逃避行の章_4-4
さて、ショッピングセンターに辿り着いた俺たちだったが、そのまま入店しようとした俺が足を止めたのは、明日香が足を止めたからだった。
自動扉前で入店を拒むように立ち止まった明日香に、
「どうしたんだ、明日香」
「あ、あんた、何ちょっと下の名前なんか呼び出して。調子乗ってんの?」
そういや、今まで下の名前呼んだことなんてほとんど無かったかもしれん。意識し出した途端、なんか恥ずかしくなってきたぞ。
「あのね、私の名前を気安く呼んでいい人は、その……ね。だからね。あんた私の子分なんだから、そんな、明日香とか、下の名前で……」
「どうした、お前さっきから何か変だぞ。妙に顔真っ赤だし。風邪か?」
「はぁ? そ、それはそうと、さすがに濡れたまま入るのは失礼じゃないかな。床に水溜り作ったら、迷惑じゃん」
「そうかもなぁ。じゃあ、まぁこの辺を探検するか」
明日香は服がびちゃびちゃなのが不快だったからか不満そうにしていたが、渋々頷き、探検をすることになった。
というわけで大型ショッピングセンターの裏側に来た。
物陰で、手を繋いだまま立ち止まる。
足元は、ぬかるんでいた。
「ねぇ、達矢、トンネルって、もしかして、あれかな……」
「ん?」
明日香は、轍の先にある大きなトンネルを指差した。帯状に奥に向かって断続的に続く黄色っぽい光がのびていて。
轍の先……。
轍……轍か。
それは、車などというものが走ることの無いこの町には、あり得ないものだ。つまり、轍があるということは、そのトンネルは町の外に繋がっているということ。
明日香の指差すトンネルこそが、町の出入り口のひとつであることに他ならなかった。
「とりあえず、様子見でもするか」
「うん……」
そして俺たちはゆっくりとトンネルへ近づく。
雨に打たれながら、一歩ずつ。
しかし次の瞬間だった。
「待て、誰だ!」
男の野太い声。振り返れば警備員が、背後に居た。
「や、やべっ、逃げるぞ明日香!」
「え? え、でもっ」
俺はトンネル内部へ逃げ込もうとしたのだが明日香は逃げようとせず、
「ここで何をしている」
俺たちは警備員に捕まり、明日香と繋いでいた手は、ほどけた。
捕まった。
★
「じゃあ、君らは持ち場に戻ってくれ」
「はい!」
「わかりました!」
警備員二人は良い返事をして去っていった。
「で、お前らが怪しい学生二人か」
それは昼間、湖で釣りに興じていた自称エリート、若山さんだった。どうやら本当に店長だったらしい。
俺たちは警備員にこの倉庫のような一室に連れて来られ、そこで店長の前に立たされたのだ。
「って、お前さっきのアブラハム……」
「はぁ、こんにちは若山さん。あとアブラハムじゃないっす」
「達矢、知り合い?」
「いや、さっき会ったばっかなんだけどな。俺にトンネルのこと教えてくれた人だ」
若山はニヤリと笑い、
「ほほう、つまりだ。お前らトンネル使ってこの町を脱出しようとしたわけか」
明日香は体をびくっと弾ませて、俺もギクリといった感じの顔になった。
つくづく嘘が下手な俺たちは、若山さんを騙せるはずもなく、
「まったく、おれの気まぐれでトンネルの存在を教えちまったがために、あやうく始末書ものだ。……だが、あっちのトンネルは確かに山の向こうに続いてるけどな、あそこを通って逃げるのは至難っつーか、まず無理だ。言っちまえば、あっちのトンネルはダミーに過ぎず、本命はこの店の地下四階くらいにあって――っと、口が滑っちまったぜ。ついうっかり社内でも極秘なことをバラしちまった」
「何なんすか、さっきから」
「こうなれば、お前たちは、おれの店でバイトするしかない」
「拒否とかは、やっぱできないんすよね」
「そうだなぁ。トンネル使って逃げようなんて考えるヤツを野放しにしとくわけにはいかんからなぁ」
「なんか、すみません」
