大場蘭の章_6-1
通学路。追い風の上り坂を登る。反時計回りの風車並木を見つめながら、平らかな道から上り坂に差し掛かった。
さて、転校六日目である。
俺の感覚では、もう転校して二週間くらい経ったんじゃないかってくらい色濃い日々だった。
この町に来て、色々な人と出会って、まつりにボコボコにされて、風紀委員補佐になり、アイドル歌手・RUNに出会った。
この町に来てからのことを思い返してみると、変なことばかり起きてる気がする。
まぁ、それなりに楽しいから良いんだけども……。
結局、風紀委員補佐を返上するという話は、うやむやのうちに終わってしまったし、今度はRUNまでもが俺を手下にしようとしていることが判明した。
まつりのモノになるか、RUNのモノになるか、それとも、誰のものにもならないか。
俺は俺として俺のモノという「俺の独立」を保持するためには、どちらの手下にもならない方が良いに決まっているわけで、当然、誰のものにもならない道を選択する。
何故なら、俺は人間だからだ。
人間に与えられた独立の自由を侵害してくる二人の女には、断固として反抗したい。
ただ……RUNに限って言えば、可愛くて優しい感じがするから、彼女のモノになっても良いような気がしたりする。
それから、誰もが思うことだろうと思うが、まつりのモノには絶対になりたくはない。まつりは横暴と、暴力が満ち溢れているからだ。
とにかく、俺が俺であるためには、誰の傘の下に居るわけでもなく、完全なる自由独立を勝ち取らねばなるまい。
RUNちゃんに気持ちが揺れたりする瞬間もあるが、やっぱり、俺は俺として俺のものでありたいぜ。
と、そんなことを考えながら商店街を歩いていると、
「うぅうう…………」
商店街に差し掛かったあたりでサングラスをかけた誰かがうつ伏せに倒れて呻いていた。
いや、「誰か」っていうか……これは……。
RUNちゃんじゃないですか。
倒れている場所は、笠原商店の前。
ていうか何でサングラスなんてかけてんだ……。
俺は駆け寄って話しかける。
「お、おい……RUNか?」
「あ……あぁ……達矢くん……」
かすれた声を出した。苦しそうに。
顔を見れば、調子悪そうに青い顔をしている。
「どうした、何があった?」
俺は、体を起こしてやって話しかける。
苦しそうにしていた。
ぜぇぜぇと息を吐いている。
「何があったんだ! 悪いものでも食ったのか?」
「あぁ……うん。実は……」
そしてRUNは語り出す。
「実は、ウチ、昨日、みどりちゃんの家に泊まったんねやけど……」
「ああ」
「…………料理……」
「リョウリ?」
「ひどい味の……無国籍料理攻撃……」
料理攻撃を受けただと?
「どういうことだ。詳しく話してくれないとわからないぞ!」
「ウチ、もうダメかもしれん……」
「しっかりしろ、RUN!」
ゆすってみる。
「あっ、あっ、あかん……揺すらんといて……吐きそう」
「お、おう……すまん……だが、本当に何があったんだ?」
「昨日……みどりちゃんの家で、晩御飯をご馳走になったんやけど……その味が、卒倒するくらいマズくてな。でも、そんなん本人に言えへんやないか。頑張って作ってくれとる姿も見せられてたし、びくびくしながら『おいしい?』なんて訊かれたら……美味しかったよ、ありがとうって笑顔で言うてあげたいやないか。善意には……笑顔で応えるしかないやろ……はぁ、はぁ……」
苦しそうにしている。
「せやろ?」
「ああ、ああ、そうだな」
「今朝も、みどりちゃんの作った朝ごはんがあってな……見た目はうまそうに見えるねん……だから、きっとうまいはずやねん……そのはずなんやねんけど、けどな……あれは……」
「あれは……?」
「あれは食べ物ではない………………ガクッ」
そして、ついに気を失った。
「RUNちゃああああああああん!」
それっぽい雰囲気を出すために叫んでみても、RUNは沈黙を返すだけだった。
つまり、こういうことだろう。みどりの料理があまりに酷くて、気分が悪くなって、外の空気を吸いたくなったのだが、苦しくなって倒れてしまったところに俺が来た、と。そういう感じだろう。
さて、どうするか……。
「とりあえず……学校に連れて行くか……」
俺は、彼女の体を抱き上げようとした。
と、その時だった!
