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序章_3

 脱走したは良いが、行くアテが無かった。


 移動する場所によっては、また嫌な視線を向けている誰かに見つかってしまう可能性だってある。それはそれで、誰が自分を監視しているのかの手掛かりくらいにはなるのだろうが、正体を突き止めることよりも、少しでも視線を感じたくないと思っていた。


 女子寮を出て、坂を下りていく。十字路に差し掛かった。


 引き返して図書館にでも行くか、まっすぐ行ってショッピングセンターや病院に行くか、右に行って学校に行くか、左に行って湖に行くのか。


 どうしようかとあれこれ考えた結果、湖方面に行くことにした。


 湖と言っても、実際は池なのだが、人々が湖と呼ぶのだから湖なのだろう。


 湖畔は、公園のように整備されていて、見通しが良く、広い。ここなら怪しいストーカーに狙われることもないだろうと、胸を撫で下ろしたのだが、その時だった。


「へへへ、ようやく見つけたぜ」


 背後から、そんな声がした。振り返ると、不良が群れをなしてそこに居た。その数、八人。


 ひどいものである。要は八人で一人の女の子を襲おうというのである。


「紅野明日香だな」


 そして明日香が、「何よ、あんた達」と言おうとして、「何よ――」と言ったところで、一番体の大きな不良の手が伸びてきた。回避しようにも囲まれているので、逃げられず、髪の毛を掴まれる。そのまま引っ張られる。


「っぅ、い、痛いっ!」


 明日香は不良の腕を小さな手で掴んで抵抗を試みるも、明日香は上井草まつりとは違って女性らしく非力なため、どうにもならない。


 不良は、いやらしい笑いを浮かべながら、


「へっへへへ。何だ、大したことねえじゃん、新しい風紀委員爆誕っつーから期待してたんだけどなァ」


 周囲の不良どもが、その言葉に反応するように笑った。





 その頃、ショッピングセンターの中華料理屋では、明日香に電話した無愛想な店員ちゃんが何事もなかったかのように働いていたのだが、重要なのはそこではなく、湖畔を散歩していた男子生徒Dだった。


 Dが湖畔を歩いていたところ、馴染みのある連中が、まるで円陣を組んでいるが如く群れているのが見えた。中にはDとそこそこ仲の良い男も居たものだから、何の集まりなのかと気になって近寄ってみる。


 すると、その円陣の真ん中に居るのが、休日だというのに制服を着た女の子だというのがわかった。今朝の中華料理屋での会話が思い出され、その女の子が風紀委員の紅野明日香だと確信する。


 紅野明日香が、さほど長くない髪の毛を引っ張られたり、地面にたたきつけられて顔面を強打したりしていた。


 気丈にも泣いたり(わめ)いたりはしていなかったが、それがかえって痛々しかった。


 紅野明日香が襲われてるのは自分のせいだと思った。


「師匠、何とかしてくれるって言ったのに」


 と呟きながらも、走り出し、できるだけ低い声で叫ぶ。


「てめぇら、何してんだ!」


 故郷に帰れなくなることがDの脳裏をよぎらなかったわけではない。ケンカなどの問題行動を起こせば、どんどん故郷から遠ざかるのは理解していた。それでも、襲撃されている女の子を見て、見て見ぬフリなどできなかった。


 たとえ屈強な男たちが相手でも、堂々と戦う自信があった。


 ――こいつらが束になっても、上井草まつりよりも、だいぶ弱いし、師匠にも全然劣るのだから。


 男子生徒Dは、今が師匠との修行の成果を見せる時だ、と思った。本来なら上井草まつりを倒すことでそれを証明したかったが、まつりは別格。女性を襲う何人もの男だって十分に強敵で、この町に来る前の自分には勝てる相手ではなかったのだから、成長を実感するには十分な相手だ。


