RUNの章_時代はRUN世-9
引き戸を開けて屋上に出ると、予想通り、そこには大場蘭が居た。俺たち『まつりちゃん被害者の会』メンバーが屋上に足を踏み入れると、一度チラっとこちらを見て、町の景色に視線を戻した。
声が届くくらいの距離に近づいた時、彼女は言った。
「皆が仲良うできんのは、ウチのせいなんか?」
それで皆、立ち止まる。
「いや、そんなことはないぞ。元々、まつりの横暴ぶりには腹を立てていたんだろ? な?」
俺はみどりに向かってそう言った。
「まぁ……」
そして利奈が「当り前っしょ!」と言い、おりえは「そうだにゃん」と緊張感なく頷き、紗夜子は特に反応せず、フミーンは慌てたように「ぼ、僕は別に……」
みどりがすかさず、
「風間くん。ここは話をあわせるところでしょ」
そして空気を読まない浜中紗夜子は、
「それよりも……RUNちゃん! ずっとファンでした! サイン下さい!」
言って、どこからか取り出した色紙を差し出した。
「ええよ」
快く言うと、ランちゃんは、どこからか取り出した油性ペンをくるくるっと指先で回し、キャップを外してサラサラっとサインした。
「カッコイイ……」
ぽっ、と頬を赤らめていた。
「よっぽどのファンなんだな」
「あたりまえでしょ!」と紗夜子。
「そうよ! 天下のRUNちゃんでしょうに!」と利奈。
「そうですよ!」とフミーンは興奮して、「達矢さんはRUNちゃんのこと知らなさすぎます! どれだけ国民的人気か、盲目なわけですよ!」
「ほほう、では、フミーンにもう一度問おう」
「何ですか。RUNちゃんのことなら何でも知ってますよ!」
それは嘘だろ。本人しか知らないことが絶対にある。人の心が読めるわけがないんだからな。まぁ、そんなことよりも、問おうとしてるのはランちゃんのことではない。
「お前は、ランちゃんとまつり、どっちが好きなんだっけ?」
質問はこれだ。個人的に気になることでもあるからな。
「なっ……なななっ……」
困っている。
利奈は「えぇ……」と、無表情がデフォの紗夜子すらも「まじで……?」と驚愕し、おりえはワクワクといった様子で、「まつり姐さんのことを好きな男の子がっ?」と言った。
「そ、そんなの、達矢さんには関係ないじゃないですか!」
俺はなおも、攻撃をやめない。
「そして……お前は、人間・大場蘭が好きなのか、アイドル・RUNが好きなのかどっちだ」
「え、それは……アイドルとしての……RUNちゃんしか、知らないわけで……」
「見ようともしてないだろ。人としてのRUNちゃんを」
「…………っ」
フミーンは言葉を失った。正解だからな。
「こらっ! 達矢! ポチいじめたら許さんよ」
大場蘭が横槍を入れた。
「ラン、お前もだ。ポチとしてのフミーンしか見ようとしてないだろ」
「そんなこと…………あるけど」
あるんだよな。
だよな……どう見てもそうだ。
人間同士として向き合っていないんだ。
やっぱり、そういう不自然は、俺が好きじゃない。だから、勝手だって思うけれど、ちゃんとお互いを人間として、同じラインに立って考えさせるように仕向けるべきだ。
フミーンは、まつり相手にならそれができてるのにランちゃん相手だと狂信的になりすぎて、相手を冷静に見られなくなる。
つまり、最初からまつりとランちゃんを天秤にかけたがっていないのだ。
大場蘭にしても、ポチという過去に何を見ているのか知らないが、それを、まやかしだと信じたくないのだ。
つくづく異常な関係を望む二人なのだが、何とか正常にもっていきたい。
副会長選挙もそうだが、フミーンの恋心争奪戦でも正常で公平な条件で戦わせてやりたい。
おそらく、朝に不良が会話の中で言っていた、大場蘭が俺をマネージャーに欲しがったという出来事から考えられるのは、自分のファンじゃない人を近くに置きたかったからではないだろうか。
冷静な目を持つ誰かを。
それでしか、自分の立ち位置を確認する術が無いと思っているのだ。
超有名人の悲しい運命か。
すさまじいプレッシャーなんだろうな。
それは、怒った時のまつりが出すプレッシャーさえも比にならない程に大きな。
「でも、うん……。そう……やんな。ポチじゃないんはわかっとる」
「え?」
「ポチやと思って接するんは逃避でしかないって、そういうことやんな」
「あ、ああ……」
おお、さすがだ。
頭の回転もよくて、心が強くて、自分の非を認める器もある。
俺とは比較にならないほど大人だ!
