最終章_最終日-4
俺の意識は、強制的に洞窟の広間へと引き戻された。
気が付くと俺は、明日香が足を組んで座る椅子の前、ゴツゴツとした岩場に横たわっていた。
体を起こすと、
「達矢。はじめるわよ」
活力に満ちた明日香の声が届いた。
「はじめるって、何をだ」
志夏といい明日香といい、わけのわからんことばかり言う。
(ソラブネで、空を飛ぶの。敵の兵隊が南の洞窟から乗り込んで来る前に)
那美音のテレパシー声が届いた。
ま、そもそもテレパシーなんてものが大活躍する展開自体が、わけわからんと言えなくもないが……。
「さぁて」
明日香は言ってぺろりと舌なめずりした。
そして、組んでいた足を組み替えた。
(アスカちゃん。号令を)
那美音の声が響く。
そして、明日香の声――。
「ソラブネ! 起動!」
右手で自分の胸の前をなぎ払うように動かす。
澄んだ大きな声が、町中に響いた。
俺と明日香の居る広間はそれまでの暗さを失い、強く優しい紅の光に満たされる。
地鳴り、そして地響き。
ズズズズズズズズ……。
そんな音が響く。地面が動こうとする音。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
揺れを伴って、耳が痛くなるくらいに。
しかし、揺れ続けるだけで、少しも浮き上がらない。浮き上がってくれない。
「ちぃぃ」
震動の中、明日香が苛立った時のような声を出した。
「何だ、どうした、明日香」
「ソラブネが突き刺さってる岩盤が硬すぎて、重すぎて、岩ごと浮き上がるだけのエネルギーが足りない」
「どういうことだ?」
「詳しくは、アルちゃんにでも訊いて」
「いや、そんなこと言われてもな……」
「私、頭が悪くて言語化できないの」
苦しそうに顔を歪めながら言った。
「わかった。アルファに訊いてみる」
そして俺の意識は、皆が避難している洞窟の隠れ家に向いた。
「アルファ、アルファ」
「なんですかー」
地響きの中、耳を塞ぎつつアルファが言った。
那美音の能力の降下範囲内なら、どれだけのやかましい音の中でも通信が可能だ。ある意味携帯電話よりも便利かもしれない。
で、質問する。
「ソラブネのエネルギーが足りないんだそうだ」
「それだけこの町が、重たいということです。そりゃ町一つ岩盤ごとなんて、いくら明日香おねーたまがチカラをフネに返したからといって、そうそう持ち上がりません」
「でも、ソラブネってのは、無限のエネルギーを生み出せる永久機関んだろ?」
「そうですけど、そのエネルギーを溜めておくだけの貯蔵システムが無いですし、ソラブネの空を飛ぶ機能なんて、せいぜい小さなソラブネ自体の三倍の質量を運ぶくらいのパワーしか出ません」
「じゃあ……ダメじゃねぇか……」
どうやっても、空になんか浮かび上がれないんじゃないか。
と、そこに本子さんが会話に入ってきて、
「町全体の質量は、ソラブネの軽く五十倍はあります。本子の念動力でもびくともしません」
「ソラブネちゃん、軽いもんねっ」
「ねー」「ねー」
白い幽霊と銀髪の天才は、仲良くそう言った。
って仲良く会話している場合か!
敵の軍隊が本格的に町に入ってきたら、ピンチなんだぞ。
何とかこの土地から飛び上がれる方法をだな……。
「そ、そうだ。ソラブネって、なんか『すごいの』が撃てるんだろ。それで岩盤でも破壊して――」
俺が言うとアルファは、
「そんなの、ソラブネ半覚醒状態で撃ったら、世界の三分の一が消滅します!」
想像もできないな……そんなの。
とんでもない危険物なんだなぁ、ソラブネちゃん。
「おバカさんはこれだから……」とアルファ。
何か知らんが、子供にバカにされたぞ……。
しかも呆れられる形でだ。ショックを禁じえない。
と、その時、不意に、横から紗夜子が呟いた。
「――風」
「ん、どうしたの、マナカ」
反応したのは笠原みどりだ。
「風を使う」
「何よそれ」
またこいつは変なこと言って、みたいな感じに不快感を表明したのは利奈。
「……?」
まつりも腕組したまま不思議そうにしていた。
そしておりえが、興味なさそうに緊張感の無い表情して会話の輪に入って無いのは、言わずもがな。ごつごつした岩を楽しそうに撫でている。
一番大きな反応を示したのは、最年少のアルファだった。
「あぁ、なるほどぉ、イケるかもしれません」
アルファにだけ、わかったようだった。
「やってみる!」
言って、紗夜子は立ち上がる。
「はい、お願いします」
「行こう、マツリ!」
紗夜子がマツリの手を引いた。解けたまつりの腕組。
「えっ? うぇ……ちょっと」
そしてそのまま、扉を弾くように開けて、部屋の外に出る。
俺の視界は二人を追った。
カタカタという微震の中、階段を登る。
闇の中、揺れてちらつく蛍光灯の中を。
紗夜子がまつりの手を引いて駆け上がる。
外に出た。震える町。
いくつもの風車が並んでいる。
「こっち」
走る。
図書館前の緩やかな坂を下る。
女子寮の前を過ぎ、男子寮の前も過ぎた。
湖の近くにある十字路が見えた。
「ど、何処に向かってるの? マナカ」
「学校」
「何で」
「風車を、回す」
「え?」
「いいから、行くよ。学校ね」
