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紅野明日香の章_4-5

 大型ショッピングセンターの裏側に来た。


 物陰で、手を繋いだまま立ち止まる。足元は、ぬかるんでいた。


「はぁ、はぁ……紅野、気配は?」


 息を切らしながら、訊くと。


「……なくなった」


 紅野は息を整えた後、答えた。


 どうやら()いたらしい。


「はぁ……そうか」


 俺も息を整え、天を仰いだ。


 小さな雨粒が、目に入った。


「それで、達矢、トンネルって、もしかして、あれかな」


「ん?」


 紅野は、(わだち)の先にある光を指差した。


 帯状に奥に向かって断続的に続く光。黄色っぽい、いかにもトンネルっぽい光だ。夜の闇に、妙に目立っていた。


 轍の先。轍……轍か。それは、車などというものが走ることの無いこの街には、あり得ないものだ。つまり、目指す外へのトンネルは轍の先にあるということ。風が強すぎるこの町では余程のことが無い限り車が使えないから、車があるってことは町の外に繋がっている可能性が高いということ。


 紅野の指差す光が、トンネルの入口であるのは間違いなかった。


 だが、


「警備員が居るな」


「うん……」


 大あくびしてる警備員が一人。気の抜けてる警備員が一人。雑談している警備員が二人。計四人。


 まぁ、一応、外界とこの街を繋ぐ場所だから、それなりに人員を割いているようだ。


「死角から回り込んで内部に侵入だな」


「正面突破は?」


「それは今じゃない。街を抜け出したいんならな」


「そう、だね」


「街を抜け出そうとする道の途中で、正面から立ち向かうことになると思うから、その時にとっておけ」


「わかった」


 素直だった。


 俺たちは接近する。


「ふぁ……あ」


 あくびする警備員。


 俺と紅野は、スキをついてトンネルの右側から内部に侵入した。


 幸い、緩慢な警備なんてものはザルそのもので、いとも容易く侵入できた。


 トンネル内部には、いくつものトラックが停車していて、それが監視する者――といっても、やっぱり穴だらけだが――の目から隠れる遮蔽物になりえた。


 慎重に、慎重に歩を進める。


 問題は、トンネルがどれほどの長さで、どこに繋がっているかだ。


 トンネルを抜けた先が単なる別の街なら良い。危惧するのは、そうでない可能性。


 軍事施設とかだったら厳しいな。


 そうでなくても何かの監視下とか、見渡す限り何も無い荒野とか、滅亡後の世界とかも嫌だな。アダムとイヴ的な事態になんかなりたくないっす。


「……あんた、こんな時に何呆けてんの?」


「いや、すまんな。トンネルの先のことを考えてた。だが、まぁ、それは今考えても仕方のないことだ」


「そっか。トンネル抜ければハイ終わりってわけじゃ、ないのか」


「おいおい」


 先が思いやられるぞ。


 と、その時だ。


「何だ、この足跡」


 俺たちが入ってきた入口の方からの声。


「これは……革靴の靴跡……学生用では?」


 まずい。


「何だって? 学生?」


 これは、よくない。


「まずい、それはまずいぞ。学生が脱走したら」


 気付かれた!


「班長に連絡を、あと隔壁を降ろせ」


「隔壁の準備に五分は掛かります」


「三分で何とかしろ」


「や、やってみます」


 警備員たちは、一斉に慌ただしく動き出した。


「まずい、気付かれた。紅野、走るぞ!」


「うそっ、何で!」


「水に濡れた足跡から侵入したこと自体に気付かれた。姿は見つかっていなくても、トンネル内に壁みたいなものが用意されているっぽいから、それが降ろされたら万事休すだ!」


 あるだろう。隔壁が。街の住人を逃がさないために。あの警備員も、それらしいことを言っていた。


「ねぇ、『これ』……使えないかな」と紅野明日香。


 紅野明日香が「これ」と言ったのは、


「トラックか」


 やってみる価値はあるかもしれない。


 積荷の載っていないトラックの中は無人。問題は施錠されているかどうか。


 扉を開けてみると、簡単に開いた。ラッキーだった。


 だが、ピンチに変わりはない。


 足跡を辿られれば、すぐだ。すぐに俺たちのところに警備員が来る。捕らえに来る。


 俺は、紅野に先に入るように促し、少し高い場所にあるトラックの出入り口から、押し込むようにして中に入れた。


「奥行け、奥」


「あ、うん。助手席に――」


 その、瞬間だった。


 パーーーーーーーッ!


 高くて大音量のクラクション音が、トンネル内に鳴り響いた。


 紅野がハンドルの中央を押し込んでしまって、鳴ったのだ。


 うぇい、救いようのないドジっ娘! 大事な時にっ!


