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紅野明日香の章_4-2

 特にやることもないので、雨が降らないうちに寮に戻ってきた。


 自分の部屋に戻ると同時に外は雷雨になった。ゴロゴロと唸り声のような声を上げる空。


 雷こわい。


 スコールのような大雨。バチバチと料理の時に油が跳ねるような音がする。


 外にいなくて良かったぜ。


「暇だ……そういや暇つぶしできるモノ買いたいと思ってたんだがなぁ……」


 変な男に掴まらなければ、雨が降る前に買い物に行けたものを。そんな風に俺が思ったその時、カッと稲光。そして、ゴロゴロ……ピシャァアアンという激しい轟音、後、「キャッ」という悲鳴。


 って、ちょっと待て。悲鳴?


「な、何だと……?」


 しかも女子の声? この男子寮で? マジで?


「いや、幻聴?」


 ガタタッ。


「物音っ?」


 押入れからだったので、しばし押入れを凝視する。幽霊とかだったらどうしよう。


 これから何日も幽霊の居る部屋で生活するなんて、超嫌だぞ。ていうか、幽霊じゃなくても、この現象の意味がわからない。何でどこからとも無く女子の声がして、押入れから物音がするんだ!


 ゴクリ。俺は嫌な汗をかきつつ、唾を飲み、おそるおそる押入れに手をかける。ピッタリ閉めたはずの押入れだったのに、僅かに隙間が開いていた。


 そして、隙間に指を引っ掛け、思いっきり開けた。


「や、やぁ、達矢」


 何故か、制服姿の紅野が自室の押入れに居た。


 まてまてまてぃ。記憶を辿れ。紅野を此処に招き入れた記憶は無い。断じて無い。別に昨日酒飲み過ぎて記憶が飛んでいるわけではないよな。そうさ、俺は未成年だから酒のめないし、未成年飲酒ダメ・ゼッタイ。


 混乱した。思考が乱立した。落ち着け。


 お・ち・つ・け、俺。


 これから起こる出来事を整理したがる俺の脳みそ。


 女子を自室連れ込み→不純異性交遊疑惑→不良扱い→容赦のない糾弾→帰れない→エロ番長のレッテル→容赦のないイジメ→絶望――


「――何しとんじゃあああ!」


 公衆トイレのラクガキ的な思考を振り払うように、俺は叫んだ。


「しっ! 静かにっ!」


 押入れの中で慌てた様子で、口元で人差し指を立てる紅野明日香。


「な、何でお前っ、ここに」


「あの、あんたしか、頼る人いなくて」


「は?」


「あのね、私、誰かに、追われてるみたいなの。それで、助けを求めに来たんだけど、あんた居ないし」


「そ、そうか……」


「あやまりなさいよ!」


「いや、何で」


「こわかったんだから」


「はぁ、ごめん」


「ったく」


 紅野明日香はイライラした様子で言うと、暗い押入れを這い出て立ち上がった。


 と、その時――


 ゴロゴロ、ビシャアアアン!


 稲光と共に轟音が響き、


「キャァア」


 抱きついてきた。


「え…………あの、紅野さん……?」


「あっ……!」


 バッと離れ、そして、


「あやまりなさいよ!」


「おう……ごめん」


 ん? 何で俺、謝らなくちゃならないんだ。抱きついてきたのはそっちだろうが。


「お前、雷、こわいの?」


「……うん」


 目を逸らして頷いていた。ちくしょう、めっちゃ可愛いじゃねえか。


「で、紅野は何でここに来たんだっけ?」


「だから、誰かに追われてるの!」


「……誰に?」


「わからないわよ!」


「上井草まつりとかじゃないか? 寝首をかこうと虎視眈々(こしたんたん)かもしれん」


「あの子は、そんなことしないわよ」


「そうなのか」


「そうよ」


「じゃあ誰が」


「知らないってば」


「何でお前は知らない誰かに追われてるんだ?」


「わからないの」


「万引きでもして、店員に追われてるとか」


「殴るよ?」


「すまん」


「私が思うに、不良どもじゃないかと思うの」


「不良? 不良って言うと、昨日お前の髪の毛引っ張った末、まつりにシメられてたあの集団のことか?」


「うん。きっと、性懲りも無く恨みを晴らそうとしてさ」


「なるほど」


 考えられないこともない話だ。


 風紀委員長である紅野を倒して風紀委員という概念を破壊すれば、学校に再び群雄割拠の戦国時代が訪れる……と思う。風紀委員が居なかった頃の学校のことなんてこれっぽっちも知らんが。


 しかしまぁ、仮にそうなるとして、その政変とも言うべき現象を引き起こしたいがために紅野明日香の身柄を何とかして確保したがる不良がいるのも、頷ける話だ。どうせまつりに蹴散らされると思うがな。


 だが不良とは得てして先のことなど考えられないものなのだ。俺もそういう傾向あるしな。そうはいっても連中とは違う。俺は不良といってもプチがつくほどの可愛い不良なのだ。


