アルファの章_4-3
雨の中、アスファルトの上を、少女を背に、走る。
「あれ? 戸部くん?」
「げげぇ、みどりっ!?」
振り返ると、緑がかったビニル傘を差して歩く笠原みどりの姿!
何となく見つかってはいけない瞬間を見られた気がして焦る。
「その背中の子、誰?」
「えっと……」
「人さらい?」
「違うっ! えっと、湖で倒れてたんだ」
「え? 大丈夫なの?」
「わからんけど、ちゃんと息はしてるし緊急度は低そうだ」
「ちょっと、一緒に来て!」
「え?」
「早く!」
みどりは傘を投げ捨てて、俺の服の端を引っ張った。
「お、おう……」
そして、しばらく歩き、笠原商店の前に来た。
「こっち、来て」
みどりに言われるがままに、店の中に入ると、みどりの父親らしき人が居た。
「お父ちゃん、ただいま」
「ん? お、あれ? ずいぶん早いな。伊勢崎さんの所に行くんじゃなかったのか?」
「予定が変わったのよ」
俺は、女の子を背負ったまま、
「ど、どうも……」
挨拶した。
「ん? ええと……」
笠原父は不思議そうな顔で俺を見た。とりあえず自己紹介をしよう。
「あ、戸部達矢っす」
「クラスメイトの戸部くん」とみどり。
「ほう。娘がお世話になっております」と父。
「い、いえ、そんな。こちらこそ……」
「ほら、戸部くん。挨拶なんかしてないで、さっさと来てよ」
「あ、はい。それじゃあ……」
俺は、みどりに言われるままに、店の奥に入った。
木の雰囲気を生かした優しい感じの家。階段も木でできていて、少しガタがきているようで踏むたびにぎしぎし鳴いた。
階段を上り切ると、木の扉。『みどりの部屋』と記されたプレートが顔の高さくらいの場所にぶら下げてある。
みどりは、その扉を開けて、俺を中に招き入れた。
「えっと、ここ、みどりの部屋か?」
「そう。散らかってるけどね」
確かに散らかっていた。色んなものがカーペットの上に散乱している。
「このベッドに寝かせてあげて」
「え、でも、この子、びしょ濡れだぞ。ベッドが濡れたら……」
「あのねぇ……それで、この子が病気になっちゃったりしたらどうするの? 見た目は普通だけど、危険な状態だったら? ベッドはお布団とかシーツとか替えれば良いだけだけど、誰かの代わりなんて居ないんだから、目の前の人がびしょ濡れで気を失ってたら、優先はそっちでしょ。違う?」
「いえ、おっしゃる通りです、みどりさん」
納得した。
俺は、びしょ濡れの少女をベッドに寝かせた。
みどりは、女の子の首筋を触ったり、彼女のあごのあたりに顔を近づけたりした後、
「……うん。特に異常は無いみたい。それじゃ服を脱がせるわよ」
「おう」
俺は返事した。
「……………………」
何だろう、みどりにじっと見つめられている。そんなに見つめられたら、穴が開いてしまうではないか。何故そんなに見つめてくるんだ。まさか、俺のことが好きだとか、そういうことではあるまいな。
ううむ、確認してみるか。
「な、何だよ。じっと見つめてきて……」
「普通、出て行かないかな……女の子が着替えるんだよ? 出て行く場面でしょ」
「ああっ。すまん、そういうことか! 紳士な俺としたことが!」
俺は慌てて、みどりの部屋を出て、そして、一つ溜息。
何だか、この街に来てからというもの、変なことばかり起こるぞ。
そもそも何で湖で女の子が倒れたりしてるんだ。
おかしいぞ、この街は!
おかしなことばかり起こり過ぎだ!
