逃避行の章_4-1
紅野明日香の章、四日目から。
三日目までは明日香の章と同じです。
押入れから、女の声がした。
俺は幽霊ではないのかと恐怖を感じながらも、襖を開けた――。
★
四日目のことである。
プチ不良こと俺、戸部達矢は、掃き溜めの風車の町に居た。
明日香と共に偉そうな暴力風紀委員を野球勝負で倒したり、そのことなのか何なのか不明だが、笠原商店の看板娘から、「まつりちゃんと仲良してくれてありがとう」みたいなことを言われたり、彼女がただいまと言って家に入っていく背中を見て、俺も「ただいま」を言う日が来るのかななんてことを思ったり。
色々なことがありつつも、、随分この町を気に入ってきている自分がいて、これからの生活も楽しみだった。
一緒に転入した紅野明日香。女番長気取りの上井草まつり。級長にして寮長にして生徒会長の伊勢崎志夏。商店街の看板娘である笠原みどり。昨日知り合った男子の風間史紘……は、まだちょっとよくわからないが。
女の子が多すぎて憶え切れない気がしていたものの、親しくなれば当然、憶えられるわけだ。
たった四日って気がしないほどに、もう随分長く一緒に居るイメージがある。強烈に。
さあ、そんなこんなで、特に予定が無い俺は、休日ということもあって暇を持て余していた。
「今日は……どうしようかな……」
以前住んでいた町に居た頃には、休日になると友人と遊び歩いたりしていた。しかしここではそもそも友人というものが居ない。ゆえに誰かと遊びに行ったりできない。
そこで俺は、黒い無地の長袖シャツに袖を通し、まだ来たばかりの町を知るためにも散歩でも行くことにした。
生徒会長にして級長の志夏から、ある程度の町に何があるかの説明は受けている。とはいえ屋上からの眺めと実際に行ってみての風景ってのは全く別だし、良さそうな暇つぶし場所へ向かおうじゃないか。
そして俺は外に出た。空を見ると、風に整形された雲たちがいくつも浮いていて、それも綺麗だ、とか思った。綺麗な場所なのに、ここは色んな意味で不良な人間たちの集まるゴミ捨て場みたいなもんらしい。とてもそうは思えないんだけど。
目的地を決めずにブラブラしていると、風の強い開けた場所に辿り着いた。湖だ。裂け目の手前にして、学校から続く下り坂の終点。円形と三角形の二つの浮島のある湖。
志夏いわく、海に近いが淡水であるとのことだ。
そんな湖に何か用事があるわけではなかったのだが、何故か俺はこの場所に来なければならないような気がしていた。
湖に来ると、何だか以前にも、遥か昔に何度もこの場所に来たことがあるような気がした。
もしかして、俺の遺伝子になんかそういうのが刻まれてるなんて漫画とかにありがちな設定なのかもしれないなんて思った。
視界にあるのは知らないオッサンが一人で釣りをしているという光景だけ。
ふと何か釣れるのだろうかと考えたが、折角の休日に可愛い女の子ならまだしもオッサンに話しかけるってのも何だかなぁと考え、踵を返そうとした。
まだ見るべき場所が多くあるとも思ったからだ。
ところがどっこい、「よう、ニイちゃん」なんてあっちから話しかけて来やがった。自分に話しかけてるわけじゃないかもしれないと希望しながら「ぇ」と小さな声を漏らしながら振り返ると、やっぱり話しかけられていた。
「お前、この町に来たばっかだろ? 暇だなぁ、お互い。こんな何も無え所に来るなんてな」
明らかに俺に向かって話している。
よくよく見てみると、オッサンと言うには少し若いかもしれない。
「はぁ……」
気の無い返事してみる。
「お前は、何しでかしたんだ? こんな町に飛ばされて来るってことは何か、やらかしたんだろ? 俺の知り合いじゃ不純異性交遊で連れてこられたヤツとか、パチンコしすぎで連れてこられてそのままこの町に居ついちまったっていうヤツが居るんだが」
「いえ、特には。そんな大したこと、やらかしてないですけど」
「そうか、じゃあおれと一緒だな」
「ただ、遅刻とサボりを繰り返したりはしましたけど」
「何、それだけで? 運悪いなオイ……」
そうなのか。運悪いのか、俺……。
「でもなぁ、おれは遅刻もしてないんだぞ。幼稚園時代から皆勤賞を続け、常にトップを走ってきた。なのに、かざぐるま行きになるってな……世の中狂ってる」
この町に連れてこられることを、俗にかざぐるま行きという。ノーマルな人間からしたらそれだけで避けられる忌み嫌われた単語である。
男の名前は、若山というらしく、ショッピングセンターの店長なんて肩書きらしい。
なんか嘘っぽいと思った。だって、店やってるなら、今頃が休日の書き入れ時ってやつだろう。
「じゃあサボりじゃないですか。サボった事ないって言ってたくせに」
すると若山さんは、
「そうだ。サボりだ。おれは、この町に来た時、不良へ生まれ変わると決めた。煙草にも挑戦した。どうだ、不良へのステップを登っていっているだろう?」