 紅野明日香は自らの痛めた箇所、顔面、膝、左腕をさすりながら、Dの方を見た。助けを求める目ではなかった。不信の目だった。まるで、「あんたもこいつらの仲間なんでしょ」とでも言いそうな、誰も信じない、信じることができないような。


 腹が立った。


 女の子を、そんな絶望的な状況に追い詰めた連中は、万死に値すると思った。その追い詰めた連中の中には、紅野明日香を襲う計画を知りながら何もできなかった自分も含まれる。


「てめぇら、ダセェことしてんじゃねえ!」


 太く、強く、声を張る。一番有名な不良Aという男に向かって。


 すると、金髪の不良が、Dの至近に寄って、息がかかるくらいの近さで、にらみつけながら


「あァ? 誰だ、お前」


 さらに別のモヒカン頭の不良が、


「おうおう、あんだお前、ナメた口ききやがって。この方は高校生でありながら銃刀法違反で逮捕されたこともある、Aさんだぞ」


 しかしDは怯まない。


「そうか。それが、どうした。犯罪自慢なら町の外でやれ。ここは、人が更生する場所だ。それから上井草まつりが支配者じゃなくなったからって、その途端に大人数で女子を襲う? 腐ったことしてんじゃねぇよ!」


 Dはそう言うと、不良の真ん中を歩いていき、紅野明日香に手を差し伸べた。


「あ、え、あ、ありがとう」


 そう言った明日香は、差し伸べられた手を掴み、立ち上がると、Dにやや乱暴に思えるくらい力強く引っ張られてベンチへと座らされる。


 Dは言う。


「少し、待っていてくださいっす。あいつら倒してやりますから」


 こくりと頷く明日香。


 Dは、負ける気がしなかった。それだけの修行を、師匠の下でやってきたという自負があるから。Dは存分に拳で語らおうと身構える。その上半身の姿勢のまま走って、八人の不良集団の中心に突っ込んでいく。


「うぉおおおお――――――!!」


 などと雄たけびを上げながら。


 腕に自信ありげなリーゼントヘアの暴走族風の不良が、「ここは自分が」と不良Aに告げて前に出る。そして、こう言った。


「よう、お前、Dって呼ばれるんだってな。実は、何を隠そう、このオレも不良Dと呼ばれてるのさ。Dの名を持つもの同士――」


 しかし男子生徒Dは、不良Dの言葉などまるで無視して頭突きを見舞うと、不良Dは沈黙せざるをえなかった。自信満々に歩み出て来たわりにはあっけないやられ方である。それだけ男子生徒Dが強いということ。


「やりやがったな!」


 だとか、


「おらぁ!」


 だとか騒ぎながら暴れて無茶苦茶に襲ってくる不良どもだったが、Dは師匠譲りの冷静さで的確に相手の大味な攻撃を避けながら、効果的なカウンターアタックを仕掛けたり、先制攻撃で肘を入れたりといった乱暴行為で、傷を負った明日香の仇を討っているようだった。


 明日香と男子生徒Dに格別な関係など皆無である。つい今さっき初めて顔を合わせたばかりである。だがDは女の子を集団で襲う行為に対して限りない怒りを抱いたのだ。被害者が紅野明日香でなくとも、同じように動いただろう。たとえそれが、自分よりも圧倒的に実力が上の相手だったとしても。


 もちろん一方的な展開というわけではない。相手は八人居るわけである。時には殴られ蹴られ、苦しげに膝をつく姿も見せることもあった。


 戦闘中に、水を差すように雨が降ってきたが、降雨コールドもなかったし、中断もなかった。


 雨風の中、殴る蹴る。明日香が手の平で口元を覆うような野蛮な行為を繰り返し、Dと不良の戦いは、Dの消耗が激しいものの、Dがやや優勢といった感じで進んで行ったが、通りがかった女子生徒が悲鳴を撒き散らしながら傘を放り投げて学校方面へ逃げたことにより、不良どもが焦った。