「ま、逃げたいって気持ちは過ぎるくらいに分かるけどな。ただ、このことを学校に報告したら、故郷に帰るのが難しくなるぞ。刑務所から脱獄を試みたみたいなもんだからな。刑期延長は覚悟せねばならんだろう」
そう聞いた瞬間に、紅野明日香の顔色が変わり、深く頭を下げて、
「すみませんでした!」
俺も全力で頭を下げる。
「バイトでも何でもします! 許してください!」
すると若山はニヤニヤしたような声色で、
「ではとりあえず、これに着替えてもらおうか。ウチの店の制服だ」
どうやら、本当にバイトをすれば許してくれるようだった。
「まだ一回目だし、おれは慈悲深いからな。学校に言いつけたりはしないよ。あ、ちゃんとタオルで体拭けよ。いきなり風邪引かれたら困るから」
「あ、ありがとうございます」と明日香。
「なんつーか、すみません」と俺。
「そっちの女の子は、えっと、お名前は」
若山は笑顔を向けて訊ねたが、
「紅野明日香です」
若山は、その名を耳にして、何かに気付いた表情になった後、少し考え込み、
「紅野さんは、女子更衣室に行ってくれ。達矢は、ここで着替えてもいいよな」
「はい」
明日香はビシッと敬礼して、天井の高い倉庫を出て行き、女子更衣室へと向かったようだ。
残された俺と若山。
俺は着替えを開始したのだが、若山さんは構わず話しかけてきた。
「さて。達矢」
「若山さんすみません。勝手にトンネルのこと喋って……」
「ああ、いやいや、いいんだ別にそんなことは。おれが聞きたいのは、つまりだな。あの子、お前のコレか?」
若山は小指を立てて訊いてきた。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「何だ、違うのか? それにしてはやけに親密そうじゃねえか」
「まぁ、そうですねぇ。いろいろ気に病んでることがあるんじゃないかと思いますけど」
「どういう意味だ?」
「つまりですね――」
俺は、ここに至るまでの経緯を若山さんに話した。
明日香との出会いは屋上での痛みと共にあったこと。俺を子分扱いしてること。共に風紀委員をやっつけたこと。明日香が不良どもに襲われて、敵だった風紀委員のまつりが助けて明日香の友達になったこと。
それから誰かの嫌な気配を感じた明日香が俺の部屋の押入れに忍び込んでて、雷にびびって抱きついてきたこと。そこを寮長に発見されて、退寮処分になったことで気に病んでいること。
そういったことを話した。
若山さんは俺の話に相槌を入れたり、フムフムと知的に頷いていたりしたのだが、俺が話し終えると、
「つーことは、住むところが無くなったってことだよな。だったら、ここに住むか? ウチの店にも宿直室ってのがいくつかあってな。しばらく置いてやることくらいできるぞ」
「本当ですか?」
「ああ。この町から脱獄するくらい追い詰められてるってんなら、泊まる場所くらい提供してやる、それと、できればあの女の子――」
と、ちょうどその時。
「私も、一緒に住んでいい?」
従業員服姿に着替えた明日香が、そんな衝撃的なことを言った!
俺が、何言ってんだお前って感じの顔をしていると、
「だって、寮は見張られてるし、達矢が近くに居ないと不安だし、ね? いいでしょ?」
などともじもじしながら言ってきて、なんだか可愛かったので、
「俺は、構わないけども……」
「なぁ、やっぱお前ら恋人なんじゃねぇのか?」
「ち、ちがう! まだ!」と俺。
「そ、そうよ、誰がこんな男と!」と明日香。
慌てて否定した俺たち。でも、明日香の言葉に何だかズキリと胸が痛んだ。
けれど、明日香の気持ちはわかっている。思い上がっているわけではないが、明日香と俺は互いに好き合ってるというか……いや、好きとかそういうのかわかんないから、頼り合ってるって言った方がいいのかな。うん。
そんな感じで、ショッピングセンターの宿直室に住むことになった。