威張って言う事ではないと思う。ていうか、もう解放してくれないだろうか。折角の休みの日に、男の愚痴を聞かされ続ける苦痛を考えて欲しい。それはそれは、つらいものなんだぜ。可愛い女の子の愚痴ならまだしも。
その後しばらくどうでもいい会話を交わすと、急に若山さんは明らかに真面目な表情になって、
「……達矢。知ってるか? この町の、抜け出し方」
なんて言ってきた。
当然、急にそんなこと言われたもんだから、俺は首を傾げた。考えもしなかったな。脱出なんて。更生する気満々だったから。というか今だって更生する気でいるぞ。優良な人間になりたいと。それが当然の感情だと思った。
でも……逃げる。
もしかしたら、その選択肢も、あるのかもしれない。
ただ若山さんが言うには、囲まれている山エリアは地元の人間も近寄らないくらいだから無理だし、海から抜け出すには湖から見える崖の裂け目からしか道は無く、吹き荒れる強風と観測という名目で監視されてるそうだ。だったら無理じゃんかと思ったのだが、僅かに道が無いこともないと気付く。
残るは、空か、地下。
風車を回転させた後の風は、山肌を駆け上り上昇気流となる。危険が伴うが、その流れに乗ることができれば、町の外へと飛び出せるはずだ。
山、空に関しては、そんな風に若山さんが説明してくれたのだが、問題は地下からの道についてだった。
「いいか達矢。地下にはトンネルが……おっと、これは社内秘だった……地下にトンネルがあって、町の外と繋がっているなんてのはな」
社内秘ってことは、社内の人間にも秘密ってことだよな。すごいハイレベルな規制じゃないか。
「社内秘……思いっきり言ってますけど」
「はっ、しまった。つい不良なことをしちまったぜ。おれとしたことが! だが、やっぱりこの町に来たからには、こんくらい不良なことしないとなぁ!」
何なんだ、この人。
「こうなれば、お前は、おれの店でバイトするしかない」
「は?」
「おれがサボりたいから、仕事を押し付けることのできる誰かを探していたのさ。できるだろ、電化製品の修理くらい」
「いやいやいや、嫌ですよ、そんなの! ていうか、できないです! 機械には疎いですから」
すると若山は諦めたような口調で、
「はぁ、やっぱダメか。そうだよな……あーあ、面倒だな、仕事」
「でも、若山さん。本当なんですか?」
「何がだ」
「地下にトンネルがあって、町の外に……」
すると若山は、周囲をキョロキョロ見渡して誰も居ない事を確認、後、小声で、
「本当だ。品物をこの町に運び入れるために、店の南側にある地下のトンネルを利用してるんだ。内緒だぞ」
どうやら、本当のことではあるらしい。
そして続けて言うのだ。
「これ、他の人間に喋ったら、ちょっと大変なことになるからな」
何でそれを初対面の俺にペラペラ喋ってんだ、この人は!
俺に精神的負担を掛けるのが目的なのか!
何なんだ、この人は!
「おっと……そろそろ雨でも降って来そうだな。戻るとするか……我が店に」
若山さんは去っていく。一度だけ振り返って、
「達矢。バイトする気になったら、いつでもウチの店に来ていいぞ」
「しないですよ」
「まぁまぁ、やる気になったらで良いからな。じゃあな」
言って、手を振ると、ショッピングセンターや病院へと至る方角、南へと歩き去った。
「…………」
空を見上げると、若山さんの言うとおり、確かに空を暗雲が覆い、今にも雨が降り出しそうだった。
雨、か。
しばしどうしようかと考える。気まぐれに学校にでも行くか、それともこのまま湖に残るか。図書館にでも行ってみるか。あるいは……もう帰るか。
僅かな時間考えた俺は、帰ることを選択した。
特にやることが無いからである。正直、暇をつぶせれば何でも良かったのだが、何よりも雨に降られては面倒だからな。風が強い町だから、服が濡れると六月でも寒く感じるし。
というわけで、男子寮。雨が降らないうちに寮に戻ってきた。自分の部屋に戻ると同時に外は雷雨になった。ゴロゴロと唸り声のような声を上げる空。
雷こわい。
そしてスコールのような大雨。バチバチと料理の時に油が跳ねるような音がする。
さっさと帰ってきて良かったぜ。
「にしても暇だ……そういや暇つぶしできるモノ買いたいと思ってたんだがなぁ……」
変な男に掴まらなければ、買い物に行けたものを。
と、俺が思ったその時だった!
カッと稲光。そして、ゴロゴロ……ピシャァアアン!
轟音、後、悲鳴。
「キャッ」
え。
「な……何だと……?」
悲鳴?
女子の声?
マジで?
「いや、幻聴……?」
ガタタッ。
「物音っ?」
押入れからだった。
まじかよ。なんだこれ。幽霊とかだったらどうしよう。
これから何日も幽霊の居る部屋で生活するなんて、超嫌だぞ。
ていうか、幽霊じゃなくても、この現象の意味がわからない。
何でどこからとも無く女子の声がして、押入れから物音がするんだ!
「ゴクリ……」
喉を鳴らし、おそるおそる押入れに手をかける。
ピッタリ閉めたはずの押入れだったのに、僅かに隙間が開いていた。
そして、バンッと思いっきり開けた。