 騒ぎになって困るのは、不良連中も同じである。彼らだって罰としての独房入り等はしたくない。不良たちの半分は、「ちくしょう、おぼえてやがれ!」などというザコっぽい捨て台詞をそろった声で残して逃げて行き、もう半分は無言で走り去っていった。


 もちろん、ケンカ騒ぎを起こしたとあっては明日香が元の町へ簡単に戻れなくなることをも意味していたのだが、目の前で繰り広げられた本物の乱闘に唖然とした明日香はそんなことを考えている余裕など無かっただろう。


 不良たちの背中を見送って、整った顔や締まった体に多くの傷やアザをつけられたDは、その場に大の字に寝転んで雨に打たれていた。まるで捨てられた家電みたいである。


 彼女は、立ち上がりDに駆け寄ろうとした。しかし、駆け寄らなかった。


 紅野明日香としては、「ありがとう、大丈夫ですか?」とでも声を掛けようかと思ったのだろうが、それよりも先にDに駆け寄った女が居て、何となく邪魔してはいけない雰囲気を感じ取った明日香は、ベンチに座りなおし、二人のやり取りを見守っていた。


 正義の大暴れを果たしたDのもとに駆け寄ったのは、中華料理屋の無愛想な店員ちゃんであった。彼女はDの師匠でもあるので、戦いの途中に駆けつけて雨の中、傘も差さずにその姿を見守った後、こうして駆けつけたのだ。


 男子生徒Dは照れたように笑いながら言う。


「すんません。やっちまいました。師匠」


 すると中華料理屋の店員ちゃんは、雨に濡れた紙袋から冷めた豚まんを取り出し、無理矢理口にねじ込んだ。


 口の中を切っていて痛むのか、苦しそうな顔をした。しかし、それに気付きながらも中華店員は拷問でも仕掛けるかのようにグイグイと押し込む。


「ふふぁいっふ、ふぃふぉー」


 うまいっす、師匠。と言ったつもりなのだが、言えてなかった。


「あたりまえ」


 しかし通じていた。さすが師弟である。


 この時、中華店員はかなり責任を感じていた。紅野明日香の件は自分が何とかしようと考えて、「絶対に外に出てはダメ」ということを告げただけで大丈夫だろうとタカをくくったため、弟子を暴れさせる結果になったのだと。これで不良たちが「Dにやられた」とかチクることがあれば、Dは故郷に帰るのが遅れるわけで、そうなれば中華店員ちゃんにしたら悲しくもあり嬉しくもあるという複雑な心境。ともあれ、全く責めてこない弟子のせいで、何となく謝ることのできない中華店員ちゃんは、弟子の好物である豚まんを押し込むという行動しかできなかった。


 中華店員ちゃんは、豚まんをもぐもぐしている泥まみれのDを、腕を引っ張って立たせると、脈絡なくビンタした。零れ落ちてDの代わりとばかりに泥まみれになる豚まん。そして表情なく言うのだ。


「ばか」


 わけがわからないが、これが、この師弟のコミュニケーションなのだろう。


「いたくないっす」


「痛くないようにやった」


「これで、しばらく帰れなくなっちまったっすかね」


「ばか」


 そんな会話を交わしながら、明日香の存在なんて忘れてショッピングセンターの方へと歩き去っていく。


「師匠、もうちょっとよろしくっす」


「ばか」


「すんません、師匠。カッコわるくて」


「ばか」


 雨風の中、湖畔のベンチに制服姿で一人残された紅野明日香は、何が何だかわからないまま呆然と座り続けているしかなかった。





 紅野明日香は風に吹かれ雨に打たれながら混乱していた。肌にベッタリとはりついた制服の不快さを気にする余裕も無かった。


 結局、自分を監視したり狙ったりしていたのは不良たちだったのかと言えば、そんなことも無いと思う。上井草まつりは風紀委員失格の烙印を押されたと感じて依然落ち込み中であり、そんなことをする余裕は無かったし、志夏でもない。


