RUNの章_6-2
三人、教室に着くと、既にホームルーム中であった。
早い話が、遅刻である。
「お前が、早く走らないからだぞ」
「そんなこと言ったって、僕、一応病人なんですけど……」
「言い訳になるもんか」
俺が「……いや、なるだろ……」とツッコミを入れてやる。
すると、何と教師がこう言った。
「風間は良いとして上井草と戸部は遅刻だな」
「えええっ? 先生! 何ですかその堂々とした贔屓は! せっかく今まで遅刻しないで更生の道を歩んできたのに!」
「ちなみに、遅刻をしすぎるとこの町から帰れなくなるわよ」
「何? どういうこと? まつり様、わざと? 俺を陥れるため?」
「あっはっは!」
笑うトコなのか?
教師は言う。
「おい、お前ら。とりあえず着席しろ。まだホームルームの途中なんだ」
「あ、はい」「へーい」「すみません」
俺、まつり、フミーンは、それぞれ返事をすると、それぞれの席へと向かう。
俺は窓際最後尾に座り、フミーンとまつりは廊下側の席に座った。
「で、だな。今日は、転校生が来てるはずなんだが――」
と、教師が言ったその時だった。校内放送が響き渡る。
『本日転校してきた大場蘭さん。登校していましたら、至急職員室まで来てください』
何と校内放送で、ランちゃんが呼び出されていた。
にわかにざわつく教室。
ある男子が「RUNちゃん?」と言ったのを皮切りに、
「大場蘭って言ったら……でも、え? マジ?」
「あの電撃引退した国内最高のアイドル歌手がこの学校に?」
「慰問か何かかな……」
といった会話が繰り広げられる。
ちなみに慰問ではなく悪いことして飛ばされてきただけだ。
「いや、まて。同姓同名という可能性もあるぞ」
同姓同名じゃなくて本物なんだなこれが。
ふと、フミーンの方を見ると、口をパカッと開けていた。
無理もない。
熱狂的大ファンだったからな。
そして唐突に、上井草まつりが立ち上がって叫んだ。
「フミーン! 達矢! みどり! 探しに行こう!」
何を言い出すかと思いきや……。
「付いて来なきゃころす!」
言って、教師が居る中を堂々と扉を開けて外に出た。
フミーンも病人を感じさせない俊敏な動きで張り切って外に出て、みどりもぱたぱた歩いて続く。
そして、俺も頭をボリボリかきながら教室を出た。
ころすとか言われたら、仕方ない。
教師は何も言わなかった。この学校では、上井草まつりが最高権力者なのだろう。教師が口を出せないほどに。いやはや、完全に無法者である。
俺は後ろ手で引き戸を閉めた。
廊下を四人、ゾロゾロと歩く。
「こういう場合、だいたい転校生は屋上に居るのよ」
「そうなのか」
よくわからんが、そういうものらしい。多くの転校生を見てきたまつりが言うのならそうなんだろう。
大場蘭は屋上に居ると思う。何故なら、今まで屋上でしか会ってないからな。雨が降っても風が吹いても屋上に佇んでいたわけだから、確信を持って言える。
まつりを先頭にして、四人で階段を上る。
屋上の戸が開かれた。
相変わらず、強い風が吹いてる。
四人、屋上に出た。
「…………」
大場蘭は、柵に手を掛けて風景をじっと見つめていた。
「きゃぁああ! RUNちゃんだ!」
予想外に黄色い声を上げたのは、まつり。
「ちょっと、落ち着いてよまつりちゃん」
おっと予想外に冷静なみどり。
「アワワワワワ」
口をぱくぱくさせる史紘。これは何となく予想通り。よほどの衝撃だったのだろう。
「大丈夫か? フミーン」
「これは、夢? 夢なわけですか! 憧れのRUN様が目の前にィィイイィ!」
壊れ気味だった。
で、そのランちゃんは、俺たちの姿に気付いて、歩み寄ってくる。
