大場蘭の章_7-10
食べ終わった。
目の前には、何も載っていない板があるのみ。
俺はお茶を飲み、湯呑みを置いた。
「美味かったな」
「うん」
RUNも湯呑みのお茶を飲み干して、タンと湯呑みを置く。
RUNは、追加で高そうなものを色々頼んで、それも平らげた。
よく食べるなぁと思って見ていたのだが、同時に値段の心配もしていた。そして値段を心配しているのは俺だけではなかった。板前さんは、不安そうに顔を青くしながら、
「……あの……食べ終わったばかりでこんな話するのも気が引けるんだけど、ずいぶんいっぱい食べたけど、お金は、持ってるんだよね……」
「あるで」
「そりゃ、寿司屋なんてお金なけりゃ入らないですよ。ははは」
「さて、達矢くん。食べるもん食べたし、行こか」
「おう、そうだな」
RUNが立ち上がったので、俺も立ち上がる。
「じゃあ、板前さん。これ」
言って、RUNはクレジットカードのようなものを財布から取り出して見せた。
板前さんは、それを見て、衝撃的な言葉を口にした。
「……えっと、うちは、カードは取り扱っておりません」
「え……」
RUNちゃんの、この反応、まさか……。
「達矢くん。現金どんくらい持っとる?」
「三枚ほど」
RUNは安堵し、
「……よかった。三万あれば、余裕で足りるやろ」
「ええ、二万八千円なので」
「二万八千円だと?」
「達矢くん、出しといて。ウチ、355円しか財布に入ってないねん。普段、全部カードやし」
「あーっと、RUNちゃん。何か誤解しているようだがな。俺の言う三枚はユキチ先生ではない。ノグチ先生の方なのだよ」
「えっと……つまり……どういうことや?」
「三千円しかないです」
思わず敬語になってしまった。
「……なんで?」
いや、そんな……真顔で訊かれてもな……。
「俺、貧乏やねん」
とりあえずエセ関西弁で返してみる。
「どないしたらええかな……」
「とりあえず、謝ろう」
RUNはこくりと頷いた。そして、
「「ごめんなさい」」
二人、板前さんに頭を下げた。
「えぇ!? どういうこと?」
「お金が無くて払えません」
二人、幾度と無くペコペコする。
「えぇえ? ちょっと、困るよぉ! あんなに食べて!」
「もうしわけない、もうしわけない」
「この店つぶれちゃうじゃないか! ただでさえお客入らなくて困ってるのにぃ!」
「いや、もうホント、すみません」
「カードが使えないなんて、そんな店があるなんて知らなくて」
ひたすら謝る俺とステレオタイプな金持ち発言をするRUN。
「いや、最初に確認しなかったおれも悪いけどさ……でも困るよぉ、お金無いのに食べられちゃあ……」
その時だった。
「やれやれ。二人とも顔を上げな」
着物の女の人の声がした。
「「え?」」
二人、顔を上げる。
「あたしが、払ってあげよう」
着物の人、華江さんはそう言った。
「そんな……二万八千円ですよ?」
「いいんだよ」
「そういうわけには……」
「お金、無いわけじゃないんだろ。なかなかすごいカード持ってるじゃないか。若いのに」
「華江さん。あのカード、そんなにすごいのかい?」
「まぁ、そこそこね」
「華江さんがそう言うんなら……最初から食い逃げする気だったわけじゃないってのはわかったけど……」
「というわけで、あたしが払うから。いいね、あんた。わかったね。わかったって言いな」
着物の女は、板前さんを脅すように言った。
「……華江さんが、そう言うなら」
どうやら何とかしてくれたようだ。
「二人とも」
「はいっ!」
俺たちはようやく顔を上げ、背筋をピンと伸ばして返事をして、すぐさま
「「ありがとうございます!」」
と頭を下げる。
華江さんは、フッと小さく笑うように息を吐くと、
「学校、あんまサボってると、後悔するよ。そこのオッサンみたいにね」
どういう意味だろうか。
「おいおい華江さん……そういうことはツケを払ってから言ってくれよ」
「何だってぇ?」
「何でもないけどさ……」
俺たちの分を自分のツケに加算してくれたらしい。
「ほら、それじゃ、もう行きな。あとはあたしに任せて」
「は、はい……」
俺はそう言って頭を上げたのだが、その時RUNは、
「ちょっと待ってください」
「ん?」
「どうかしたかい?」
「お礼とお詫びに……」
言いながら、RUNはどこからか色紙二枚と油性ペンを素早く取り出すと、
『RUN☆』
サラサラっとサインを書いた。
「これで、何とか……」
色紙を一枚ずつ板前さんと華江さんに手渡す。
「こ……これは……っ!」驚愕の表情の板前。「ということは、あなたは……まさかっ!?」
板前さんは、RUNと色紙とを交互に見ていた。
「何だい、これ」
華江さんは顔をしかめたのだが、板前さんは次のように叫んだ。
「華江さん! これは、おれの記憶が正しければ、滅多にサインを書かないことで有名なアイドル大場蘭ちゃんのサインだ!」
「滅多に書かないというか、書く暇なかっただけなんやけどな」
「その希少価値は極めて高く、マニアの間では数十万の値が付くこともある!」
数十万だと? じゃあ、俺の白シャツもそんくらいになっちまうってことか?
「……ということは……」華江さんはRUNちゃんの方を向き、「この子が、あのRUNちゃんってことかい……?」
「どうも、RUNです」
RUNちゃんは小首をかしげるようなポーズを決めてウインクをかました。
「本当の本当にホンモノ?」
「ニセモノなら変装なんてせぇへん」
RUNは言って、メガネを外した。
大人二人は、口をパカリとあけて驚いていた。
「本当に……?」
「ホンモノ……だ……」
そして、RUNは俺の腕を引っ張って、
「じゃ、達矢。行こか」
「お、おう……」
RUNに先導される形で、店の外に出た。
「あ、ありがとうございましたぁあ!」
引き戸の向こうから、声が聴こえた。
「ふぅ……」
RUNは溜息を吐いて、またメガネを装備した。
「ごめんな、達矢くん」
「いや別に……何の損もしてないし」
むしろ、タダで超美味い寿司が食えたというかなりのラッキーイベントだった。
「いつか、お金払いに行きたいな。達矢くん憶えといてな。二万八千円」
「いや……何で俺が……」
「マネージャーやろ?」
「そんなものになった記憶は無いんだが」
「そうやったっけ……?」
「そうだろうが」
「そっか」
「さて、それでは腹もいっぱいになったところで、行きますか。フミーンの待つ病院に」
「うん」
こくりと大きく頷いた。