 一体、誰が明日香を監視していたのか。


 ここで、ものすごい唐突ではあるが、その明日香にとって嫌な視線の主が姿を表した。


 誰も居なくなった雨の湖で、突然現れた女が、紅野明日香に銃を向けていた。


 銃口をまっすぐ、確かに明日香に向けていた。


 長身で髪は短く、谷間が目立つくらいに胸は大きい。紫のブラウス、黒のタイトなジーンズを穿いていた。まるで着衣水泳していたかのようにずぶぬれで、傘も差さず、雨に打たれながら、親指でカチリと回転式拳銃の撃鉄を起こす。シングルアクション。拳銃から水が滴る。


 距離は五メートル。照準は真っ直ぐベンチに座る紅野明日香の眉間。あとは引き金を引くだけだった。


 紅野明日香は動けなかった。状況は理解していた。ヘビににらまれたカエルっていうのはこういうことなのかな、なんて、思ったりしていた。だが、とにかく意味がわからなかったのだ。


『――絶対に、外に出てはダメ』


 寮で受けた電話が思い出された。


 あの電話の主の言うことを聞いておくべきだったと思う。外に出たら大勢の男たちに囲まれて、今度は知らない女に銃を向けられている。


 ――でもだって、仕方がないじゃん。こんなことになるなんて思わなかったし、電話そのものだって、ストーカーみたいで怪しかったんだから。


 場違いに心の中で言い訳を展開しながら、これがドッキリ企画みたいなものだと思いたがる。疑う心がこの事態を招いたのだとしても、誰が明日香を責められるだろうか。


 明日香の目の前に立つ女は真剣だった。演技のにおいなんて欠片も感じられない。もしもこれが演技だったとしたら、テレビに出る女優の演技がリアリティを求めていないものだってことを差し引いてもナンバーワン女優の名を欲しいままにできるように思えた。


 結論を言えば、演技などではないので、演技のにおいが感じられないのは当然である。


 紫の服着た女は言った。


「ごめんなさいね、世界の、ためなの」


 風の音が響く。稲妻が走って空が光る。雨音が響く。いくつもの雨が湖に飛び込み、水面が沸騰しているみたいだった。


 地獄みたいな世界の中で、肌寒さと、体の中から生まれ出る妙な熱さを感じながら、明日香は涙を流す。恐怖から出た涙かどうかすらもわからない。突然の出来事すぎて何が何だかわからない。理由が何もわからない。


 目の前の紫色の女が、悔しそうに呟く。


「本当は、こんなことしたくないんだけど。ごめん。ごめんね」


 引き金が引かれる。弾丸が飛び出す。雨も風も、音の壁も切り裂いて、明日香の目の前まで。


 しかし、その時、信じられないことが起きた。


 明日香も目の前で銃を構える女のことをわけがわからないと思っていたが、それ以上に、わけのわからない現象だった。


 それは、本当に普通では考えられない出来事だった。


 恐怖に見開いた目の先で、銃弾は溶け落ちた。


 瞬時に溶け落ちて、勢いを失って地面を焦がし、雨を蒸発させた。


「なっ、何ですって……」


 明日香の体が異常な熱を帯びたわけではなかった。しかし、熱の原因は明日香にあった。


 本来なら明日香の眉間を打ち抜いていたはずの弾丸が急に溶け落ちたのは、明日香の中にある明日香を守ろうと備わる力。人が本来持っていても発現させることが困難な力。


 そのような力を、人は超能力と呼ぶ。


 発火能力。


 前触れなんて無かった。明日香自身、そんな力があるなんてことは幼少期から逐一記憶を掘り返してみても思い当たらなかった。強いて言うなら、炎に包まれる夢を何度か見たことがあるくらいだった。もしかしたら、それが前触れみたいなものだったのかもしれない。


