大場蘭の章_6-5
303号室。表札には部屋番号を示す文字と、『風間史紘』と書かれたプレートがあった。
どうやら、この部屋の中にフミーンが居るようだ。
「ノックするぞ。良いか? RUN」
「待って」
「ん? まさか、『心の準備が……』とか乙女みたいなことを言い出す気ではないだろうな?」
それはそれで可愛いけど。
「ちゃうねん」
「じゃあ、何だ」
「忍び込もう」
「は?」
「気付かれないように入ってびっくりドッキリさせたいねん」
いたずらっ子ぶりが今、露呈した。
「いや……しかしなぁ……びっくりしたら死んじゃう病気だったらどうする」
入院してるってことは病気なんだろ。
「そんなわけないやん。したら、この町になんか来ないやろ」
確かに。
びっくりして死ぬならまつりに会った時点でとっくに死んでるだろうからな。
「まぁ、お前がそう言うなら……」
「ありがとう」
「よし、じゃあ、そっと開けるぞ……」
俺たちは姿勢を低くして、そっと引き戸を開け、内部の様子を窺った。
「はい、大丈夫です。僕は……」
フミーンの声が聴こえてきた。
室内にはフミーン一人のようだが、どうやら、電話しているようだ。固定電話の受話器を耳に当てている。窓の方を向いて、こちらには背を向けながら。
「コソコソっ」
RUNは、先に室内に入っていった。
「コソコソッ」
俺も続く。
戸をそうっと閉めた。
個室内には、なんか、RUNちゃんのポスターとかが大量に貼られていた。どうやらアイドル・RUNの大ファンらしい。
そして、どうやらRUNは本当にアイドル歌手だったらしい。ポスターの写真は、メガネ未装着のRUNちゃんにそっくりだった。
「何や? ウチの顔に何かついとる?」
「メガネがついてるな」
「何いうとんねん」
ペシッ。
軽く頭を叩かれた。いいツッコミだ。
フミーンの声がする。
「大丈夫ですよ。イジメられてなんてないですってば。はい、友達もできました。上井草まつりさんっていう女の子なんですけど……とても可愛い人で……え? やだなぁ、そんなんじゃないですよ。それに……そんな大事な人を作れる体じゃないでしょ。ここは、僕の死に場所なんですよ……」
死に場所?
今、死に場所とか言ったか?
「あ……あ、ごめん、母さん。泣かないで。ごめん、ごめんね……」
母親と話しているらしい。
いや……それにしても……死ぬ……って……え?
フミーンは、そういう病気……死に至る……?
と……そういうことなのか……?
「きっと治りますから。大丈夫です。この町の風は、良い風です。病気なんて吹き飛ばしてくれて、良いものを運んでくれる風です。思った通り、ここは、良い町ですよ」
俺とRUNは黙って彼の声に耳を傾けた。
「はい、それじゃあ。また、電話します。はい、はい…………はい……はい……それじゃあ」
そして、カチャンと受話器が置かれる音がした。
電話が終了したらしい。
そして、呟く。
「お墓は、この町が見渡せる高台に……なんて……言えないな……」
まるで死にかけの人が言うような言葉を……。
「…………」
彼女は険しい顔をしていた。
「おい、RUN。一回出よう。とりあえず、静かに、素早く……」
小声で話しかけると、頷いてみせた。
そして二人、一度部屋の外へ静かに出て、廊下で話す。
「どういうことやろな……」
「どうもこうも……フミーンは入院してる上に、今の電話ってことは……死ぬんじゃないか?」
信じられないこと、信じたくないことだが。
「そんな……ポチは二度死ぬん?」
ポチじゃねぇから二度死ぬとかじゃないけど。でも、死んでしまうのは確かに……そうなんだろう。
「とにかく……ノックするぞ」
「うん」
そして、俺は、フミーンの病室の戸を叩いた。
コンコン、と音がして、
「はーい」
フミーンが返事した。戸を開いた。
「よう、フミーン」
「やっ」
俺たちが平静を装って軽い挨拶をすると、
「あれ……達矢さんに……大場崎さん? どうしてここに?」
「いや、偶然ショッピングセンターの前に居たら、フミーンが通り過ぎるのが見えてさ、どこ行くのかなーって思ってたら、ここに来たから。な?」
俺はRUNに問いかけた。
「ん、そやねん。別に、あれや。学校から尾行してきたわけやないからな」
この子……嘘が下手っすね……。
「そうなんですか」
「あと、ウチは、決してアイドルのRUNやないで」