と、そこまで考えた時に扉が開いて、
「戸部くん、どうぞ」
みどりが俺を部屋に再び招いた。
「あ、はい……」
室内に入って、見ると、白いヒラヒラワンピースを着た少女がそこに居た。幼い少女だった。
「起きたわよ、この子。ごめんね、合うサイズの服がこんなヒラヒラした服しかなくて」
「…………」
ブルーの瞳をした少女は、無言で、俺の目を見つめていた。スカイブルーより深いブルーの瞳は、吸い込まれそうで、こわかった。
でも、白いヒラヒラ服が、まるで姫のように似合っていた。
「この世界は、どこ?」
少女は言った。
「大丈夫? ここは、あたしの家。あなたの名前は?」
みどりが言うと、
「わからない」
少女は、俺を見つめながら言う。容姿と見合ったくらいに幼く、ちょっぴり舌足らずで可愛らしい声だった。
みどりは「名前……が、わからない?」呟く。
「…………名前……あぁ……うん……」
少女は言いながら頭を押さえた後、
「アルファ……」
と言った。さらにもう一度繰り返し自分に言い聞かせるように、
「アルファって……呼ばれてた」
「てことは、やっぱ外国の子なのか? 日本語は完璧だが」
「思い出せない」
少女は言って、また頭を押さえた。
「まさか、記憶喪失……ってやつ……かしら?」
まずい。このままでは、変なことに巻き込まれる。寮に帰ろう。
「よし、それじゃ、少女は無事みたいだから俺は帰るぞ。じゃあな」
早口でそう言って立ち上がったのだが、
「ヘイお待ち」
出前を持って来たラーメン屋みたいな口調の声と共に腕を捕まれた。
「はなせぇ」
じたばたしてみたが、手を放してはくれない。それどころか、立ち上がったみどりによって、しっかりと腕に抱きつかれる形でロックされてしまった。
「戸部くんが拾ったんだから、最後まで面倒見るべきでしょ! それが人の道ってもんでしょ!」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。拾ったとか、そんな犬猫みたいな」
「とにかく! 戸部くんが逃げるのは違うと思うよ」
「ううむ、否めない……」
拾ってしまった時点で責任が発生してしまった気がする。
「ほら、座って」
俺は、みどりの横に正座した。
そして、ベッドにバフッと座ったアルファと名乗った少女に話しかける。
「あー、えっと、アルファ」
「…………」
深いブルーの瞳に見つめられる中、
「俺は、戸部達矢」
名乗った。
「トベタツヤ」
少女は俺の名を声にした。
「そして、こっちは笠原みどり」
みどりは軽く会釈する。どうも、と言うような調子で。
「カサハラミドリ」
みどりの名前も声にした。
「トベタツヤ。カサハラミドリ」反芻した。
「そう。好きに呼んでくれ」
「アルファちゃん、お家、どこにあるか、わかる?」
「宇宙」
「「……えぇ?」」
俺とみどりは驚愕の声を漏らした後、互いの顔を見合った。
「……宇宙ってなに?」
とアルファが続けた。自分で言っていて、わからないらしい。
どうやら、こいつは、かなり変な少女だ。
「宇宙は、空のことだ、ほら、窓の外に見えるだろ、見上げれば青いのが」
「――って戸部くん。今日天気悪い」
「窓の外……」
少女が呟いて、窓から曇天を見上げたその時だった。
ピカッ!
稲妻、走る。
それで、アルファは体をビクっと弾ませた。
後、ゴロゴロピシャーン!