行き先を告げた紗夜子は、まるで、「競争だよ」とでも言うように、まつりの手を解放した。
そして、十字路を右折し、坂を登る。
商店街を走り抜ける。
海からの風が戻った町で回転する風車並木の真ん中を抜ける。
二人、併走する。
「学校に、何があるの!」
「風力発電の制御システム!」
「え……あぁ……うん。確かにあるけど、動くかぁ?」
「動かす!」
「そ、そう……」
そして紗夜子は大きく息を吸って、
「……ごめんね、まつり!」
いきなり謝った。
「え……あ……ううん、ごめん」
謝り返していた。まつりらしくないおとなしさだ。
なんだか、よくわからない会話だった。
不意に、響いた轟音。大きな揺れと共に、二人の目の前が、地割れを起こした。突然現れた段差を、同じタイミングで飛び越えて、更に走る。
校門を抜けた。
疾走する。
追い風を背に受けて。
「まつり!」
「何?」
「風車の操作端末は?」
「ん、うん。こっち!」
今度はまつりが紗夜子の腕を掴み、前に出て、引っ張った。
中庭の隅、花壇のようなところに、円いマンホールのような扉がある。
地下へと続く道。
まつりがその扉を開けると、紗夜子が滑り込むように中に入った。
闇が広がっている。
紗夜子はコンクリート製の急な階段を軽やかに下る。
そしてすぐに、右側にあった電気スイッチを入れた。
世界が照らされる。
大型の機械と、横に並んだ三つのディスプレイ。
その手前に固定して取り付けられたキーボード。
立派なコンソール。
一昔前の、未来的なイメージの空間。
そう、古いアニメに出てくる宇宙戦艦の操縦室のようだ。
紗夜子は、溜まった埃を払うことなく椅子に座ると、キーボードを高速で叩いた。
「ま、マナカ。何してるの? パスワードは……」
「知ってる。昔、マツリの家のコンピュータに侵入したことあるから」
「な、何してんのよ……」
「いざという時のために」
かなりの犯罪だけどな。
「あんた、おそろしい子ね……」
まぁ、今、その情報が役に立ってるわけで、安易に責めることはできないだろう。
「……あれ? じゃあ、あたしが此処に来た意味って何なの?」
静寂に包まれた。
沈黙を破ったのは、
「一人じゃ、寂しいから……」
紗夜子はとても小さな声でそう言って、次々とパスワードを入力していく。
複雑に、幾重にも張られた防御網を丁寧且つ迅速に解除して、風車を制御するシステムへとアクセスする。
目まぐるしく画面が切り替わり、文字列が洪水のように流れる。指を怪我するんじゃないかってほどの高速タイピングを見せ付ける。
「あと、最後のパスワードだけ、コンピュータに無かったから」
「あぁ、えっとね。それは――」
「たぶん……これだと思うんだけど……」
言いながら、紗夜子は最後のパスワードを入力する。
『MATURI』
と入力して、決定キーを押す。すると、青い背景に白い文字の設定画面が現れた。
「できた」
「な、何でわかったの? パスワード……」
「昔、マツリが言いふらしてたじゃん。最後のパスワードは、あたしの名前なんだって言って」
「あれ。あたし、そんなことしてた?」
「うん。皆の気を引こうとして」
画面には、よくわからない文字列が並んでいた。
青い背景に英字の列がいくつも並んでいる。
「それで……マナカ。風車で何をするの?」とまつり。
「見てればわかるよ」
「そ、そう」
紗夜子は、ぶつぶつ言いながら、キーボードを叩く。
「制御システム……角度調整……マニュアルに変更……電力最大……回転方向を逆に……回転速度、限界まで。ダメ、足りない……リミッター解除……」
画面には『警告』という文字が浮かぶ。
「うるさい」
言って、キーボードを強く叩いた。
すると、日本語ではない言語で、別の警告文が表示された。
「電力が足りない? じゃあ……電力供給方向を逆に――」
『CAUTION』
英語での警告。
「うっさい」
警告を無視して、キーボードを叩く。
「今、何をしてるの?」
「風車の羽根の回転方向を逆にして、羽根の角度を手動で調整。風を受けて回る構造から逆に風を起こす構造にした。回転速度を最大にしようとしたんだけど、エネルギーが足りないって言われて、電力会社に送る分の電力をカットして、回転速度を最大にした。
でも、それだけじゃあ町が浮き上がるエネルギーを得ることはできない。だから、リミッターを解除して無理矢理回すことにした。微調整してデータ送信すれば、そういう風に風車が動く。これで、海側から吹き降ろす風とぶつかって、浮力が得られるはず」
「よくわかんないけど、いいことなのね?」
「うん」
深く深く頷いた。
そして、浜中紗夜子は、輝いた瞳で、上井草まつりを見つめた。
「マツリ。やっていい?」
「何で……あたしに訊くのよ」
「この町の責任者。マツリだし」
「あ、そっか」
「いい?」
まつりは、少し照れくさそうに目を逸らした後、らしくない微笑みなんてものを見せた。
「うん……やろう」
姿勢こそ、いつもの腕組をして偉そうに踏ん反り返っていたが、見たことないようなスッキリした顔で、強く強く頷いた。
「いくよ、マツリ」
「やっちゃって、マナカ」
そして、紗夜子の細い手がキーボードをダダダダダっと怒涛のような音を立てて叩き、最後に大きく、タンと軽やかに押した。