「はわぁあああ! どうしよ、みどり! RUNちゃんが向かってくるよぅ!」
「まつりちゃん、落ち着きなってば……」
苦笑い。
「ひぁあああ! ひぁあああ!」とフミーン。
どうしちまったんだこの男は……。
大場蘭は、俺たちの前に立つと、こう言った。
「あっ、達矢やん」
まつりと史紘が声を揃えて「なにぃいいい!」と叫び、みどりは「知り合いなの!?」と高い声を発する。三人して驚いた。
俺はヘラヘラ笑いながら、ランに向かって、
「何か、すげー有名みたいだな、お前」
「達矢ぁああ!」
ゲシッ。
「おぶひゅぁっ!」
風紀委員様による不意のとび蹴りを喰らって吹っ飛び倒れた。
痛い……が、すぐに立ち上がる。
「何すんだよ!」
「RUNちゃんに向かって何失礼な言葉使ってんだよ! 敬語を使えこの野郎!」
「敬語ったって……同い年だろ」
「お前なんぞとは立場が違うんだよ!」
まつりの言葉に、フミーンが「そうだそうだ!」と同調し、みどりも「まぁ、確かに……」と呟く。
当の大場蘭は、
「あの……別にええねんけど……」
「よくない!」まつり。
「ええ、よくないわけですよ!」フミーン。
「戸部くんサイテー」みどり。
何故に……。
「あ、そっちの子は、笠原さん……やったっけ。上履きとか体操服とかくれた」
「体・操・服!」
大丈夫かフミーン……。
そして、まつりも普段よりもテンション高く、
「ってぇ! 冷静だと思ったら、みどりも既に会ってたんかぁああい! 何で言わなかったのよ」
「だって」
「だってじゃないよぅ!」
みどりの両肩を掴んで前後にゆすりながら。
ランちゃんは、目の前の光景に少し戸惑いながらも、
「あの……ウチ呼び出しくらってもうたし、職員室行かんと……」
「ひゃぁああ! RUNちゃんが普通のこと喋ってるっ!」とまつり。
どうやらそこでランちゃんは気分を害したらしく、
「……あの、達矢。このウザい子何?」
衝撃的な言葉を放った。
「お、お前……なんてことを……」
まつりにそんなこと言ったらぶっとばされ――ってあれ?
「…………」
ずーんってなってる。あからさまに沈んでいるぞ。
珍しい。
「うざい子って言われた……うざい子って……RUNちゃんに嫌われた……」
絶望的にブツブツと呟いた。
「ま、まつりちゃん……大丈夫?」
「うあああああああああん!」
みどりの心配をよそに叫び、戸を開け放して校舎内へ。
階段を駆け下りていく音が少しずつ小さくなっていった。
「どうしたん、あの娘」小首をかしげた。
「さぁな。何なんだろうな。ランの気にすることじゃないんじゃないか。何しろ、わけのわからんヤツだからな」
「ところで……風間くんは大丈夫?」
みどりに言われてそちらを見ると、口を開けたまま凝固していた。
「おい、フミーン」
「はっ!」
我に返った。
そして、頭上に「?」を浮かべた大場蘭の前に歩み寄る。
頭を下げ、手を前に差し出し、
「あの、もしよかったら、あ、あ、あ、握手してくれませんか。あ、すみません、ダメだったらいいですけど」
すると、大場蘭の口から、謎の言葉が発せられた。
「……ポチ……もしかして、ポチやないの?」
「え? 風間史紘ですけど……」
「いいえ、あなたはポチ。そうでなかったとしても、三年前に死んじゃったポチの生まれ変わり」
計算合わねぇだろ。フミーンは三歳じゃねぇぞ。その何倍かは生きてる。どう見ても。
ていうか、何言い出してるの、この子。
そして、信じられないことに、大場蘭は「ポチー!」とかって明るい声で叫びながら風間史紘を抱きしめた。握手どころかハグしたのだ。
「は……はわわわわっ! はわぁああ!」
「鳴き声もそっくり!」
さらにギュッとした。
俺とみどりは唖然としているしかない。