「ねぇ、そう思うでしょ?」


 紅野明日香は同意を求めてきた。


 だが、違うと思う。


 何となくだが。あの不良どもも、そこまでのことはしないような気がする。


「とはいえ、情報が少なすぎて断定する根拠が無いからな、なんともいえん」


「じゃあ、説明するね」紅野は説明を始めた。「あのね、朝、出かけたら、誰かに見られているような気がして、走ったんだけど、気配が消えなくて……人の多い所に行こうと思ったんだけど……でも、もしも道行く人が、全員不良で、私に悪意を向けてたりしたらって考えて、こわくて、人の居ない道を走って、できるだけ広い道を通って寮まで戻ったんだけど、見られてる感じが消えなくて、こわかったからコッソリ抜け出して男子寮に忍び込んだの」


「そしたら気配はどうなった?」


「なくなったの。たぶん、女子寮を監視してるんだと思う」


「よく、気付かれずに抜け出して来れたな」


「まぁ、私、家出のプロだし」


 何だそれは。プロなんて無いだろ。


「警戒されている中で隙をついて親の目を盗むのは、それはそれは難しいものなのよ」


「そうなのか。不良だな」


「そうね。でも、その不良さが役に立ったわ」


「ていうか、家出とかしてたのか?」


「うん」


「何で」


「随分、踏み込んだ質問するのね」


「そうか? まぁ、そうか」


 やや嫌な感じの無言空間があって、紅野明日香が先に口を開いた。


「まぁ、いいわ。教えてあげる」


「ん、ああ」


 そして、紅野明日香は言った。


「私は愛されていないのよ」


「愛されていない?」


「そう、親に。信じたくない話なんだけどね、私の『かざぐるま行き』の話を、前の学校の教師の所に提案したの、父と母だっていうんだもん。『明日香のためなんだ』とか言われたけど、もう全く意味がわからないよね」


「それは、あれじゃないか。家出娘を何とか更生させたかったんだろ。それで抜け出すことのできないこの街に――」


「違うっ! この街は、家出の更生に使われることなんて無いの。対象となるのは、学校生活の素行だけのはずなの。そして私は品行方正だった! 学校では!」


「そうなのか」


「そうよ」


 しかし、紅野の価値観と、一般人の価値観がズレている可能性だってあるからな。何とも言えないところだ。


「私の学校では、『かざぐるま行き』になるのに明確な基準があって、私はその基準に引っ掛かることなく過ごしてた。なのにっ」


「なるほど。だが、家出するほど、その……ひどい家だったのか?」


 すると紅野は首を横に振った。


 わけがわからん。ひどい家じゃないのに、何で家出するんだ。


「遠くに、行きたかったの」


「それは、あれか、自立したいってことか?」


「かもね」


 どうやら、そういう娘らしい。


「だが、この街からは――」


「わかってる。そう簡単には家出できないよね。だから、せめて少しでも楽しい日々を過ごして、そして家に帰って、また家出したいの」


「そうかい」


 どうあっても家出したいらしい。


 ただ、もしかしたら……これは推測に過ぎないのだが紅野は両親とのコミュニケーションとして家出を繰り返しているのではないだろうか。だとしたら、なんかとんでもなく不器用だな。


 と、その時、またしても、ゴロゴロピシャァアアン、と稲妻の轟音。


「きゃぁあ」


 そして、また、ひしっと抱きついてきた。


 何でこう、抱きついてくるんだ、この娘は。


 俺の理性が苦しんでしまうじゃないか。


「故意ですか」


 ここまで来ると、もう疑わしい。こう、スキンシップで俺を篭絡(ろうらく)しようとしてるんじゃないかと。ってそんなわけないか。


「故意っ? 故意じゃない! 故意じゃ!」


 慌てる紅野と、突き飛ばされる俺。散々だぜ。


「あのなぁ、雷が鳴る度に抱きつかれてたら、たまらないんだが」


 そう、たまらない。色んな意味で。


「でも、だって……」


「あんまり叫ばれると、困るんだが」


「だったら雷鳴ったら私の口塞げばいいでしょ!」


「お前、それ……」


 なんだか、すごいことになりそうなシチュエーションっぽいので、ちょっと想像してみた。


  ★


 ……ゴロゴロ、ピシャーン!

「キ――むぐ……」

「声を出すな」

 紅野はコクコクと頷いている。

 俺は、左手で紅野の口を覆い、右手で……

 右手で……?


