RUNの章_6-3
フミーンを背負ったまま戻ってきた教室は、尋常じゃない騒ぎになっていた。
教師の隣、黒板の前には大場蘭が立っていて、クラス中が黄色い悲鳴や茶色い悲鳴に包まれている。
全員起立して喚いているのだ。
「きゃあああああ! RUNちゃああああん!」
「うほぉあおおおおお!」
「RUN! RUN! RUN!」
一人から始まったRUNコールは、やがて教室に満ち溢れる。
「RUN! RUN! RUN!」
やばい……狂気に満ち満ちている。
「RUN! RUN!」
教師までテンション高い。
これが、アイドルRUNの実力というわけか。
俺の転校の時とは大違いで微妙にヘコむんだが……。
そんな喧騒の中で、笠原みどりが、
「あれ、まつりちゃん……いない……」
上井草まつりの不在に気付いた。
「む、そうか」
「まぁ、そのうち戻って来ると思うから、気にしなくていいか」
「そうだな」
俺は、とりあえずフミーンを廊下側の空席に座らせた。ぐったりと座る。
そして、窓際の自分の席に戻る。
「さぁ、それでは、自己紹介! どうぞ!」
教師がそう言って、教室中がシンと静まり返り、教室中の注目が大場蘭に集まった。
「あっポチ!」
フミーンを指差す大場蘭。
そして、教室中の目は、今度はぐったりとしたフミーンに集中した。
と、その時、俺の目は微かに教室後ろ側の扉が動いたのを見逃さなかった。
「…………」
まつりが、顔だけ出して様子を窺っている。
何だか可愛いな。
よっぽど「うざい子」と言われたことを気にしているらしい。
ともあれ、今は教室の動向に注目だ。
「先生! ポチの後ろの席空席ですか? ウチ、あの席がええな」
そこはまつりの席だぞ。
「ポチって……風間のことか?」
教師が訊くと、こくりと頷く。
「えっとだな、風間の後ろの席は……」
「空いてないんか……」
ガッカリしていた。
「いや、空いていないこともないかもしれん」
おいおい、そこはまつりの席だろ。
「本当ですか?」
「ああ……」
と、その時ィ!
ガラッと教室後部の扉が開き、上井草まつりが登場した。
「――ちょっと待ったぁ!」
教師の口から「げ」という呟きが漏れる。クラス中が「わっ」と恐怖にあわ立った。
「あ、さっきのうざい子だ」
大場蘭がそう言った時、クラス中から尋常じゃないざわめき。悲鳴交じりの。
「…………」ずーん。
まつりは床に両手を着いた。しかし、すぐに立ち上がり、目に涙を溜めながらも、
「そこはぁ! あたしの席!」
悲痛に叫んだ。
何だ、この状況は。あの上井草まつりがまるで子供扱いではないか。いや、実際ある意味元々子供っぽいが。
ランちゃんは、教師を見上げ、
「……そっか……えっと、じゃあ、ウチの席は何処ですか?」
「ああ……窓側から二列目の一番後ろだ……」
「あっ、達矢の隣か……」
まぁ……空席はここしか無いからな。
「ちょうど良かった。達矢ァ! ポチと席かわって! そうすれば、ウチとポチ隣になるやん!」
亡くなったポチのこと大好きだったんだなぁ……。
まぁ、別に廊下側に行ったとしても大して困ることも無いのだが……。
「…………」
問題は、無言で俺をにらみつけている風紀委員の女である。さて、どうするか……。
ある男子は言う。「おい戸部。RUNちゃんの言うことなんだから聞いてやれよ」また別の普段おとなしい男子は、「ていうか、戸部この野郎、RUNちゃんと既に知り合いとかふざけんな」とか言ってきた。女子は言う。「そうよ。上井草さんよりもRUNちゃんでしょ、どう考えても」そしてまた別の男子が、「まつりなんぞの視線に屈してRUNちゃんの言うとおりにしなかった場合はあらゆる方法を用いて呪う」と言った。
大人気だな、大場蘭……。
そして不人気だな、上井草まつり……。
「そうだな……」
俺は立ち上がった。
「なっ――」
そう、俺は風紀委員補佐という立場でありながらRUNと世論に味方しようというのだ。やはり、人気のある方に味方するのは普通の行為。たかが座席のことで、そこまでこだわる必要は無いとも思うし。それに、何よりクラスメイトにあらゆる方法で呪われたくないというのも当然の感情。