「なでなで」
頭をなでなでしていた。
「あわわわ……」
やべぇ、感動しすぎで死ぬんじゃないか、フミーン。
そこで俺は、とりあえず気になったことを訊いてみる。
「なぁ、ランちゃん」
「何や」
「ポチってのは、何だ」
「ウチな、昔イヌ飼ってたんよ。ポチって名前の。この子、あの子にそっくりで」
「だが、あれだぞ、それは人間で、男だぞ?」
「ポチもオスやったよ?」
「いや、そういうことではなくてだな……女性に抱きしめられることに免疫を持たないフミーンが苦しい幸せで今にも昇天しそうだということをだな」
「要するに……風間くんを返してってことよ」
おお、みどりも加勢してくれた。
「いやや。ポチかわいいもん」
「いいか、ラン。それはポチではない。フミーンなんだ。ポチはもう死んだんだよ!」
「だから、生まれ変わりやって言うとるやろ!」
何だ、この平行線を辿る議論は……。
「わかった、だが百歩譲って、フミーンがポチの生まれ変わりだとしてもだな……」
「ちょっと戸部くん……」
「いいからみどり。俺に任せろ。この女の思考パターンは僅かながら把握している」
「そう……じゃあ任せるけど」
「おう。で、だ、ラン」
「何や」
「フミーンは、人間だから、その、人として扱ってやってくれ」
「やだ」
「やだって……」
そしてついにフミーンは限界を迎えた様子で、
「あぁぁぁ……何が何だか……RUN様……RUN様ぁあ。ホァアアアアアア!」
「うっわぁ……なんか壊れてるけど……」みどりさんがドン引きしてらっしゃる。
「かわいいなぁ、ポチは」ランちゃんがおでこにチュウとかしてらっしゃる。
それでもう、叫びが止んで、もう声が出ない様子だった。
大丈夫だよな。死んでないよな。
「と、とりあえずランさん。俺の記憶が正しければ、呼び出しくらってませんでした?」
何にしても、フミーンから引き離さねば……。
「おぉ、そやった。職員室行かな」
大場蘭は言うと、ようやくフミーンを解放した。
その場にストンと座り込むフミーン。
「んではまた後でな、ポチ」
開いていた引き戸から、去っていく。
階段をリズミカルに降りていく音が、少しずつ小さくなっていった……。
「やっぱ、ホンモノなんだ。RUNちゃん」
「ああ、そうだな」
「サインくれるかなぁ?」
「お? みどりも、案外ミーハーなんだな」
「ミーハーっていうか……だって、RUNちゃんだよ? RUNちゃんを好きじゃない人は、非国民だよ」
そうなのか。ということは、ランちゃんを知らなかった俺は、非国民ということだったのかぁっ。
「ところで……今はそれよりも……」
言ったみどりの視線の先には、
「あぁあぁぁぁ……RUN様が……僕を、抱き、抱き……抱きしめぇっ――」
「こいつはヤバイな。壊れかけだ」
「何冷静に言ってるのよぅ」
みどりはそう言うと、壊れかけのフミーンに歩み寄り、
「ていっ!」
首筋を指でトスンと突いた。
「あわびゅっ!」
そんな声を上げた後、弓なりに体をくねらせて倒れた。
「…………」
ぐったりと気絶している。
メンマみたいにくにゃっと倒れている。
「何したんだ?」
「ちょっと、秘伝のワザを……」
あれだろうか、人体のツボを押して様々な効果を――主に対人殺傷の効果を――もたらす昔の少年漫画のアレ的な必殺技の使い手なのだろうか。
「まさか殺しちゃっては……いないよな」
「当り前でしょ。このワザはね! そんなことに使っちゃいけないの! バカッ!」
何か知らんが怒られたぞ……。
「ま、とにかく……戸部くん。教室に帰りましょうか」
「そうだな……よっこらせ」
俺は、フミーンを背負って、屋上を後にした。
ピシャン、と戸が閉まる音が響いた。