自分から正体に迫る手がかりを与えてどうする。
「はぁ……大場崎蘭子さん。名前似てますけど、RUNちゃんはメガネしないので、そうでしょうね。RUNちゃんではないと思います」
こいつも、何だこのニブさは……。
「あ、こんな所で立ち話してないで、中に入って下さい。ちょっと部屋が趣味に走っちゃってますけど」
言って、俺たちを部屋に招き入れた。
一歩間違えればストーカーの部屋みたいだぞ、この部屋……。
「へぇ……これは……すごいなぁ」
「RUNちゃんが好きなんだな」
「ええ。大ファンですよ。大ファンなわけですよ!」
「大ファン……?」
とRUNが苦笑いにも似た複雑な表情。
「お二人は、RUNちゃんの良さがわかりますか? もうRUNちゃんは神なんですよ!」
神って。そこまでかよ。ていうか、大ファンなのに目の前にそのRUNちゃん居ることに気付いてないのか。
「そんなにすごいのか? RUNちゃんって」
俺がヘラヘラしながらそう言うと、フミーンは普段からは考えられないような剣呑ボイスで、
「何ですって……?」
「ん?」
「もしかして、達矢さんは、RUNちゃんのRの字も知らないヒトなわけですか?」
「いや……Rの字くらいは知ってるが……アルファベットの……」
「いーや、知らないですね! その顔は知らない顔です!」
「ど、どうしたんだ、急に……興奮して……」
「RUNちゃんを冒涜することは許されない行為ですよ!」
「いや……そんなことを言われてもな……」
「大場崎さんは、わかってくれますよね! RUNちゃんの素晴らしさ!」
急に訊かれたRUNは、
「え? あぁ……ええと……そんなええ子やないやろ」
自分のことをそう評価しているようだ。
「揃いも揃ってぇええええええ――げほっ、げほっ」
「あ、おい……大丈夫か?」
「大丈夫ですけど!」
興奮しすぎだぞ……。
と、その時、RUNがベッドの上に何かが転がっているのを見つけた。
折り紙だった。よく見るような形の。
その、空に舞い上がりそうな形の折り紙を拾い上げて、
「こ……これ」
呟いた。
それは、本当によく見るような形の折り紙。
「何だ、それ……紙飛行機か?」
フミーンは、
「あっ、昨日、拾いまして」
「…………まじで? 拾ったん……これ?」
目を丸くしていた。
何なんだ、一体。
「はぁ、まぁ……」
歯切れ悪くそう言った。
「ふーん……」
「負けないで、負けないでって、そればっかり書いてあって、RUNちゃんの歌の詞とかに比べると稚拙だけど、何だか、とても勇気付けられます」
「へ、へぇ……」
何か、RUNの様子が変だな……。
そう思い、俺は、訊ねてみる。
「何だ、大場崎ちゃん。何かあるのか?」
「や、いや、えと、べ、別に……」
歯切れ悪いな。何なんだ、一体。
「ところでお二人とも! RUNちゃんのビデオでも見ますか? RUNちゃんが出ているものは全部録画してますよ!」
「達矢くん……ウチ、見とうない……」
RUNは見たくないらしい。
自分の出演してるビデオは見たくないと、袖をクイクイと引っ張って訴えてくる。
「そう言わずに!」
フミーンはどうしても見せたいらしい。
「達矢くん……」
どうしても見たくないらしい。袖をギュッと掴んできた。
か、可愛い……。
「そ、それじゃ、俺たちは遠慮して帰るか」
「うんうん」
「え、そうですか……残念です……」
「ごめんな、ポチ――じゃなくてフミくん」
「いえ、まぁ……別に構いませんけど……」
明らかにガッカリしていた。
そんなに見せたいか、RUNちゃんの映像を。まぁ、俺も少しは見たい気もしているが。だが、大場崎蘭子――いや……本名、大場蘭にして、RUNと呼ばれるアイドル歌手の彼女が、かなり嫌がってるのだから、ここは彼女の意思を尊重しよう。
「それじゃ、どんな病気か知らんが、お大事にな」
「あ、はい。達矢さん」
「お大事にな」
「大場崎さんも、お見舞い、どうもありがとうございます」
「あ……ええんよ。お礼なんて……。フミくん……死なないでな……」
「え……」
「そ、それじゃあな。ほら、行くぞ、ランちゃ――じゃない……大場崎蘭子どの」
「何それ。変な呼び方やなぁ」
お前が自分で名乗った偽名だろうが。
「ほら、良いから、帰るぞ」
「うん」
RUNはこくりと頷いた。
引き戸を開けて、外に出た。