 明日香に銃を向けていた女は早く殺さなければと再度親指で撃鉄を起こし、弾丸を発射したが、今度は明日香の目の前に到達するまでもなく溶け落ち、銃自体も砲身から溶け出し、危険を感じた女は悲鳴を上げつつ手放した。銃の形を何とか留めた鉄の塊は地面にくっついて同化すると、雨を受けたり濡れた地面に触れたりして白い煙が立ち上る。


 女は言う。全てを理解し諦めたような口調で、


パイロキネシス(発火能力)ですって。そんなまさか。でも、道理で……」


 明日香は目を閉じた。まぶたの裏が、焼けるように熱かった。


 目を開いた。


 視界の大半が、燃えた。


 超能力の暴走だった。湖から火柱が立った。風車が溶け落ちた。炎が湖全体を覆った。水があるところなら、炎は出にくいはずである。にもかかわらず、炎が立ち上った。


 視線が全てを焼き尽くす。摩擦によって発火する。


 銃を捨てた女は背後を振り返る。立ち上る巨大な火柱が見えて、もう逃げ場なんて無いことを知る。


 真紅の世界の中で、自分自身の選択の愚かさを悔やんでいた。町を救えなかったことを嘆いて、自分を責めていた。頭を振り、下を向く。


 明日香は周囲をキョロキョロと見回している。自分が原因で発生した炎に恐怖と戸惑いを感じながら、涙を止められないでいた。


 ――これ、夢だよ。


 夢だと思いたがる明日香だったが、夢ではなかった。


 炎にまみれた世界で、明日香自身が全く熱を感じていなくても、目の前の光景が到底信じられない異常な地獄の光景であっても、それは夢ではなかった。


 立ち込めていた暗雲も、赤く染まる。


 先ほどまで明日香に銃を向けていた女は、はっとする。諦めている場合ではなかった。町を何とか守らなくては、と思う。


 女は紅野明日香に歩み寄り、両肩に手を置いて揺すると、叫んだ。


「止めて! この炎を止めて! 早く! 早くしないと取り返しのつかないことになる!」


 明日香がまばたきをした。女の、既に乾いていた紫の服、その袖に火が点いた。雨に打たれても、その炎は消えない。


「どういうこと? あんた誰? この炎は何?」


「あなたのせいなの。紅野明日香。あなたがこの炎を!」


 その時、女は自分の腕が燃えていることに気付く。服の袖をビリビリと破いて投げ捨てる。


 町には、いつも強い風が吹いている。


 裂け目で増幅された強風が、燃える湖から町へと吹き上げていく。つまり、早く消火しなければ、町へと燃え広がってしまう。


 高温、高熱。喉が焼けるように痛くても、女は必死の形相で明日香を揺すって炎の音に負けないように大声を出す。


「止めて! 止めてよ、炎を!」


 しかし、明日香には止め方なんてわからない。その前に現実だと信じられない。信じたくない。


 女は、紅野明日香が炎を止められると思っていた。しかし、それは不可能である。


 明日香の能力は、炎を生み出すことであって、炎を自在に操ることではない。それも、それは安定的にコントロールしているわけではなく暴走している。


 巨大な火炎を消すには、巨大な水の塊が必要であるが、この町に降るスコール的な雨であっても、地上から立ち上る強すぎる火勢を抑えることすらできない。


 ただ、時間だけが過ぎていく。炎が広がっていく。


 明日香から生まれた炎は、町の全ての酸素や水素等を飲み干すように巨大化を続けていく。町の南の方ではショッピングセンター近くで管理されていたガソリンに引火したようで、大きな爆炎が上がる。


 雨の中で燃える町。雨で徹底的に濡れていたはずの町が、徹底的に炎に包まれる。まるで、降ったのが雨ではなく油だったかのように。もちろん油が降ったわけではない。水だったはずだ。ただ、それ以上に炎に勢いがあったということ。連鎖的に爆発するように広がり、多くの人々が暮らす町を数秒のうちに炎で包んでしまった。


