ。戸部達矢だ。上井草まつり」
「突然うしろから腕掴むなんて汚いわね」
確かに、そうかもしれない。だが、手は放さない。
「とにかく、みどりをイジメるな」
「は? 別にイジメてなんてないよね、みどり」
「えっと、その……」
俯くみどり。かわいそうに、イジメられててもそうと言い出せないんだな、暴力がおそろしくて。
「痛がってただろうが。それに気付かず攻撃してたら、イジメなんだよ!」
「何だい、偉そうに」
「とにかく、笠原みどりには俺が目をつけたんだ。だから、変なことするな」
すると、上井草まつりは顔を険しい感じに崩し、
「……は? どういう意味? みどりを手に入れてどうする気なの?」
「パートナーにする」
ツッコミの、な。
教室が、ざわっとした。
「あ、あの……二人とも……やめ――」
みどりは何かを言い掛けたが、
「みどりは黙ってろ」「みどりは黙っててくれ」
まつりと俺は、同時に言った。
「ぁぅ……」
黙った。
「とりあえず――」
まつりがそう言った次の瞬間!
視界が揺れた。
って、おう?
俺今、まつりに蹴り飛ばされて、宙を舞って――
ガタガタガシャーンという音がした。吹っ飛んだ俺が机の列を乱した音。
「なっ、何だ今のは……」
「女の手を後ろから掴んで動きを封じたとか勘違い、それで勝ったつもり?」
どうやら吹っ飛ばされたらしい。
怪力なのは理解したし、好戦的な女だというのも理解した。こいつに手加減は必要ないということも理解した。必要とあらば、みどりを守るために、何とかこのまつりとかいう女を懲らしめねばならないかもしれん。
時に、男と女を越えた「悪」という特殊性別が存在することがあって、その場合は追い出すために暴力もやむなしだ。
ええと、ほら、座禅で煩悩を祓うためにバチーンって棒で叩かれることがあるのと同じように。
そう、喝を入れてやると考えてもらえば良い。
「良い度胸ね」
「そうだな。弱いものイジメに興じる女よりは、度胸があるつもりだぜ」
「覚悟なさい」
「何をだ」
「風紀委員の恐ろしさ、思い知らせてあげる」
「へぇ、楽しみだな」
そして、
「こいっ!」
「いくぜええ!」
俺は拳を握って突進した。
「…………」
一瞬だった。一瞬のうちに、なんか数十発は殴られた気がする。
チャイムの中、俺は意識を失った。