まつりとは比較にならないほど大人だ!
いや、まつりに関しては規格外に子供なだけか。
まつりは頑固で、心が弱くて、自分の非を絶対に認めない他人の上に立てない女だ。持っているのは武力だけ。生粋の戦闘員。
それと比べれば、月とすっぽんくらいに違う。
これが、魑魅魍魎のはびこる芸能界を生きてきた女の子が持つ実力の片鱗というわけか。
「でもな、ウチがポチ……やなくて、風間史紘くんが好きなんは本当のことなんよ」
もじもじとしながら、ランちゃんは言った。
「……本当の本当に本気なのか?」
「うん」
こくりと大きく頷いた。
「それは、恋愛の好きなのか? 本気で」
「メイビー」
多分、という意味である。
「スキャンダルだわ……」と利奈。
「ネットに――」
「ダメだよマナカ。ネットの掲示板に書き込みなんかしたら」
すかさずみどりが注意する。
「やっぱダメかな」
「当り前にゃん」
「RUNちゃんだって、女の子でしょ。恋くらいするわよ」
「でも、サハラ。よりによって……彼みたいな貧弱男子に……」と筋肉好きの利奈。
「マリナ。気持ちはわかるけど……」
「似合わないっしょ」と利奈はみどりの制止に気付かずはっきり言ってしまった。
「はっきり言いすぎ。面と向かって」
「すみません……」となぜか謝ったのはフミーン。
「風間くんも謝らないの」
と、その時、
「なぁ、達矢」
ランちゃんが俺に話しかけてきた。
「何すか」
返事する。
「ウチな、えっと……フミーン……のこと好きや思うねんけど、イマイチ確信が持てんのよ。想いを磐石にするためにはどないしたらええと思う?」
どないしたらええんでしょうね……。
「想いを磐石に……ねぇ……」
「確信が欲しいんよ。あと、できればフミーンにウチを好きになってもらいたいねん」
ていうか……本人を目の前にして、何言ってるんだ。よくよく考えれば目の前にフミーンがいるんだぞ。そんな中でさっきから大場蘭がフミーンのことが好きだというような言葉を連発しまくってるし。
何となく異常な気がする。
「あのなぁ……そういうのは本人の目を見て言ってやるのが一番なんじゃないか?」
「嫌やぁ、そんなん恥ずかしい」
何だこいつ……。
「それにな、好きなだけじゃ手に入らんことも知ってるんよ。だから、一緒に作戦を練って欲しいねん」
「作戦って……」
「何か無い? 年頃の男の子に好かれる方法」
「まぁ、色々あるにはあるが……」
どうするか。ここは、俺の恋愛技術を伝授してやっても良いかもしれん。というより、男性目線の恋のアドバイスをだな……。
「何なに? どんなん?」
俺は、ランの目を見据えて、力強く言った。
「まず……男子というのは総じてスキンシップに弱い!」
「スキンシップ……」
「そして、料理の上手な子に弱い!」
「料理……」
「強烈な印象を相手に与えるには、まずこの二つを押さえておくべきだろう」