歩いて、廊下側に行き、みどりの必殺技で気絶していたフミーンの肩を叩いて起こした。
「フミーン。席交換だ。窓際最後尾に行け」
「え? あ、はい……」
そして、両手をぶらぶらさせて、ふらふらした足取りで歩き出し、窓際最後尾に座った。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!」
まつりは俺に掴みかかった。胸倉を掴まれる形だ。
「や、やぁ、風紀委員」
「やぁ、じゃないでしょうが! い、いくら相手がRUNちゃんだからって! これじゃあたしのメンツが……」
「メンツなんてものがあるから戦争が起きるのだ」
「ぶっ殺すわよ!」
「物騒なことを言うな」
「とにかく! 勝手に席を交換するのは風紀委員の名において禁止!」
「心の狭い奴だな」
「なっ――」
「そんなだから、うざい人って言われちゃうんだぞ」
「……ひ、ひどっ」
涙目。
それでまたクラス中がざわつく。
ある女子は、「ねぇ、上井草さん、泣きそうじゃない?」ある男子が、「風紀委員会内部で反乱かぁ」そして別の男子がやれやれといった仕草で、「RUNちゃんの転入で大波乱だな」と言う。
みどりが心配そうに、「まつりちゃん……」と呟けば、生徒会長の伊勢崎志夏はただ黙って情勢を見つめている。
まつりは叫ぶ。
「あたしの方が、達矢なんかよりRUNちゃんのこと好きなんだからっ!」
「それは『自分よりも大場蘭のことを上に置く』って解釈で良いのか?」
俺の質問に対し、
「良いもんですか!」
何なんだよこいつ。
「ああ、そうか。それとも、あれか、問題はランちゃんとかじゃなくてフミーンのことが――」
「フミーンだとかフミーンじゃないとかじゃないの! RUNちゃんの隣の席には、あたしが座りたいの」
するとランちゃんは、
「いやや。うざい子ぉっぽいやん」
「はうぅ……」
と、その時、ようやく口を挟んできたのは、級長の志夏だった。
「上井草さんの負けね」
「志夏……」
「自分がRUNちゃんの隣になりたいからって、他人の席をどうにかしようなんて、あまり感心しないわよ」
「で、でも、RUNちゃんはフミーンと隣にって……それはいいのかよ!」
「他人は他人、上井草さんは上井草さん」
「なっ…………」
「はっきり言うけど……いいかしら?」
「何よぅ!」
「RUNちゃんに『うざい子』と思われてるうちは、上井草さんをRUNちゃんの半径五メートル以内の席に座らせないわ。級長権限で」
これはまた……強く出たな……。
「はぅうう……」
普段のまつり様には似つかわしくない負け犬っぽい声をだした。
「まつりちゃん……諦めなよ」と笠原みどり。
すると今度は急に目をむいて怒り出し、
「うるさいわね! モイストするよ!」
とか言い出しやがった。
「おいこらぁ! それはもうしないって約束しただろう」
俺が風紀委員補佐になった時に、みどりに対するイヤガラセをやめるという約束だったのだ。
「そうだったけど……」
「ほ、ほら、まつりちゃんには、風間くんがいなくなっても、新しいストレス解消の相手として戸部くんがいるじゃん」
「そうそう――っておい! それはみどりが言うことなのかぃ!」
うえぇい、この恩知らずガール!
そんなタイミングで、ランちゃんがピッと素早く片手を挙げた。皆がそれに注目する。
「あの……とりあえず、自己紹介したいんやけど……」
「そうね。ほら、皆、席ついて」
志夏の級長スキルでまとめられ、一瞬で再び静かな教室になった。
そこで、大場蘭は言う。
「あー……えっと……そんな大したことを言うわけやないんだけど……その……」
そして、まるでライヴ映像のワンシーンのような声で言うのだ。
元気に、跳ねて弾けるように。
「皆、よろしくね!」
染み付いた歌手としての本能だろうか、何故か拳をマイクのように構えつつ、そこはかとなく艶やかな、可愛らしいポーズをキメながら。
ぱちぱちぱちぱち!
大拍手と喝采と共に、大場蘭は三年二組の一員となった。