最終章_5-2
朝になった。
何故か、甘い香りがする。
砂糖、いや、メロンパンが焼けるような……。
俺は、それで目を覚ました。
「ん?」
じゅうじゅうと何かを炒める音がする。
何だろうか……。
「あっ、達矢くーん。起きたー?」
キッチンの方から声がする。那美音の声だ。
「お、おう……」
俺は返事しながら寝袋から脱出した。
紅野明日香は、まだベッドでだらしない格好で眠っている。
俺は、その姿を確認した後、那美音の居るキッチンへと向かった。
すると、視界に飛び込んできたのは――!
何だこれは。ん、えっと、何だ……これは?
思わず、心の中で二度同じようなことを呟くほどに、それは謎の光景であった。
「どう? この料理」
そう、目の前には料理が並べられている。
いくつも並んだ皿。
メロンパンのソテー!
メロンパンのサラダ!
メロンパン汁!
メロンパンごはん!
何という、阿鼻叫喚の地獄絵図。信じられない四皿。悲劇のメロンパンづくし。
「普通のメロンパンばかりだと飽きると思って、味を変えてみたの」
「何故、こんなことに……」
「まあまぁ、騙されたと思って食べてみなよ」
とりあえず、つまんでみた。もぐもぐしてみる。
何だと。普通に食べられるレベルだ。絶品かと言われれば絶対違うと思うが、不味くはない。
「当然でしょう。メロンパンだもの」
それは、理由になってないような気がする。
「じゃあ……スパイだから」
それも、理由になってないような気がする。
つまり、この女スパイの料理の腕はなかなかのものだってことか。
「とにかく、アスカちゃんを起こしてきて。朝ごはんにしましょ」
「あ、ああ。わかった」
俺はキッチンを後にして、明日香を起こしに向かった。
「…………」
「くー、くー」
よく寝てる。利奈から借りたぶかぶかの服を着て、ちょっと腹出して寝てる。
こうして寝ていれば可愛いというのに、起きれば横暴に騒ぎ出すからな……。
「ぶっちゃけ、起こしたくない」
それが正直な感情である。
が、しかし、次の瞬間――
紅野明日香は、ぱちりと目を開いた。
「……何見てるのよ」
「い、いや……別に……」
「まさか、変なことする気じゃないでしょうね」
言いながらベッドから這い出てきた。
「いやいや、そんなわけないだろ。疑り深いのは治さないと友達できないぞ」
「そんなことないもんね。居るもん。友達」
「ほう」
「まず達矢でしょ、利奈っちもそうでしょ……」
お前が一方的に友達だと思っているだけなんじゃないのか?
親分と子分の関係を、果たして友達と言うのであろうか。
もしかしたら、この女、普通の人間関係が構築できない、けっこう可哀想な子なのかもしれん……。
「達矢。何か失礼なこと考えてない?」
「まぁ、ちょっとな」
明日香は、少し怒りの表情を見せた後、
「まぁ良いか」
すぐに切り替えた。
立ち直りのスピードが高速であるのは実に素晴らしいことだと思う。
「ところで、悪い夢を見たわ」
「何だ? いじめられた夢でも見たか?」
「ううん。それじゃなくて」
「じゃあ、どんなだ」
「二重スパイを名乗る謎の女に銃を突きつけられて、何とかその局面は打開して逆訊問するんだけど、最終的に倒されるっていう夢」
夢じゃねぇ。そいつは現実だ。
「もしや、こいつ、現実逃避してるんじゃないか……?」
と、その時――
「あっ、達矢! うしろ!」
紅野が叫んだ。
思わず後ろを振り返る。
すると、またしても銃口を突きつけている女がいた。
「あんたは、夢の中の二重スパイ!」
俺は明日香の両方の柔らかな二の腕を掴み、
「明日香。落ち着いてよく聞け。お前の見たのは夢じゃないんだ」
「は? あんな現実離れしたのが夢じゃないはずないでしょうが! てか、今現在繰り広げられているコレも夢に違いない!」
「いい加減にしなさい。現実を見るのよ、紅野明日香」と那美音。
そこで俺は明日香から腕を放し、明日香の隣に座った。
「……夢じゃないとしたら、私は『選ばれし者』で、ソラブネを動かす『鍵』とかいう存在になっちゃうじゃないの」
「実際、そうらしいぞ」
「そんな子供っぽい創作物の主役みたいなものになるわけにはいかないわ」
「気持ちは大いに理解できるがな……」
「悲しいけど、それ現実なのよね」と那美音。
「ああ、悲しいけど、これが現実だ」と俺。
「またからかって! その銃だって、どうせニセモノなんでしょ?」
「また同じ質問して……」
やれやれ、といった調子で那美音は言った。そして、
「達矢。説明してあげて」
「えぇ? 俺が?」
すると明日香は顔をしかめ、
「てか何でスパイと仲良くなってんの? あんた」
「成り行き上、従うしかないのだ」