  ★


「――って右手で何をする気だーい!」


 俺は叫んだ。


「わぁ、何よ、急に」


「いや、口を塞ぐのは良くない」


「そうかもね。考えてみたら、何か嫌だわ」


「たとえばその瞬間に誰かが俺の部屋に来たらどうなる? ちょっと、大変なことにならないか?」


「そうね……」


 と、その時だった――


「戸部くーん」


 寮長の声と共に、ガチャリと扉が開けられた。


「やべっ……」


 紅野は、大急ぎで押入れの下の段に入り、内側からピシャンと戸を閉めた。


 間に合った。


 そして部屋の入り口に姿を現した頭にねじったタオルを巻いたオジさん寮長が、


「布団出して、布団。シーツ洗うからさ」


「布団だとぅっ!?」


「ん? どうしたの」


 まずいぞ。布団は、押入れの中だ。押入れの中にシーツを着けたまま片してある。つまり……ピンチである。押入れの中には、紅野が居るからだ!


「あー、シーツですね、ちょっと待ってください」


 平静を、装うっ!


「あ、押入れに? 偉いね、布団たたんで入れてるなんて」


「いや、まぁ。その方が部屋広いんで」


 ははは、と乾いた笑いをしながら言うと、寮長はうんうん、と頷きながら、


「そうだね。正しい。それが正しい」


 俺は、一度戸を小さく開け、一拍置いて不自然にならないように全開にした。中途半端にしか開けなかったら、不審に思われると考えたのだ。やはり、男はコソコソせずに正々堂々としなけりゃな。


「よっと」


 俺は、布団を上の段から取り出し、畳の上に置いた。そしてシーツを剥がし、雑にたたみ、手渡そうとする。だが、その時、寮長の視線が押入れ下段方向に向いているのに気付いた。その視線の先を見やると、


 ――おいぃ!


 何で見えるところに紅野の革靴が転がってるの!


「戸部くん、その靴……」


 見つかってるぅ!


「あ、あァ……これはですね……」


 女子連れ込み→発覚→帰れない――


 ――それは嫌ぁ!


「戸部くん、どうして、こんな所に外履きが?」


「ああ、えっと、これはですね……」


 どうする? どう言い逃れれば良い?


 明らかに怪しいこの押入れに転がった革靴。しかも女子のもの。


 そこに靴が転がってるに足る理由は……!


「あー、実は、この靴、同じクラスの紅野明日香って女のものでして、俺が靴磨きが得意だって言ったら投げ渡してきやがって……」


 割と苦し紛れ。


「なんだ、とんでもない女だな」


 通用した。


「ええ、そうなんですよ。もうバリバリの不良娘で――」


 と、その時だった。


 ゴロゴロ、ビシャアアン!


 でかい雷音。まずい。まずいぞ。まずいぞこれは。


 パブロフの犬みたいな条件反射的反応で紅野が悲鳴を上げるんじゃないか。そうなれば、いよいよオシマイだ!


「…………ぁぅ」


 僅かに小声が漏れ聴こえたが、何とか抑えてくれたようだ。さすが紅野さん。風紀委員の精神力に乾杯。


「いやぁ、すごい雷だねぇ」


 寮長の言葉に、


「そ、そうですね」


 頷く。冷や汗をダラッダラ流しながら。


「でも、突然の大雨とか雷雨とか。この街は結構多いからね」


「そうなんですか」


 バレてない。よかった。


「それじゃあ、これ、代わりのシーツ」


「え、ああ。はい」


 寮長は言って、俺にシーツを手渡すと、


「じゃあ」


 バタン、と部屋を後にした。足音が聴こえなくなったのを確認して、


「もう出て良いぞ、紅野」


「…………達矢」


 俺の名を口にしながら押入れから這い出た。


「よくぞ耐えてくれた」


 俺は褒めたが、紅野明日香は何だか不満そうだった。


「誰が不良娘だって? しかも私、靴投げつけたりしてないっ」


「だが、ああ言う以外に何か言い逃れる方法があったかよ?」


「それは……その靴があんたと生き別れた双子の兄弟だったとか?」


「何それ、俺、人じゃないわけ? 靴と血繋がってんの?」


「あ、じゃあ、実は達矢は四足歩行がデフォで手に靴はめてないと落ち着かないとか」


「俺、人じゃねえの?」


 何でこいつ、そんな頭のおかしい言い訳させようとしてんの。


「てか、私に靴磨き頼まれたにしても、投げつけないで手渡されたとかにすれば良いのに」


「それはダメだ。リアリティに欠ける」


「暴言だわ」


「すまん」


「まぁ、いいわ。勝手に逃げ込んだのは私だし」


 許してくれるか。ありがたい。


 というか、まぁ、よくよく考えてみれば争っている状況ではないかもしれん。


「ねぇ達矢。どうすれば良いかな、これから」


 不安そうだった。


「そうだな。とりあえず、紅野を見張ってる連中の正体を見極めたいところだが」


「そんなのこわいよ」


 俺だってこわい。いや、俺の方がこわがってると自信を持って言えるね。


「だが、正体のわからん何かを相手にしてると消耗しちまうだろ」


「そうだけど……」


「お前は、どうしたい?」


 すると、紅野明日香は言うのだ。


 決意した顔で。


「この街から、抜け出したい」




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