 あっという間。坂を駆け上がる強風にあおられ、町の至るところに火が点いた。家、森林、寮、商店街、草原、学校、そして風車。全てが燃え落ちていく。翼を広げた鳥のように、町の道路をつたって燃え広がる。


 飛び交う悲鳴。叫び声。声を上げる間もない者も居る。


 白い風車は熱風を浴びて火炎に赤く染められながら回転を続けていたが、やがてドロドロに溶け出した。中には倒れてゆく風車もあった。


 明日香は、場違いに笑う。

 信じられなくて笑う。涙を流しながら笑う。目の前の炎まみれの光景が意味不明すぎて笑う。信じられなくて笑う。


 ――何がどうしてこんなこと。何のためにこんなこと。


 わからない。何一つわからない。


 そんな明日香を、目の前の女が殴ろうとする。拳を振り上げる。


 身構えた。


 次の瞬間には居なかった。


 跡形も無かった。まばたきしたら居なかった。灰も残さず蒸発した。嫌な臭いがする。


 ――夢のような気がする。夢で見た気がする。夢では、この後、風車が倒れてくるんだ。


 振り返る。本当に風車が倒れて来ていた。悲鳴を上げた。


 でも無事だった。風車の方が跡形もなく蒸発した。


 まるで違う世界に消えるように、プラスチックが焼けるような臭いを残して。


 意味がわからなかった。キョトンとした。燃え盛る炎の中、自分だけが無事な意味がわからない。何かの冗談かと思う。吐き気がする。


 見上げた町が燃えている。爆発もしている。白い煙や黒い煙を上げている。


 町の方から、誰かが歩いてきた。


 明日香はその燃え盛る火と煙の海の中に浮かんだ少しずつ近付いてくるシルエットを注視する。


 志夏。伊勢崎志夏だった。生徒会長にして寮長、そして級長。


 ゆっくり歩み寄って来た。


 明日香は、知っている者が居ることに安心した。それに、彼女なら何かを知っているかもしれないと思った。これは夢なのよと言ってくれるかもしれないと思った。


「あの、志夏。これは、何?」


 しかし、伊勢崎志夏は質問には答えずに、こう言った。


「まさか、こんなことになるなんてね」


 何かを知っている風だった。


 ベンチから立ち上がった明日香は、震えてうわずった声で、視線をグラグラと揺らしながら言う。


「どういうこと? 何なの? よくわかんないけど、女の人は私のせいって言った。何から何まで、何が何なのか、全然よくわかんないよ」


 すると志夏は冷静にこう言った。


「元々、そういう素質はあったんでしょうね。エンジンである紅野さんの中には、それほどのエネルギーが秘められていたということ。それが、今回はこういう形で発露しただけ」


「何? じゃあこれ、やっぱ、私が……?」


 伊勢崎志夏はこくりと頷く。


 明日香の中で、どす黒い絶望が渦を巻いた。


 まだ世界は燃え続けている。町の全てを焼き尽くすまで、焼き尽くしてもしばらくは、消えないだろう。


 明日香は膝をつき、両手で顔を覆った。半袖のセーラー服は、炎の熱によって乾いていた。髪も乾いていた。海からの風が、髪や服を揺らす。明日香の周辺に降る雨は瞬時に溶けて水蒸気に変わって見えなくなる。


 そして、気付きたくもなかった事の重大さに気付き、またしても涙を流す。


 ――町の人は、どうなった。


 土下座するように地面に手をつき、かすれた声で呟くように、


「私さえ、此処に来なければ」


 しかし志夏はこう言った。


「いいえ、それは違うわ、紅野さん」


「何が、何が違うのよ」


 伊勢崎志夏は、燃えさかる面影なき町を見上げながら、


「すべては、これから始まるんだもの」





 時は繰り返し回り続ける。私が望む終わりが、訪れるまで。





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