「私の子分をやめて、この女の手下になるわけ?」
「いや、俺は誰の手下にも子分にも――」
「いえ、達矢くんはもう、あたしの手下」
「やれやれ……人気者だな、俺は……」
俺は思わず遠い目をした。
「達矢、あんまふざけてると恥骨削るわよ」
「何言ってんだ……」
痛そうじゃねぇか。そして何となく恥ずかしいじゃねぇか……。
「とにかく、紅野明日香は現実を直視して、あたしに協力しなさい」
「協力ぅ? 何よそれ」
「それが、紅野明日香のためにもなるのだから」
「あんたなんて信用できないわよ!」
「お前は、どうすりゃ信じるんだ?」と俺。
「そうね……証拠。人の心が読めるんでしょ? その証拠を見せてみなさいよ」
「でも、あたしの力では、紅野明日香の心は読めないわ」
「じゃあ信用できない」
「自分の見たものしか信じられないなんて、心の貧しい女だな」と俺は言ってやる。
「はぁ? 肋骨一本余分にハメるよ?」
「どういうことだそれ……」
とにかく、憤りを表現する時に、骨をどうにかしようと言い出すのはやめてほしい。現実に骨を色々されなくても、想像するだけで痛い気がする。
「ふぅ」那美音は一つ、溜息を吐いてから、「そこまで言うからには、見せてあげるわよ」
そして次の瞬間、
(あたしは、柳瀬那美音です)
声がした。
那美音は口をぎゅっと閉じたままだった。
「これが、テレパシー?」
(そうよ)
那美音は答えた。
「すごーい。腹話術ぅー」と明日香。
「――ちげーだろ」
俺は思わず、明日香の肩を手の甲で叩いてツッコミを入れた。
「ちがうから。テレパシーだから」と那美音。
そう、今のは腹話術とは明らかに違う。頭の中に直接響いてくるような声だった。まるで、ヘッドホンで音楽を聴いている時のように、頭の中で音が鳴っているような。
「やれやれ。どういうカラクリ? スピーカーはどこ? ウワサのなんちゃらサラウンド?」
「そんなものは無いわよ」
「いずれにせよ、テレパシーなんて嘘っぽいもの誰が信じるのよ」
俺は、割と簡単に信じたけどな。
「じゃあ、たとえば、達矢の恥ずかしい過去を一つ」
おいこら……やめろ。
「このくらいのことは言わないと、信じてもらえないでしょう」
「それは……」
「というわけで言うわよ」
「達矢くんは、昔、女の先生を『お母さん』と呼んでクラス中で笑いものにされたことがある」
「何故それを……」
そんな深いところまで読み取れるというのか……。
「どう? 恥ずかしいでしょ」
那美音はニヤリと笑いながら言う。
「それって……恥ずかしいの?」
と明日香。
「くっ、俺の恥ずかしい記憶を読んでくるとは……」
「それ……私も言ったことあるんだけど……」明日香は言った。
何だと。
「そうなのか、仲間だな!」
「そうね、あはは……」
「どう? これで信じる気になれた?」
「なるわけないでしょうが」
なかなか信じようとしない明日香。何だろう、俺の恥ずかしい話一個分、損した気分だ。
「じゃあ、達矢の恥ずかしい記憶をもう一つ」
「もうやめてくれ……」
他に、那美音が他人の心を読める超能力者であると証明する手段は無いのか。
「じゃあ明日香。逆に訊ねるが、どうすれば信用するんだ?」
「テレパシーでしか知りえない情報でも、集めてみなさいよ」
「……言ったわね。じゃあ、待ってなさい。精神集中するわ」
言うと、那美音は銃をしまいこみ、目を閉じた。
そして、数秒後、「……うっそぉ……」と呟いた。
「「ん?」」
二人揃って首を傾げる。
そして、そのまま、那美音は目を閉じて黙り込み、数分の時が流れた。その間、何となく張り詰めた空気で、俺も明日香も黙ったままだった。固唾を呑んで見守るというのは、こういうことを言うのだろうか。
沈黙を破ったのは、那美音だった。
「二人とも、落ち着いて聞いてね」
「何か……あったのか?」
俺が恐る恐る訊くと、那美音は答える。
「今、町の人々の心を読んで情報を集めたんだけどね……この町に、不発弾があるという理由で、政府がこの町に避難を勧告したらしいわ」
政府が……というと、つまりSの軍隊が?
「そう。S軍は、やる気よ……」
「やるって、何を?」
「この町を破壊しつくしてでも、ソラブネの復活を阻止して、ソラブネを破壊するつもりだわ」
「は?」
明日香は何言ってるんだかわからないといった様子で居たのだが、那美音は叫ぶように、
「この町、ピンチ!」
実にわかりやすい。
「不発弾って……本当なのか?」
「いえ、それは嘘。ソラブネが不発弾と言えるくらいに危険なものだというのは、本当だけど」
「要するに、ヤバイんだな?」
「ええ、ヤバイのよ。政府はこの町を爆破する気だわ」
爆破……だと?
