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逃避行の章_4-6

 明日香は夜遅くまで営業するレストランのウェイトレスを選択したので、俺より部屋に戻るのが遅い。


 一足先に初日の業務を終えた俺は照明を半分以上落とした家電売り場で若山さんに挨拶。


「それじゃ、若山さん。今夜からお世話になります」


「ああ。お前ら高校生なんだから、さっさと寝ろよ? 夜更かしとかするんじゃねーぞ」


「はい」


「あと、くれぐれも不純な行為もすんなよ。何か変なことになったら面倒だからな」


「はい。何から何までありがとうございます」


「まぁ、いいってことよ。安上がりなバイトが入ってくれてこっちも楽できるってもんだ」


「でも、大して役に立てた気はしないですけど……」


「初日だからな。とりあえず様子見だ。案外、真面目そうで安心したよ。さて、そいじゃ、おれはこれからちょいと用事があるんでね」


「用事って何ですか?」


「まぁ、デートみたいなもんだ」


「そうっすか」


「ああ。お偉いさんとデート。じゃ、早く寝ろよ? 明日は朝からこき使ってやるから覚悟しとけ」


「はい。本当にありがとうございます!」


 そして俺は宿直室に戻って、寝転がって天井を見つめながら、明日香の帰りを待った。


 明日香はすぐにやって来た。寒い寒いと呟き、両腕をさすったりしていた。


 俺としてはそんなに寒くは感じないが、もしかしたら雨に打たれたことで風邪でも引いてしまったのかもしれない。


「よう、明日香。今日はもうあがりか?」


 が、まだ業務終了ではない明日香は、


「違うわよ」


 と言って顔をしかめた。


「なによ、達矢はもう終わり? なんかむかつくわね」


 自分でウェイトレスなんてもんを選んだのだから、業務時間が通常よりも長いことくらい承知のはずだろう。何でむかついてくるんだか。


「それはそうと、寒いなら毛布でも出すか?」


 俺は押入れからごく薄い毛布を取り出して、座る明日香の肩にかけてやった。


 明日香はそれに包まった。


 そして、俺が向かいに座るとすぐに、


「えいっ」


 とか言いながら、捕獲網のようにして毛布を投げてきて、突然のことに面食らった俺は避けることができずに視界を遮られ、毛布の中でもがくしかない。


 明日香は、俺がじたばたするを見て喜んだのだろう。満足気な調子で、


「別に毛布かけてなんて言ってないし」


 とか言った後、くしゃみをしていた。


 ようやく俺は顔を外に出し、寒そうにしている明日香を見て、何を思ったか、畳に座った俺は、こう言った。


「明日香。来いよ」


 一緒に毛布に入ろうぜ、という意味である。


 明日香はそれを正しく受け取り、緊張気味にこくりと頷くと、俺のそばに寄った。


 それでもすぐには毛布に入ってくる心の準備ができていなかったようで、顔を赤くして躊躇っていたので、それが心底可愛らしいと思った俺は、明日香が小さな悲鳴を上げるのもお構いなしで毛布の中に引っ張り込んだ。


 一つの毛布に、二人で包まる。明日香の肩と俺の肩が触れている。


 互いの息がかかるような至近距離。


 明日香のぬくもりが伝わる。ちょっと体温が高い気がするけれど、これが明日香の平熱なのだろうか。


「風邪か? 風邪薬でも、買ってきてやろうか?」


「ん、んーん。ちょっとさっきまで長いこと冷蔵室に居てさ、それで寒いってだけで、風邪ってわけでもなさそうだし」


「そっか、なら良かった」


「うん」


 化粧品のような甘い香りの中に、ちょっぴり汗のにおいが混じっている。一生懸命働いている証だろう。


 明日香の反対側の肩に手を回す。しっかり抱き寄せる。明日香はほんの僅かに体を弾ませたが、特に抵抗するわけでもなく、それからしばらくは互いに無言で、なんというか、明日香はどうか知らないが、俺としては妙に緊張して何も喋れなかった。


