RUNの章_時代はRUN世-2
屋上に来た。
戸を開くと、いつも通りの強風と、風に吹かれる大場蘭の姿。
俺は屋上に足を踏み入れ、引き戸をピシャンと閉じた。
「よう」
「達矢……」
「何だか、大変なことになってるな」
「生徒会副会長なんて、別にやる気ないねんけど」
それはまつりも一緒だ。
「けどな、ポチを賭けた勝負となれば、負けるわけにはいかん」
それもまつりと一緒だ。
ポチとフミーンは同一人物だからな。
一人の男を取り合う戦いを、全校を挙げて実施する意味が不明だが、何らかの形で勝敗をつけねば両者が納得しないだろうことも想像できる。
とはいえフミーンの意思を尊重したとしても、結局は優柔不断で答えを出せないだろうし。
そういった意味で、志夏の裁きは、まぁ妥当だと思う。しかし、一方で、志夏はただ単純にハデな見世物が見たいだけではないか、という疑惑も俺の中にはある。あと勝敗がついても負けたほうが納得しないんじゃないかって疑惑も。
いずれにせよ、もう副会長のポストとフミーンを賭けた戦いの火蓋は切って落とされたわけで、まつり派である俺は、大場蘭派のスパイを敢行しようとしているわけである。
「勝算はあるのか?」
「無いなぁ」
「そうか……」
「でも、正攻法で戦うしかないやろ」
まぁ……そうだな。
ランちゃんに卑怯なことは似合わない。
事務所に脅迫まがいのことをしたのだって、一応は正義心に駆られての行為で、反省もしてると言うし、俺はそれを信じてるし、更生を示す意味でも公明正大にやるべきだ。
ただ、それだと俺がスパイ活動してる意味が無いんだが……。
「あの『うざい子』からポチを奪還できるだけの人気を……どうやって手にしたらええんやろか……」
それは、最初から手に入れてるんだが。
しかしまあ、俺はその部分じゃない箇所が気になったので、言う。
まっすぐに彼女の目を見つめて。
「なぁ、ランちゃん」
「何やぁ」
「『うざい子』って言うのはやめてやれ。上井草まつりって名前があるんだから」
「上井草まつりか」
「あと『ポチ』もな。ある意味、あいつにはピッタリな呼称かもしれんが、風間史紘って名前とフミーンってあだ名がある」
「風間なんてカッコよすぎて似合わへん」
否めないが。
「とはいえ、犬じゃないし、モノじゃないんだから、ちゃんと人として認識してあげてくれ」
「せやなぁ……」
「なぁ、ラン」
「ん、何?」
「本当のところ、どうなんだ?」
「何が?」
「フミーンのことが好きなんだろ?」
「好きや」
「だが、たとえば、そのフミーンが、上井草まつりに恋していたとしたら、どうする? それでお前に見向きもしなかったら」
「そうなん?」
深刻そうな顔で訊いてきた。
「あぁ、えっと、まぁ……」
「そうなんかぁ……」
「だったら、どうする?」
「それは、悲しいけど……好きになってもらうように努力するしかないやん」
平和的な子だ、と思うのは、俺は既にこの町に毒されているからなのだろうか。
まつりなら、ここで武力行使、もしくはそれに準じる脅迫行動するとか言いかねない。口に出す前に行動する可能性さえある。
「努力か。どうやってだ?」
「そんなん……自分を高めるしかないやろ」
「具体的には?」
「ビーフジャーキーをあげたる」
って犬扱いじゃねぇか。
全然自分を高めてねぇぞ。
「あと立派な首輪つけたる」
「やめとけ……」
やはり元アイドル。一般的な常識はちょいと欠如気味か。
というか、見ようによっては、病んでるぞ……。
「ところで、首輪で思い出したんやけど、達矢は、上井草まつりのイヌって噂やけど、本当なん?」
「誰から聞いたんだ、そんなの……」
「クラスの子ぉや。上井草まつりとその周辺の勢力について聞いてもないのに教えてくれたんよ。それで、気ぃつけてねって言われた」
「なるほど」
人気のある者のところには、自然と情報も集まるというわけか。
ただ、まつりのイヌなどと言われるのは心外だ。
「俺は、まつりに挑み、そして敗北しただけであり。その結果として従っているだけだ」
「それをイヌになってるって言うんとちゃうの?」
「……確かに」
「そいで? 何をやって負けたん?」
「かけっこだ」
「負けたの? 女の子に?」
「くっ……」
嫌なところを突いてくるっ……。
「卑怯な事されたん?」
「そうだ」
俺は嘘を吐いた。
いや、何と言うか、あらためて女の子に負けたという事実を突きつけられた時、どうしても反発したい自分が居たのだ。
「それは……許せんなぁ」
どうやら、大場蘭の正義心に火をつけてしまったらしい。
「ようわかった。この戦に勝ったら、達矢も自由の身にしたる」
「そ、それは……ありがたいなぁ……」
やばい。嘘を本気にされてしまったぞ。あの勝負において、まつりには全く卑怯なことは無かった。俺がまつりに正々堂々と勝負して全面的に負けたという単純なものだったはずだ。
だが、ここまで言ってしまって、俺を自由の身にするとまで宣言されてしまうと、何だかもう後に引けない気がする。
一つの嘘を吐くと、その嘘を隠すために更なる嘘を吐かねばならなくなることは、昔の人や歴史が証明している事実。これは、さっさと何とかしなければ……。
「あー、ランちゃん、実は――」
言い掛けた時、強風が通り過ぎ、ランちゃんは天空に向かって伸びをした。
そして、俺が何か言い掛けたことに気付かなかった様子で、
「あ、ウチ、もう行かな。バイバイ、またねぇ」
と言った。
「え、あ、ちょっと……」
俺が慌てている間にもう、ランランといった様子で引き戸に向かって歩き出し、そして引き戸を開けて校舎内に消えて行った。
ピタン、と戸が締まる音がまた吹いた強風にかき消された。
「まずい……かなぁ……」
どうしよう、嘘つきっぱなしだとモヤモヤする。でも今更追いかけて嘘だったんだぜなんて言うのもなぁ……。
教室に戻ると、みどりだけが居た。
「あれ? まつりとフミーンは?」
「帰ったよ。まつりちゃんは家に帰って枕濡らすって言ってて、風間くんは喜びを噛み締めながら枕を抱いてRUNちゃんDVDを見るって言ってた」
「そうか」
揃いも揃ってアホだな。俺が言えることでもないのだが。
「俺たちも帰るか」
「あ、いえ、あたしは、少し用事があるので……」
「用事? 何の用事だ?」
「友達と久々に会うんです」
「そっか……」
「いつも図書館にいるようなアレな子なんだけどね、RUNちゃんのファンだから、RUNちゃんが来たこと教えてあげなくちゃ」
「へぇ」
「まぁとにかく、そういうことだから、また明日ね。まつりちゃんの選挙の作戦なんて、どうせ決めることなんて無いもんね」
「ああ、そうだな」
言って、俺は笑う。
どうせ正々堂々と真正面からしか頭に無い、実に可愛い奴だからな。
「それじゃあね」
言って、みどりは教室を後にした。
「…………さて……俺も帰るとするか」
俺の手がスイッチを切り、薄暗くなった教室を出た。