「そう。『不発弾がある』っていうのは、爆発を正当化させるための保険的発表なわけ。ついでにあたしや紅野明日香をおびき出すための罠」
なるほど。それで紅野や那美音が避難しようとしたら政府の軍が身柄を拘束してしまうというわけだ。
「あたしは、追われる身だから堂々と避難する皆に混じることはできないし、当然、死にたくなんてないから爆破に巻き込まれるわけにはいかない。もう、あたしが両軍のスパイしてたことは、バレちゃったから、どちらの軍にも戻れない」
「えっと、じゃあ……この町を守るためには」
「紅野明日香が必要」
那美音は言った。
「…………」
驚き……というよりも、信じられないというような顔をしていた。
「紅野明日香を……政府の軍に引き渡せば、大きな戦争は回避できる」
「じゃ、じゃあ……」
S軍に引き渡すと?
「よ、よくもそうポンポンひどい嘘が吐けるものね」明日香は怒りの目で那美音を見据えた。
「だから、嘘じゃないんだってば……」
「で、どうするんだ?」
「でも、あたしは紅野明日香の命を使わずに、政府軍の爆撃を止める」
つまりM軍に明日香を渡すと?
「Mの軍隊に渡す? それこそ大戦争の幕開けじゃないの。達矢くんは、そんなにドンパチやりたいの?」
そんなわけないだろうが。
「でも、そしたら、どうやってだ?」
「……銃を片手に叫びながら突っ込んでみるとか?」
それ、負けほぼ確定じゃねぇか。
「ナイフ片手に『うおりゃー』と叫んで……」
それも、ほぼ負けるだろうが。
「素手で、」
「――死ぬ気か」
「ま、冗談は置いておいて……あたしは、争いも嫌だけど、紅野明日香も死なせたくない。知り合って、同じベッドで寝た人がいなくなるなんて、嫌だもの」
あぁ確かに、同じベッドで寝てたな。変な意味じゃなく。
だが、じゃあ、どうするんだ?
「もう知ってると思うけど、あたしの能力は、球形範囲で、半径数十キロメートルほどの距離に居る人々の心を読むこと。そして、その範囲にあたしの心の声を飛ばすこと」
初耳ですけど。
「だから、この町で起きていることは、本気出せばほぼ把握できる」
「だが、明日香の思考は読めないんだろ? それと同じように、心が読めない人が存在する可能性もあるじゃないか」
「おそらく、それはない」
「何故言い切れる」
「紅野明日香が、古文書に記されていた『選ばれし者』ならば、あたしにはその思考は読めないってことが、わかる」
「何でわかるんだ」
「わかるのよ。とにかく。説明できなくてもどうしてか理解できることがあるの」
「明日香以外の思考が読めるという根拠は?」
「根拠なんて無い確信」
アテにならねぇ……。
「それで……結局、どういう方法をとれば、戦争とこの町と明日香の危機が回避できるんだ? さっきからそこらへんを答えて欲しくて何度も訊いてるんだが……」
「それを考える材料が、今、足りない」
「要するに……そんな方法は、現状見当たらない……と?」
「人生っていうのはね、時々、こういう、どっちかを選択するとどっちかが壊れるっていう瞬間に出会ってしまうもので……全てが完璧に進むことなんて、稀なものなのよ。でも、完璧を求めてなお綻ぶのだから、人は向上心を捨ててはいけないと、あたしは思うわ!」
何だか、ビシッと俺を指差しながら変なことを言い出した。
「要するに何だ」
「今は、焦っても仕方が無い。情報が少なすぎるから」
「つまり……様子見をすると?」
「まぁ、そういうことね」
そこで、明日香が呟いた。
「ねぇ……私って……何者なの?」
弱々しい声で。
「『選ばれし者』でしょ」
と那美音が即答。
明日香は、今度は声を荒げて、
「だから! それって、何?」
「えっと……生まれついて、とある不思議な物質を体内に持つ『最初の人』の生まれ変わりで『ソラブネ』の鍵を握る奇跡の人」
「何なの、そのバカみたいな設定……」
「あたしに言われても……」
「私は、どうすれば良いの?」
「それを、これから考えるんじゃないか」
押し黙ってしまった……。
「さぁ、そうと決まったら、メロンパンでエネルギー補給よ!」
「そ、そうだな……」
「腹が減っては頭も回らないし、戦えないもんね」
「ああ、那美音さんの言う通りだ」
「那美音さんが、敵ではないのはわかったけど……何なの、この町……」
紅野明日香は呟いて、泣きそうな声で俯いた。
「よし、それじゃあ達矢。あたしが作った料理、運んできて」
「お、おう。そうだな」
そして俺は、キッチンから、メロンパンセットを運んだ。
「うげぇ……何よ、このふざけた料理は……」
明日香は青ざめていた。