 やがて数分間に渡る沈黙を破ったのは、明日香であった。


「あ、そろそろ行かなきゃ」


 しかし俺は、


「まだいいだろ」


 立ち上がろうとする明日香を制した。腕を引っ張って、さらに自分側に引きずり込む。


 後ろから腕を回し、明日香の首の前で交差させつつ抱く形になって、明日香の顔は見えない。


 はじめは、少しこわばっていた明日香の体だったが、やがて諦めたように力を抜いて預けてきた。


「行くなよ。まだ時間あるだろ」


「…………」


「ちょっと、話そうぜ」


「……まぁ、いいけど。てか、なんかちょっと暑いけど」


 普段どおりの声のようだったが、その中に必死に緊張を隠しているような不自然さが耳に残ったような気もする。


 俺は耳元で囁くように、


「風邪の時はちょっと暑くするくらいがちょうど良いだろ」


「風邪じゃないってば」


 突き放すように言った。


「あ、そっか。まぁそれより明日香はさ」


「何よ」


 なんとなく不機嫌そうに明日香は声を出す。でも、別に不機嫌なわけじゃないだろう。俺には、わかる。たぶん今は、恥ずかしいって感情を隠したいんじゃないだろうか。


「明日香には、夢って、あるか?」


「な、何で、それを達矢に言わないといけないわけ?」


「嫌なら言わなくていいけどな」


「別に嫌とかじゃ……」


「ちなみに今の俺のマイドリームは、とりあえずちゃんと真面目になって、家に帰ることだ。そして、ただいまって言ったら、欲張りかもしんないけど、おかえりって返ってきてほしいんだ」


「そうなんだ」


「明日香は、どうなんだ? 家出とかしてたらしいが、ちゃんと家に帰ろうとか、思うことないか?」


「そりゃ、帰れるもんならね。でも、こんな町に来ちゃった以上、帰れないっていうか……何度も家出したことも反省してるし。でも……」


「ううむ、難しいところだな」


「うん……」


 明日香の勘違いかもしれないが、誰かに追われている感覚とか、誰かにストーカーされてる気配を感じているらしいからな。


 俺は明日香のこと信じているし、仮に勘違いだったとしても、今更明日香のことを嫌いになんてなれない。


「私の夢、何だと思う?」


「えっと、そうだなぁ、何だろうな。車の運転とか好きそうだから、レーサー?」


「運転好き? どっからそんなイメージが出て来たのよ」


「いや、何となくな」


「私、まだ17だよ。免許とれないじゃん」


「それもそうか」


 でも何故か、明日香が運転しているような画が俺の脳裏に浮かんだんだ。何故かはわからないけど。


 明日香は少しの沈黙の後、意を決したように、やや緊張したような声色で言う。


「私ね、先生になりたいの」


「先生だと?」


「うん。学校の先生」


「そりゃまた何で」


「何でって……先生って、素敵だと思うから」


「そうかぁ?」


「そりゃね、達矢みたいに先生をバカにしてる人からしたら、先生になりたいなんてバカげてるかもしれないけど、私は皆に慕われるような先生になりたい」


「何の先生になるんだ? 科目は?」


「それなのよね。私、だいたいの科目普通よりちょっと良いってくらいでさ、これといった特技も無いし」


「そうか? 運動でも勉強でも、何でもできるように見えるけどなぁ」


「でも、人にものを教えるんだから、その道で抜きん出ているべきかなって思うな」


「そういうもんなのか?」


「わかんないけど、たぶんね」


「けど、何でも出来るなら小学校の先生とか良いんじゃないか? 何でも出来れば困らないというか」


「小学校かぁ。それも良いかもね」


「いや、でもな、初対面の相手に蹴りをかますような女が先生なんてなぁ」



 その瞬間だった。


 明日香は俺の腕の間を無言ですり抜け、これまた無言で、立ち上がり、またしても無言で静かに部屋の外に歩き去っていった。扉が開いて閉じる。終始無言のまま、「お、おい明日香?」という呼びかけに振り返ることもなく、彼女は出て行ってしまった。


 突然だった。


「……やばっ、怒らせちまったかな」


 慌てて毛布を置いて畳を走り、扉の外を見たが、明日香の姿は無かった。


「でも、何で怒ったんだろうか」


 わからなかった。


 ただ、何となく立ち去った時の、あの背中を、つい最近もどこかで見た気がした。


 あれは、そう。俺の家に担任からの『かざぐるま行き』を告げる電話が来た夜に母が見せた背中によく似ていた。


 俺が友人と夕方まで遊んで帰ると、両親が居た。父親は夜遅くまで仕事のはずだったが、その日はどうしてか早く帰って来ていた。まぁ息子のかざぐるま行きという一大事に仕事を抜けて来たのだろう。


 父はやめたはずの酒を飲んでいて、母がさっきの明日香と同じように黙って立ち上がって、顔も向けずに歩き去って行った。


 その後、俺は父親から「貴様の顔など見たくも無い」などと言われた。普段は優しい父親で、あんな風に厳しい言葉を投げつけてくることなんて想像もできないような人なのに。


 それ以来、出発の朝まで父親と目をあわせることもなかったし、母親とも一度も口を聞いていない。


 その姿や空気が、さっきの明日香に重なるとなると……。


 ピンと来た。もしかしたら、夢を侮辱された瞬間に見せる静かな怒りだったのだろうか。


 だとしたら、まずいな。本当に謝らないと。




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