RUNの章_4-2
屋上には、手すりを掴んで向かい風を浴びつつ風景を見つめている制服姿の女子が居た。
痩せていて、髪は肩甲骨くらいまでの長さ。スカートから滴る水滴が、何度も屋上を叩いている。
「……え?」
呟き、思わず戸を閉める。
目を擦ってから、もう一度戸を開けて、見てみると、今度はその女子と目が合った。濡れて固まった髪がばたばた揺れている。
えっと、「だれ?」と、唇はそう動いただろうか。
俺は、暴風雨が吹き荒れる地獄のような屋上に歩み出た。
「えっと……あなたは?」
どこかで見たことがあるような……。
「大場蘭」
オオバ……ラン。
どこかで聞いたことあるような気がする。けど、何だったかな。思い出せない。
「ランって呼ばれとる」
「ほう、ランとは、なかなか可憐な名前だな」
「あんたは?」
関西っぽい発音で訊いてきた。
「俺は、戸部達矢だけど」
暴風雨を左半身に浴びつつ、俺は名乗った。
「そうなんや。この町の人?」
「いや、トバされて来たタイプの人間だ」
「あぁ、じゃあ、お仲間やんな」
「お仲間、ねぇ。まぁ、そうなるのかな」
俺はそう言いながら、彼女の左隣に立った。彼女と同じように手すりに掴まって広がる風車の町を見つめてみる。顔に雨粒がばちばちぶつかってきて、痛いくらいだ。
「なぁ、あんた。この町のこと、どう思う?」
「どうって?」
「気に入っとる?」
「まぁ……そうだなぁ。そこそこ気に入ってるぞ」
俺は言ったが、
「ウチは、キライや」
大場蘭はそう言った。
「この町にあるのは、狂ったように強い潮風と、風車が並ぶ景色だけ。中途半端な都会風景に何ら価値なんて感じないし、あーあ、何でこないな所来てもーたんかなぁ」
不満だらけらしい。何か贅沢な奴だな。すごい偉そうな雰囲気だし。
でも、そんな奴が何で雨の中で濡れた髪束を巻き上げられたりしてるんだろうか。そう考えた後、すぐに、自分と同じなのではないかと思い至る。つまり、急に雨に降られてしまって傘もなく、ヤケクソで屋上まで上ってきたと。
いやまて、そうだとしたら、廊下に水溜りや水浸しロードができているはずではないか。
うーむ……。まぁ、どうだっていいか、そんなこと。人間、細かいことは気にせずおおらかに生きねば。そうでないと生きているのに生きていないような状態になりかねん。
女の子がずぶ濡れのまま風に吹かれて遠くを見ている。それが目の前の事実であって、相手の心を読めるわけでもないんだから、そこに存在する理由など考えなくていいことだ。
「あー、潮風で髪パリッパリだし、まじうざいわー。チョベリバー」
チョベリバだと?
いつの時代の人間だ、この娘。
風化レベルの死語を使うとは。
「それはそうと……この町の人間じゃなくてこの町に居るってことは、あんたも何かやらかしてトバされてきたクチやろ? 何やったん?」
「いや、ちょっと遅刻をしすぎてだな……」
「……それだけ? それだけで飛ばされてきたの? なんや運悪いな。いやや、不運がうつる。近寄らないでぇ」
冗談っぽい口調だった。
「そんなことより……お前は、こんな所で暴風雨に晒されながら何をしてるんだ」
正直、酔狂と言う他ないぞ。なんだこいつって思いたいくらいに。
「景色みとったよ」
「いや、しかし、何もこんな雨の日にずぶ濡れになりながら見ることはないんじゃねえか? 風邪引くぞ」
「いやぁ、新しい町に来て、まず最初にすることは、高いところから景色を見ることやろ?」
なるほど。言われてみれば、それもそうか。
「ほほう……何となく気が合いそうだな……」
俺も、どちらかというと、そういうタイプの人間だ。
「そう? それはええな。まぁ、ウチが酔狂な人間だって言うのやったら、あんたも十分酔狂や。こんな雨の中に屋上に来たりして」
「否めない」
「あ、そや。ウチ、今日、この町に来て、まだ間もないんよ。だから何もわからんくて。よかったら、案内してくれへんか?」
「案内ったって……俺だってまだ四日目だし、そんな多くのことは……」
「別に、そんなに細かいことはええよ、どこのゴハンが美味しかったとかでも、何でも」
「なら、寮の朝ごはんはバランスが取れていて、なかなかに素敵だぞ」
「あー。寮……か。ウチ、寮生活って初めてなんよ。なんか心配やー」
「ところで、そろそろ、建物の中に入りませんかね……。そして、タオルでも借りよう。風邪引いちまう」
すると大場蘭は、儚げにフッと笑い、
「……そうやね。そやけど風邪くらい、引いたほうがええんよ。ウチみたいな、どうしようもない大馬鹿なのは」
「大場だけにか?」
ダジャレってみた。
「…………」
スルーかよ!
関西っぽい訛りのくせに、ノリの悪い奴!
「あ、そや。一番近いコンビニってどこ?」
そして話題がコロコロと変わる子だ!
「コンビニ……は、無いな。言われてみると」
「えぇ! そんなバナナ!」
そんなバナナ……って……。
「何をそんなに驚く」と俺。
「ウチ、コンビニ行かんと死んでしまうっちゅう病やねん」
「それは可哀想に」
「だから、コンビニが無いなんて冗談はよし子さん!」
「いや……冗談じゃなくて、本当なんだが」
っていうか、何でちょくちょく死語混ぜるの……。
「うっそぉ……」
大場蘭は落胆していた。
「あ、でもな、コンビニではないが、コンビニみたいな店ならあるぞ。割と色んなものが置いてある商店街の店なんだが」
「本当? 24時間営業?」
ぱっと表情が、急に明るくなった。
「いや……五時に閉まる」
「ダメやないか!」
今度は怒っている。
表情がコロコロ変わる。
「……じゃあウチ、もう帰らんと」
「ん? 何でだ」
「コンビニが五時に閉まる言うたやろ。早く行かな」
彼女は、自分の腕時計を指差して言った。猫みたいな生物のキャラクター絵が描かれている可愛い時計だった。丸太みたいな形をした白い猫のキャラクターだ。
「達矢くん。今日はどうもありがとな。話せて楽しかった」
「お、おう……」
「また明日、屋上で」
「え? あ、ああ」
そして、大場蘭は、屋上を後にした。
「また明日屋上でって……明日も学校休みだろ……」
つまり、彼女はまた明日学校に来るということだろうか。
今日、屋上に来てしまった俺が言うのもアレだが、休日に学校の屋上に来るなんて、変な奴だと思った。
それにしても、大場蘭って名前……。何処かで聞いた事あったような気がするな。この町に来るずっと前に。
しかし、どこでどんな風に会ったのかは思い出せなかった。