と雷音が響いた。
それで、「はぁぁう」とか呟きながら頭を押さえて小さくなった。
そうだった。今日は晴れの日ではなかった。
「大丈夫よ、安心して」
みどりはアルファの横に座って、小さくなった彼女を抱きしめていた。
それで、本当に安心したのか落ち着いた。
「アルファ、何でも良いから、知ってることを話してくれ」
俺は言った。
「ロケットが、どかんってなる」
「「……んん?」」
何だこの不思議少女は。
「危ない。危なかった」
確かにアブないな。何となく。
この子が危険な子だというのはよくわかった。
「さて、帰るか」
立ち上がろうとしてみる。
「待てっての」
また腕をつかまれ座らされる。一生のお願いだ、見逃してくれと言いたかった。そんなこと言ったら、とても怒られそうだから言えなかった。
「何だか……頭いたい……何も、思い出せない……」
「頭? どこ?」
みどりは、アルファの頭を触りながら、訊く。
すると、
「いぁ!」
痛がる悲鳴を上げた。
「ぁ……ごめん。でもここ、コブになってる」
「つまり」俺は人差し指を立てて、「頭をぶつけた衝撃で、一時的に記憶喪失状態になってると、そういうことか?」
「一時的、なら良いんだけどね」
「どうする? 教師とか、大人に引き渡すか?」
「んと、それは……やめたほうが良いかな」
「え、なんでだ」
「役に立たないから」
「役に立たないって……いや、まぁ、じゃあどうするんだ」
「級長とまつりちゃんに相談してみよう」
「……えーと、なんつーか、頼りになるのか? その二人は」
「そりゃ、事実上のこの街の首脳だし」
「んなっ。だって、まだ学生だろ?」
「そうなんだけど、この町には色々あるのよ」
「そうなのか」
目が笑ってない笑顔を浮かべていて、あまり深くは詮索して欲しくなさそうだったので、それ以上は訊かないことにしよう。俺は、いわゆる、よそ者だしな。
「とにかく、そうと決まれば、あたしは二人に報告しに行くけど、どうする?」
「どうするって、俺に訊かれてもな」
みどりが出かけてる間に、ずっとみどりの部屋に居るのも悪いし、かと言って少女を寮に連れ帰ると、退寮させられかねない。
「アルファは、どうしたい?」
俺はそう言った。
「お家に帰りたい」
自転車のカゴに乗って空を飛んだ映画の中の宇宙人みたいなことを言って来た。
「そのお家は何処にあるんだっけ?」
「宇宙」
これはホンモノだ。本気で頭が変になってる子だぞ。
「お家に帰る」
「いや、待て、アルファ。本当にお前の家は宇宙にあるのか?」
するとアルファはこくりと頷いた。
「皆、そこに居るの。まってる」
「……みどり。病院の手配をした方が良いかもしれない」
俺は言った。するとみどりは、
「戸部くん、調子悪いの?」
とか言ってきた。
「いや、俺じゃなくて、アルファな……」
「その診察代とか、治療費は全部戸部くんが負担することになるけど?」
「すまん。今のナシだ」
そんなに金持ちじゃない。というか、財布には三千円しか入ってない。
「じゃあ……とりあえず、ショッピングセンターで時間を潰してるっていうのはどう? あそこなら、いくらでも時間をつぶせるでしょ」
「あぁ、それなら、何とかなりそうだ」
ショッピングセンターに行ったことは無いが、まぁ、噂によると結構遊べる所らしいからな。子供と二人でも退屈はしないんじゃないかと思う。
「二人に報告したら、あたしもそこに向かうから。ね」
「お、おう」
「それじゃあ、また後で」
みどりは言って、扉を開けて出て行った。
バタバタと階段を降りる音が響いた。
アルファと二人、残される。
「さ、アルファ。立てるだろ。俺たちも行くぞ」
俺は、アルファの手を取った。
アルファは、俺に引かれるがままにベッドから出て立ち上がった、かと思ったら、はたと立ち止まる。
何事かと思ったら、
「…………」
なんか、部屋にあるぬいぐるみをじっと見つめていた。
俺の顔くらいのサイズの猫のぬいぐるみだ。くびれの無い寸胴な猫。
アルファの低い背では届かない場所にあるそれを見上げていた。
「ぬいぐるみに興味あるのか?」
「うん」
頷いた。
「そうか」
俺が呟きながらそれを取って与えたところ、いとおしそうにぎゅっと抱きしめた。
みどりの私物だろうが、しばらく借りても良いよな。
「後で返すからな。大事に扱えよ」
「うん」
可愛く頷いた。
「よぅし、それじゃあ、レッツゴーショッピング!」
少女は控えめに拳を突き上げて、「おー」と言った。