「あれ、戸部くん。何して――」
笠原商店から、看板娘のみどりちゃんが出てきた。
「おう、おはよう、みどり……」
「えっ……戸部くん! RUNちゃんに何をっ!」
「いや、えっと……」
「まさかっ! 嫌がるRUNちゃんに無理矢理いやらしいコトをしようとしたんじゃ……」
「ないないないないない! そんなん無いです!」
必死に否定したところ、
「必死に否定するところが怪しいです」
「どうしろってんだ……」
「RUNちゃんに手を出すなら、独房に入ってもらうことになるかもしれない!」
「何をまつりみたいなことを……」
「とにかく戸部くん! RUNちゃんから離れなさい! さもないとスタンガンとか撃ち込むわよっ!?」
スタンガンって……何だこのアブない子は……。
「わ、わかったよ……」
俺はRUNの体を地面に静かに丁寧に寝かせると、手を放して、みどりの方を見た。
すると、
「!?」
ぎょっとした。
まじで銃みたいなのを構えてるみどりさんが居るんですけど!
「あ。これ? これはスタンガン。引き金を引くと、電極が電線と共に飛び出して、当たったら電流バチバチってタイプのやつ。ある幼馴染とお揃いで持ってるんだけどね」
「お前……それ……銃刀法違反じゃねぇの……?」
「そんな甘いこと言ってると……何されるかわからないでしょ。どんな不良がやって来るかわかんないんだから」
みどりは、銃型スタンガンをポケットにしまいこんだ。そして続けて言うのだ。
「それに……たとえば、まつりちゃんが誰かに再起不能になるくらいメタメタに倒された時、この町は、きっと戦場になる。だから、自分の身を守る武器は必要なの」
「なるほど…………」
だけどな。
「だが何で、俺が銃口を向けられねばならんのだ。そんなに俺は信用されていないというのか!」
「RUNちゃんは有名人だから、自然と利用価値というものが生まれてしまうのよ! だから、守らなくちゃいけない。疑うのは当り前! まず敵っぽいものを疑うのがRUNちゃんの安全に繋がるんだから!」
敵とはな……。
くっ、俺はこんなにも紳士だというのに……。
いや、恐るべきは、RUNの影響力といったところか。彼女が来てから皆、人が変わったようだぜ……。
と、そんなタイミングで、「ぅん……」と呻いて顔を歪ませながらRUNちゃんが目覚めた。
それを確認して、みどりがRUNに駆け寄る。
「RUNちゃん!」
ドンっ!
ついでみたいに俺を突き飛ばしながら。
「ぐぉあっ」
俺はマンガみたいに吹っ飛んだ。
そして、どしゃっ、と地面に落ちる。
だが、すぐに立ち上がり、RUNとみどりの様子を見た。
「RUNちゃん、大丈夫?」
みどりは心配して、しゃがみこみ、RUNの顔を覗きこむようにして見た。
「キャァアアア! もう堪忍ー! もう食べれへんー!」
「えっ……」
ダッシュで坂道を登っていった。元気そうに。
「えと、『食べれへん』って……食べすぎかな」
いや、ここは、どうだろうな。単純にみどりの料理がマズいのが嫌なんだろうが。とはいえ、そんなことは言ってやるべきではない気もする。
そこで俺は、「かもな」とかって無難な答えを選択した。
「ちょっと、いっぱい作りすぎちゃったからかな……」
呟くみどり。
いや、だから問題は味だってば。
その時、坂の上の方で、RUNが転んだのが見えた。慌てて後ろを振り返って、追手が無いことに安心していた。
みどりの料理……か。
そんなにもマズいとは、逆に興味が出てきたぞ。
「とりあえず……学校に行くか……」
「そうね、RUNちゃんを追いかけないと心配だわ!」
みどりは、RUNを追って駆け出した。
そんなに心配することがあるのだろうか。
「ふぅ……」
溜息一つ。
見上げた空は、雨の心配なんて一つもないくらいに、雲ひとつ無く晴れていた。