「どうしよう、両方苦手や」
「それ以外にも色々あるぞ」
「どんなん?」
「たとえば、これはフミーン限定だが」
「うんうん」
「フミーンは上井草まつりが大好きだ。これは間違いないことだ」
「…………」フミーンは黙り込んでいる。
「そこで、上井草まつりの行動を観察し、真似てみれば、ドMの変態なフミーンのことだ。コロリといくに違いない」
「とにかく、フミーンを殴ったり突いたりしてイジメれば良いのだ」
「あんなんできひん……」
まぁ……確かにまつりの真似なんて、そう簡単にはできないよな……。
普通の神経では無理だ。
規格外のアホになれと言っているようなものだしな。
するとフミーンが、
「達矢さん。本人を目の前にしてよく言えますね。ドMの変態だなんて」
「ふっ、この町に居るとな、常識とかそういうことがバカバカしく思えてくるのだよ」
ランちゃんは、これだけ聞いてもまだ不足なようで、
「で? 他にも何かある?」
「次は……そうだな……」
かくなる上は、俺の秘奥義でも伝授してやろうか。
「――ミラーニューロンラヴラヴ効果」
俺はそう言った。
周囲がシーンと静まり返った。
怪しいものを見るような目で見られている。
ヒソヒソされている……。
まずい。
このままでは、やばい子だと思われてしまうぞ!
何とかこの奥義の素晴らしさを説明しなくては!
「せっ、説明しよう。ミラーニューロンラヴラヴ効果とは、相手の何気ない仕草を真似ることで、深層心理から相手に親近感を抱かせて攻略する技である」
ランちゃんは思いっきり首をかしげている。
「わかりやすく言えば、たとえば同じタイミングで腕組みをしたり、同じタイミングで欠伸をしたり、同じタイミングで笑ったりするのだ」
「それをわざとやるってこと?」
「……まぁ、そういうことだ。別名を、シンクロニシティ恋愛学と勝手に名付けている」
利奈が「うっわ……そんなこと意識してんだ」と言い、無神経な紗夜子たんが「きもっ」とストレートに矢を放ち、みどりが「なんか女心もてあそび系?」と分析した。
「ち、違うぞ!」
そう、断じて違う。これの最終到達点は、愛なのだ。
愛。愛なんだよ。
一緒にいれば、無意識的にシンクロしてしまうもので、その境地に至るまでの作業を明確な意識によって短縮させる奥義なのだ!
最も重要なのは、『いつも相手のことを考えている』という深い愛!
そう、愛だよ。
愛。
結局は、想いの強さが重要だ。
ミラーニューロンラヴラヴ効果を引き出そうとする行動は、愛の表現手段であり、二人の距離を縮めるための方法の一つに過ぎない。
もう一度言うが、重要なのは、
「いつも相手のことを考えることなのだよ」
そう。その補助とするために「意識」する、重要で効率的な恋愛奥義なのである!
「他には?」
おい、秘奥義なのに!