「トラックだ! トラックにいるぞ!」


「あっ、やっば! 早く乗って、達矢! 助手席に!」


 紅野明日香は、助手席には行かず、運転席に座りなおし、俺は紅野の膝の上を飛び越えるように跨いで、助手席に辿り着き、座った。


 このトラック……無用心なことに、キーも刺さったままだ。


 おそろしくなるくらいにラッキーだ。このラッキーが、せめてトンネルを出るまで、もってくれれば良いのだが。


 紅野がドアを勢いよく閉め、素早く椅子を前に引いた。運転しやすいように。


「おい! いたぞ! このトラックだ!」


 警備員の声がした。


「明日香! エンジン」


「任せてっ」


 クラッチペダルとブレーキペダルを踏みながら差しっぱなしになっていたキーを回した。


 ブロロロロと音がして、エンジンが掛かった。


 ギアを切り替えて、両足を色々動かし、左手でサイドブレーキを落とし、発進した。


 二車線のどこまでも続くような真っ直ぐな道のトンネル内を、ゆったりと発進した。妙に手馴れている。


「あの……紅野さん……」


「何よ」


「もしかして、運転できる人?」


「余計なこと話しかけないで」


「ああ、ハイ」


 そこで、ようやく運転席の扉が閉められた。


「正面から、突っ切るわよ!」


 めまぐるしく、ギアを切り替える。ペダルを何度も踏む音が響く。何をどうやってこの車を操ってるのか、詳細はわからない。俺には知識が無いから。だが、トラックは発進し、スピードを加速度的に増している。


 スピードは、時速四十キロを超えた。その時――


 ズン、とすぐ後ろで音がした。


 侵入者防止、脱走者防止の隔壁が落とされた音だろう。


 時速八十五キロを超えた。更にギアを入れ替える。


 前方、視界に機械音と共にねずみ色の巨大な隔壁がゆっくりと降りてくるのが見えた。


「紅野! 隔壁がっ!」


「見えてるわよ! 黙って!」


 紅野明日香はアクセルを踏んだ。


 加速。潜り抜ける。


「私のシートベルト、お願い」


「え?」


「シートベルト! ハンドル握ってて、自分じゃ掛けられないから!」


「了解」


「あと、あんたもシートベルトして。危ないから!」


「おうよ」


 俺は彼女の肩の向こうにあるシートベルトのバックルを右手に取ると、ハンドルを握る彼女の腕の間を通した後、左手に持ち替えた。


 そして、カチッとはめるべき場所にはめる。ちょっと、胸に手が触れた。


「ありがと」


 しかし、紅野は、そんなことには気を向けず、運転に集中している。


 まぁ、胸、大きくないしな。


 よく見ると、額に汗していた。


「達矢。ベルト」


「おっと」


 俺もシートベルトしないとな。


 さすがに、このスピードで何かにぶつかったらシャレにならん。


 シートベルト。しゅるしゅるカチリと着用完了。


「知ってるか? 今じゃ後部座席もシートベルトしなきゃいけないんだぜ」


「うるさいっ!」


 おこられた。かなしい。


 しばらく走って、走って、かなり遠くの方で隔壁がゆっくりと降りるのが見えた。これは、潜り抜けられるのだろうか。


「――っ、間に合わないっ!」


 そう、明らかに無理だった。


 敵も計算してきたのだろう。


 思えば、そうだ。


 隔壁と隔壁で挟んで閉じ込めてしまえば、袋のネズミ。逃げ場なし。


 隔壁に正面から衝突したら、事故って俺たちは死ぬだけだ。


 つまり、


 ――殺しても構わない。


 そういうことなのだろう。


 キキィ――――――――――!


 当然の急ブレーキ。急ハンドル。


 視界が高速で流れ、車体は横向きになる。タイヤがロックされ、横滑りする。それでもバランスを失って横転したり、壁や隔壁に激突しないのは紅野の腕前なのだろうか。


 ともかく、前につんのめるようにしたところをシートベルトに支えられ、ハイスピードで流れて揺れた視界は止まり、薄暗くて黄色い、トンネル独特の明かりが、そこにあった。


「ふぅ、シートベルトが無ければ、やばかったな……」


 ふざけて言う俺の声など聴こえない様子で、息荒く、汗だくの紅野。


「どうしよう、逃げなきゃ。どこに、ダメだ。トンネル……」


 ぶつぶつと、呟く。


 まずいな、ハイになりすぎている。正気を失ってるのかもしれない。このままでは、まずい。


「紅野! 降りるぞ!」


 俺は大声で呼びかけ、助手席側の扉を開けてトラックから降りると、素早く反対側に回り、運転席の扉を開けた。


「紅野。ほら、シートベルト外して、歩くんだ。少しでも、遠くに」


「嫌だよ、こんな……」


「明日香っ!」叫んだ。彼女の反対側の耳に突き抜けろとばかりに大声で。


「え……あ……」


 大声に驚き、正気に戻ったようだ。


 そして、降りようとする。


 しかし降りられない。シートベルトをしたままだった。


「まだ警備員は来てない。走れば、まだ撒ける可能性は大いにある」


「そう、そうね」


 紅野は、息荒いままシートベルトを外し、そのまま、真横に倒れる格好で車を降りた。


「っとと……あぶね……」


 危ない降り方にも程がある。


 俺が抱きかかえなかったら頭から落ちていたかもしれん。


 ていうか、汗びっしょりだが。大丈夫か?


