上井草まつりの章_1-2
と、俺が落下の衝撃による痛みに悶えていたその時、ガラリと近くの扉が開いた。
「ん、戸部達矢か?」
声がして、男が出てきた。どうやら教師のようだ。
のたくたと起き上がり、姿勢を正して、「はい」と返事する。
そして訊くのだ。
「先生とお見受けしますが、職員室が何処にあるか、教えて下さいませんでしょうか!」
「はぁ、確かに教師だが……職員室は、ここだぞ」
教師は、頭上にあるプレートを指差した。
見上げてみると、そこには『職員室』の文字。
うぇーい、転入早々はずかしーぃ!
「というか、お前、裸足じゃないか。笠原には会わなかったのか?」
笠原? 誰だろうか。
もしや、さっき俺を撥ね飛ばした女のことだろうか。
「いえ、えっと、それは背の高い女子ですか?」
「そこまで高くないな。162か3くらいだ」
「じゃあ、わかりませんね」
「まぁ……いいか。じゃあちょっとここで待ってろ」
教師は言うと、職員室奥でガサゴソした後、少し奥にあるデスクから教科書の束を手に取り、それを片腕に抱えながら戻って来た。もう片方の手にはスリッパ。
「まずはこれを履け」
スリッパを渡される。履く。
「あ、どうも……」
「じゃあこれから教室に行くからな」
廊下を歩き出した。
俺は、教師から半歩遅れて歩く。
「戸部くん」
「何ですか?」
「笠原という子がクラスに居るから、上履きを受け取るように」
「はぁ」
「結構人見知りする子だからな、あんまり脅かさないでやれ」
「はぁ」
「他に何か質問は?」
生返事ばかりしていたためだろうか、教師は苦笑した。
「あ、じゃあ一つ、いいですか?」
「何だ」
「さっき、廊下で背の高い女子に撥ね飛ばされたんですが、あれは……」
「背が高くて、他人を弾き飛ばす……となると、アイツしかおらんな……うん。それは、アイツだ」
一人で頷いて、完結していた。
「…………」
「さ、着いたぞ。ここが、今日からお前が過ごす、教室だ」
着いたらしい。
引き戸の上部に取り付けられたプレートにあるのは『三年二組』の文字。
ちなみに、廊下は水を打ったように静まり返っている。
普通、誰かが転入するとかなったら、ざわざわして大騒ぎで、期待に胸躍らせたりするものじゃないのか。なのに、まるで何かに怯えるみたいな空気を感じる。暗い雰囲気のクラスだったら嫌だな。俺は賑やかな方が好きだからな。
「おっと、もうこんな時間だな。俺のすぐ後に続いて一緒に入って来い」
教師は、時計を確認しながら言った。
「あ、はい」
教師が引き戸を開けた。教室が、一瞬だけざわついて、すぐに水を打ったような静けさに戻った。俺が教室に足を踏み入れたからだろうか。
「お前ら、席つけー席ー」
俺と教師が歩く音が妙によく響く。
で、静寂。
「さて、今日は、転校生が、来てます」
黒板に俺の名を刻みながら教師は言った。
が、まだシーンとしてる。黒板をチョークで叩く音もよく響く。
「じゃ、戸部くん。自己紹介をお願い」
教師は、チョークで白く汚れた手を叩きながら言った。
「戸部達矢です」
至って真面目な挨拶から入ったが、さて、ツカミは大事だ。どうボケようか……。
「はい拍手ー」
教師は手を叩きながらそう言った!
「――ってそりゃないっ!」
これからって時にっ!
相変わらず教室は静かだが、とにかく面白いことを言わなくては。
「何だ、どうした。時間が無いんだ。そしてお前が遅刻して来たから時間なくなったんだろうが」
おぉう、返す言葉が無い……。
「でも一言くらい」
「じゃあ、一言だけな」
さて、気を取り直して、もう一度自己紹介をしよう。
「コホン。戸部達矢です――」
「はい終わりー」
ひどい、この教師ひどい!
「これからっ! これから言うところっ!」
「何だよ、時間ないって言ったろ、さっさとしろ」
「はい、すみません……」
やべぇ……なんかすげえ蔑みの目を向けられているような気がする。蔑みって言うと言いすぎだろうが、何ていうか、白い目?
クラス中から不興を買ってるのは間違いないだろう……。
挽回しなくては!
「じゃ、テイク3な。はい、どうぞ」
そして、俺は言った。
「俺、昔さぁ、テコの原理をチコの原理だと思ってたんだ。似てるよね――ってチコの原理って何だよ!」
「………………………………………………………………………………」
北極った!
皆が寒さに震えている!
皆が俺の目を見ようとしない!
挽回を……あったかいネタを。
そうだ、そうさ!
人間はスベってからが勝負!
得意の裏声を披露する作戦っ!
「あたし、最近お肌が気になるのよね。やっぱ、30代に入ると、『角質』との『確執』が表面化してしまうのかしら。それを『隠しつ』つも確実に老いが襲って、もう正面からじゃ若さに太刀打ちできないわ……あーあ。美の『隠し通』路とかがあればいいのにな」
「………………………………………………………………………………」
南極化!
極寒!
温暖化はやはりウソだった!
「気は済んだか?」
「はい。調子こいてすみませんでした……」
皆が白い目で見てくる。もう登校拒否したい。転入したばっかだけど。
「さ、それじゃあ授業を始めるぞ。お前の席は一番後ろに空いてる席だ」
見ると、最後方には空席が二つあった。窓際の席と、その隣の席。
「二つ空いてますけど」
「好きなほうに座れ。ほら、教科書」
教科書の束を手渡されたので、受け取る。
好きなほうに座れ、か。ま、当然、窓際の方だよな。
俺は静かな教室の中を歩き、着席した。
自己紹介に失敗した。