逃避行の章_4-9
迷子センターにやって来た。
閃いたんだ。店内放送でもかければ、明日香も出てくるしかないんじゃないか。
俺の必死の事情説明およびお願いが功を奏したのか、迷子センターで煙草をふかしていたおばちゃんは、「いいわね。若いって。あんたいくつ? そう、十七なの。一番楽しいときじゃないの。こんなクソみたいな所に来ちゃって勿体無いわね」とか溜息交じりで言いつつも奥に引っ込み、店内放送をかけてくれた。
パンチパーマのような天パーで体の横幅広めのおばちゃんは、俺と応対した時とはうってかわって少し鼻にかかったようでいて、しかし綺麗で若々しい声でお客様のお呼び出しをした。いや、お客様というよりは従業員なのだが、ここからはお客の呼び出ししかできない決まりとのことなので、それでも良いからできるだけ早く頼みますと頭を下げた。
『ピンポンパンポン。お客さまのお呼び出しを申し上げます。紅野明日香様、迷子の戸部達矢くん十七さいがお待ちです。至急、一階の迷子センターまでお越し下さい』
夜の静かなショッピングセンターに、そんな放送が響き渡った。
――って、俺迷子扱いかよ!
いやまぁ、確かに明日香への対応においては迷走しちゃってる感があるかもしれん。
言うなれば、そう。心の迷子……ってところかな。なんて、心の中で格好よさげに台詞をキメていると、おばちゃんが迷子センターの奥にある放送室のようなところから出て来た。
「これでいい? 戸部くん」
「ええ、ありがとうございます」
「来るといいね、彼女」
「はい」
「それで、戸部くんと彼女は、何で喧嘩したんだっけ?」
「それはですね……かくかくしかじか……というわけで……」
おばちゃんは煙草片手に呆れたような鼻息をテーブル――子供が喜びそうなカラフルなもの――にぶつけるように吐き、テーブルに煙草を持った肘をつきながら煙を発している先端をこちらに向けて、
「そら、あんたが悪いよ。土下座しな」
「はい、もちろんそのつもりです」
「でもさ、そんなに謝りたいって思うくらいなんだから、かなり好きなんだろう? 彼女のどこが好きなの?」
どこが好きか、か。難しい質問だ。
「明日香は、正直言ってけっこうキツイこと言ってきたり、俺を精神的にいじめてみたり子分扱いしたりして、ヒドイ子なんですけど、でもそれはきっと、こんな町に来ちゃったことに対するストレスって言うんですかね。そういう感じだと思うんですよね。
本当は、もっと可愛いやつで、あんな風じゃなくて、人間関係とか世界とか、現実が全然思い通りに行かなくて、きっと、らしくないことしてるんじゃないかって、そんな気がして……。
だって、あいつ、雷をこわがったりする可愛いところもあるし、何て言うんでしょうね。この町でも暮らしていけるように無理してる感じがあるような。
本当は優しくて、暴力とかも嫌うし、そういう部分は先生に向いてるかなと思うんですよ。ただ、先生ってかなり大変な仕事じゃないですか。最近はモンスター的な親も大勢居るって聞きますし。忙しいばかり忙しくて責任ばかりが重たかったり、先生同士の人間関係でも女の人の場合は特に大変なことが多いって小耳に挟んだ事ありますし。
夢だって言うなら応援したいですけど……。
あ、もちろん、そんな嫌なことばかりじゃないと思いますけど、でも、明日香がその現実を見てないフリしてるんじゃないかと勝手に想像しちゃって……。そういうことを、はっきり考えてたわけじゃないんですけど、心のどこかで思ってたから、それがバカにした態度として出ちゃったのかもしれません。
すごい反省してて許して貰えるか不安でたまらないんですけど、もう正直に気持ちをぶつけるしかないと思ってですね。まぁその、何と言いますか――」
「ちょっとちょっと待った待った。あんたズレてきてるよ。こっちが訊いたのは、紅野明日香ちゃんのどこが好きなのかって話よ」
「え、ぜ、全部です」
「全部? 具体的には?」
「んー、そうですねぇ。ちょっと無理してキツい言動するとことか、愚痴っぽいところとか、すぐイライラするとことか、疑り深くてすぐに変な解釈するとことか、平たい胸とか……そういうところは正直言って、いただけないけど。でも体のラインはしなやかだし、こわいこと言うこともあるけど実は優しいし、顔なんかだって好みのタイプで、でも長所も短所も、何もかも、もう本当に何もかも、明日香のことをもっともっと知りたいと思えるくらいに全部好きです」
「へぇ、そう」
そしておばさんは煙草を灰皿に押し付けて立ち上がり、唐突にも思えるような言葉を吐いた。
「そいじゃ、おばさんはお邪魔かしらね。後は若い人らでよろしくやっちゃってー」
迷子放送のおばさんは椅子に座る俺を置いて去っていく。すれ違う。
「ちょ、どうしたんですか?」
俺がまた何か気に障ることを言ってしまったのかと思って振り返ると、おばさんがウェイトレス明日香の手の平をパシンと叩いて選手交代のタッチをしている光景があった。
「あなたが明日香ちゃんね。帰るとき電気消してきてね。あ、それとも今すぐ電気消しちゃう?」
「え、いえ、帰るときで」
明日香の姿があった。
「あ、明日香……?」
パンチおばさんを会釈で見送った紅野明日香は、なんだかニヤニヤしそうな頬を必死に落ち着かせようとピクピクさせており、何でそんな複雑そうな表情をしているのかと思ったものの、俺はすぐに、
――俺は何をボーっとしてるんださっさと土下座しないと。
と思い至り、迷子センターの床に膝を突いた。
「いいよ、達矢。ごめんね」
何と、先に明日香にごめんと言われた。
どうしよう、なんかよくわかんないけど、すごい悔しい。そして、いつから明日香は俺の背後に居たんだろうか。さっきの会話を聞かれてたとなると、なんだか恥ずかしいし、あと明日香を怒らすようなこと言ってないよなぁ。
「ちょっと、盗み聞きしちゃった」
「ど、どっから聞いてたんだ?」
「女の人が、土下座しなさいって言ってた辺りから」
「まじで?」
だいぶ長いこと、明日香の全部が好きとかアツく語ってるところなんかも、全部聞かれてたと言うわけか。
お、待てよ。
恥ずかしいは恥ずかしいが、だったら話は早いのではないか。言いたいことは全部聞いてくれてたわけだから。
「明日香、ごめん。明日香の夢を嘲笑ったりなんかして、俺、反省してるから、このとーりだ」
俺は迷子センターのカラフルな床に額をつけた。
「いいって。顔上げてよ達矢」
おそるおそる顔を上げると、明日香は真剣な顔を装っているものの、何だか嬉しそうだった。
今度は目を見て謝罪する。
「すまんかった。俺だって自分の目指してるもの否定するようなこと言われたら、自分の好きなものとか憧れを汚されたら、やっぱり怒るだろうから……」
「あんま謝ると怒るよ? 二度と土下座なんてできないように背骨真っ直ぐに伸ばすよ?」
「いや、でもなぁ」
「いいから。もう変な時に冗談言ったのも許すし、恥ずかしい店内放送したのも許すから」
「ごめんな、明日香」
「謝らないでって言ってるでしょ。鎖骨折るよ?」
「お、おう……」
こうして、俺たちは仲直りを果たした。
「達矢は、部屋に帰ってて。眠くなったら先に寝ててもいいからね」
「ああ。それじゃ、また後で」
「……ありがとう、達矢」
「おう。お先に。明日香」