「おい、紅野……紅野?」


 呼びかける。


「はい、何ですか、先生」


「先生じゃねえっての」


 どうも、混乱しているようだ。


「走れるか?」


 首を振った。横に、小さく。


 仕方ない。


「しっかり掴まってろよ」


 言って俺は汗だくの紅野明日香を背負って走った。


 背中の彼女は、しがみついてきた。しっかりと、強すぎるくらいの力で。


 よく見ると、隔壁には小さな扉がある。


 それを開ける。開いた。


 走る。黄色い明かりの中。二車線の、トンネル内を、全力で。紅野明日香は、よく運転してくれた。今度は俺の番だ。俺が、彼女をこの街から連れ出すために……その為に、できることをするんだ。


 ま、頭の悪い俺には走ることくらいしかできないのだが。


 走った。走った。ひたすらに。


 けれど、行けども行けども出口は見えない。一体、何十キロ、何百キロ先に出口があるのだろう。気の遠くなるような旅路に思えた。


 その時だ。


 不意に、暗転した。トンネルの天井部分の電灯が、全て消えたのだ。あっさりと、絶望的なまでの闇に包まれる。一切の光が存在しないかのような。


「はぁ、はぁっ……こっちだ」


 それでも、俺は走った。方向感覚を頼りに。


 ドン、と壁にぶつかった。全く頼りにならなかった。あっさり壁にぶつかった。闇は、方向感覚さえ奪う。目印が無ければ、人の知覚なんてのは、こんなにも(もろ)いものなのだろうか。それが、何だか悔しい。


「っ……ふぅ……はぁ……」


 背中で、紅野が苦しそうにしている。


 助けたい。籠の外に、出してやりたい。どうしてそれが叶わない。もう方角がわからない。どっちに向かえば良いのか、出口がわからない。走るのは危険だと思った。何かにぶつかったり、ぽっかりと地面に開いた穴に落ちるイメージが浮かんだから。


 それでも、進まなくてはならないとは思う。だから、俺は歩いた。一歩一歩、確かめるように。


「大丈夫か? 大丈夫か、紅野」


 こちらも、確かめるように。


「ん……うん。でも、何も、見えない」


「トンネルの電気が落ちたんだ。だから、失明とかじゃないから、安心しろ」


「ああ、そうなのか。よかった」


「明日香……」


「何?」


「もう一度訊くぞ。この街を、出たいか?」


「うん」


 小さく、軽くて重い、甘い声。


 そう、確かに、紅野明日香は望んでいる。


 この街を出て行くことを。


 なのに、俺にしてやれることの、何と少ないことか。


 露呈した。無計画さが。頭の悪さが。他にも、色々……色々……。


 つまりは、無力さが。


 悲しい。


「こんなの、嫌」と彼女は言った。


「え?」


「遠くに……」


「明日香?」


「遠くに行きたいって、思ってた。なのに、どうして私は、ここに居るの?」


 泣き入りそうな声。


「確かに家からは遠ざかった。でも、どうして私はこんな世界にいるの? こんな隔絶された狭い世界に!」


 今度は、激情を伴って。


「しかも、どうして誰かに狙われるの? 何なの? 私が何をしたっていうのよ! 私が何をするって言うのよ!」


 きっと、泣いてた。


「出させてよ! この街を! どうしてそれを許してくれないの! どうして、どうして抜け出せないの! 助けて……誰か助けてよ! こんな世界、こんな街、消えて、消えて無くなっちゃえばいいのに――!」


 その言葉と、同時だった。パッと世界が眩しくなった。トンネルの黄色っぽい明かりが復活したのだ。その時、周囲の光景は様変わりしていた。


「なっ」と俺の声。


「うそ、やだ……」と明日香の声。


 思わず声が漏れるほどに、嫌な光景。


 視界には武装した黒い服の特殊部隊みたいな人々が居て、俺たちを三百六十度囲んでいた。


 逃げ場は皆無だった。


「なに、これ……」


 紅野の絶望の声と共に……暗転した。


 殴られたか、そういう眠らせる薬物か、それ以外の何かが原因なのか。あるいは、これ、俺、死んだのか。


 ああ、でも、もう、どうでも良かった。


 逃亡劇は、失敗に終わった。




【つづく】



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