「じゃあ……失恋してもメシだけはちゃんと食え」
「不吉なこと言わんといて!」
そんなことを言われても、秘奥義まで否定されたのでは、もうネタが無いぞ。
「あとは……そうだな、俺の個人的な好みとしては、面白い女の子が好きだ」
「戸部くんの好みな女子の情報とか、全く役に立たないわね」
否めない。みどりさん鋭い。いいとこ突いてくる。
「だが、面白い子が嫌いな人間などいない!」
と思う。個人的に。
「面白い子ぉか……」
「ほら、まつりだって見ようによっては面白い子だぞ」
「うざい子なだけやん」
どんだけ嫌いなんだ。
なんか、まつりも可哀想だな。そこまで嫌われるような行為をしたわけでもないのに「うざい子」と言われ続けるとは……。
つくづく第一印象というものが重要ということか。あるいは日ごろの行いか。それともそれらの両方か。
「うーん」大場蘭はしばし考え込み、「今までの話を総合して……よし。フミーン!」とフミーンを呼んだ。
ついに、面と向かって想いを伝えるらしい。
「は、はいっ」
ランちゃんは、ほの寂しい胸を張りつつ、腕を組んで、フミーンを見下ろすような姿勢をとった。
それは、まるで、まつりが敵を威圧する時にとるポーズと同じ。
「フミーンをフミフミしたいねん!」
静まり返った。ただ風の音だけが妙に大きく響いた。
何言ってんの、この子……。
沈黙を破ったのは、浜中紗夜子。
「今の……何?」
ランちゃんは首を傾げながら、
「面白くなかったかな」
「お前、アホだろ」
「えっ、達矢に言われたことから総合的に導き出された理想的なワードのはず」
「あの……何と言うか……俺が悪かった」
「うざい子の真似して、オモロイこと言おう思ったんやけど」
「やっぱ……正々堂々の方が、お前には似合ってるかもな……」
思ったよりも天然だ。頭いいんだか悪いんだかよくわからん。そして、この子には、まつりの真似は無理だ。
「おかしいなぁ……フミフミ……ウケルと思たんやけど……」
と、そこでみどりが、
「ねぇ、ところでRUNちゃん……」
「ん? なに?」
「ずっと気になってたんだけどさ……」
「?」
「RUNちゃんは、どうしてこんな町に来たの?」
いきなり話題が、変えられた。
「……あ……えっと、それは……えっと……」
歯切れ悪く、声を出す。
俺は、彼女の罪を聞いたから知っている。
事務所を脅してしまったという罪を。
でも、それはきっと、俺が熱心なファンではなかったから教えてくれたのだと思ってる。
失望させたくない気持ちが大きいのなら、アイドル大場蘭の犯した罪は暴かれるべきではないだろう。
この町には、何も犯罪者だけが集まるわけではない。病気の療養を目的にやって来る人も居るし、ただ単に旅行に来る人だってゼロではないらしい。
だから、隠そうと思えば、隠し通せる。
それが正しいかどうか、信じるかどうかは、一人一人が判断を下せば良いが、俺は、隠すべきだと思った。
彼女を応援して、声を揃えて声援を送るようなファンには、罪のことなど、知られるべきではないと。
「うんと……えっと……」
「――バカンスだったっけ?」
俺はそう言った。
「へ?」
ランちゃんが驚いたような声を出した。
「バカンス?」とみどり。
「アイドル引退してバカンスなんて、ファンの子が聞いたら怒るかもって秘密にしてるんだろ?」
ランちゃんは、「あっ」と声を漏らした。
「はっ。しまった。すまん、ラン。秘密のままにしておくべきだったか?」
「え? あ、いえ、あ、うん……いや、うんう?」
どっちだ……。
「ウワァ、この場には気の許せる友人たちしかいないもんだから、ついつい口が滑っちまったぜぇ!」
すると笠原みどりが「あぁ、そういうことってあるよね。ついつい口が滑っちゃうの。わかるわかる」と頷き、利奈が「バカンスってことは……しばらくしたらいなくなっちゃうの?」と残念がり、「そりゃそうでしょ! アイドルだよ?」と言って何故か誇らしげな紗夜子。おりえは考え込むように、「ってことは……いつお仕事復帰するのやろにゃ?」どこの言語だ。
ランちゃんは戸惑いを隠して言う。
「えっと……ウチの気が済んだら……かな」
そして風間史紘は、ハイテンションで、
「あ、つまり、芸能界電撃引退っていうのは、充電期間なんですね! よかった! 歌をやめちゃうわけじゃないわけですね!」
「う、うん……」
ランちゃんは、ズキっという音が聴こえてくるような笑顔を見せた。
『歌う資格は……無いかなって……』
いつかの、彼女の声がまた頭の中で再生される。
「……そんなわけ、ないだろう」
俺は、誰にも聴き取れないような小さな声で呟き、青い青い空を見上げた。
「え? 何か言いました? 達矢さん」
「ん、フミーン。何か聴こえたか? 何も言ってないぞ」
誤魔化した。