宮島利奈の章_6-7
「達矢、ここは……?」
「そう、仏教系書物の書架だ」
お経でも唱えてやれば、粉のようになってサァっと消えてしまうんじゃないだろうか。
「あったあった。これこれ」
俺は、般若心経という、お経が書かれた本を手に取り、読み上げてみる。
「よ、読めねぇ……」
漢字の羅列が、俺を襲った。
「いや、しかし、ちょっとしたフレーズだけ記憶しているぞ」
子供時代にお葬式に行った時に、お坊さんが読み上げているのをマネしたことがある。
「はんにゃーはーらーみーたーじー……チーン」
そして、振り返りながら、
「どうだっ!」
と言ったのだが、しかし、
「あの、今の、何ですか?」
本子さんはピンピンしていた!
「今のは、お経というものだが……」
効かないだと?
いや、そんなはずはないが。
ああ、そうか。
線香も木魚もチーンって鳴るやつも無いからか!
正しい成仏をさせるためには、まず道具から揃えなければならないというわけか。けっこう高そうだよな、ああいうの。
と、その時、利奈っちが、言った。
「今のお粗末なお経が、君の手を尽くした結果なの?」
やばい。返す言葉が無い。
「今ので成仏するなんて、本子、無理です」
くっ、だがまだ手はある。
「利奈。ちょっとここで待っていろ」
俺は言って、駆け出した。
「逃げないでねーっ!」
「当り前だろ! 見捨てたりしないからな!」
そう、利奈を死なせるわけにはいかないのだ。
俺は、走って図書館を出た。
そして、寮に行き、食堂にあった、塩の入った小瓶を手に取る。
そして再び図書館へ。
「はぁ、はぁ」
息を切らしつつ、利奈の前に戻ってきた。
当然、そこに本子さんも居る。
「よし、本子さん。こっちに来るんだ」
俺が手招きすると、本子さんはフワフワとやって来た。
「今度こそ、成仏だ!」
俺が言うと、
「はい! 成仏したいです!」
元気に返事する本子さん。
それを全く期待を込めていないような目で見つめている利奈。
「ようし、本子さん。目を閉じて」
「キスとかしないでくださいね」
変なことを言ってきた。
幽霊のくせに。
「絶対ですよ。絶対にキスしないでくださいね」
「大丈夫だ」
そして本子さんは目をぎゅっと瞑った。
「いくぜ! くらえぇ!」
俺は塩の小瓶を開け、それを本子さんにかけた。
「どうだっ!」
「…………何ともないですけど」
「くっ! 食卓塩では無理かぁ!」
「まさか、これで万事休すとか言わないですよね」
本子さんはそう言った。
「万事休すだ!」
俺は叫んだ。
「では、利奈さんに取り憑きます」
「や、やだ、ちょっと――」
「利奈! 逃げるんだ!」
「え? え?」
そして、また、利奈っちの体の中に、本子さんが吸い込まれた。
「くぅっ! 遅かったかぁ!」
「いやぁあああ!」
叫び、ガクンと頭を垂れた。
後、顔を上げ、また本子に乗り移られた利奈っちが登場した。
「本子、いきますっ!」ずびしっと挙手しながら。
「どこにっ!」
俺は必死に止めようとする。
「さっきから湖って言ってるです!」
「待て待て待てぇい!」
俺は、利奈の肩を掴んだが、そんなことには構わず、すごい力で進んでいく。
引きずられながら図書館の自動扉を出た。後ろから抱きしめてみた。
しかし止まらない。すごい力で進んでいく。
「待ってくれ、本子さん!」
「待ちません! 成仏するには、もう湖の底に眠る何かを見つけなければいけないのです!」
「でも、ホラ、湖の底から石船に入れるとは限らないだろ?」
「じゃあどこから入るんですか!」
「とにかく、焦るなって! 命を粗末にするな!」
「もう本子は死んでます!」
「でも利奈は生きてるんだよ!」
「関係なし子ちゃんです!」
「それ誰だよ!」
「ええい、もう何でも良いです。とにかく、本子、行きます!」
言って、図書館の前の道を下っていく。
湖の方へ。
俺はしがみついて、引きずられて。
寮の前を通り、湖の前に出た。
強い風が吹いている。
「はっ、そうだ。ちゃんとダイバーの格好するなら、湖に潜っても良いぞ」
言うと、利奈の体は立ち止まった。そして振り返る。
「ダイバーって何ですか?」
「あぁ、えっと、主に海に潜る人だ」
イメージとしてはな。
「海女さんみたいなものですか」
「まぁ、たぶん、そんな感じだと思う」
海女さんって、どんなだっけかな。まぁ、とにかく、海に潜るんだから酸素ボンベくらい背負って行くだろう、たぶん。酸素ボンベを背負って潜ってくれれば、死ぬことは無いだろう。
「わかりました。とりあえず、モリを持ってませんか?」
モリだと。それって、あの、漁師が使う槍みたいなアレか?
「いや、まて、俺とお前の『海に潜る人』のイメージにズレが生じている気がする」
「海じゃなくて、湖に潜るんだけど」
「あーっと……ちょっと待ってくれないか? 数日ほど」
「待てません」
「そう言わずに!」
「いいえ、今すぐ潜ります!」
利奈は、湖の方に向き直る。
「待てぇい!」
俺は、利奈の体に抱きついて、止めようとする。
しかし、相変わらず、すごい力で進もうとする。止められない。止まらない。
「待ってくれ!」
「まーたーなーいー」
そして、じゃぶじゃぶじゃぶと音がした。利奈と俺の足が水を蹴る音だった。
「やめろってぇ! 入水自殺コースやめろってぇ!」
バシャァン。
利奈の体を倒した。利奈の体は仰向けに倒れる。俺も利奈も、びしょ濡れになる。
「あ、すまん……平気か?」
返事がなかった。彼女の目には光がなかった。死んでいるわけじゃない。呆然としている。
「本子さん……?」
その時、利奈の濁った瞳は、俺を見ていなかった。
視線の先は、俺の頭の向こうだった。
そして、指差す。
――空を。
「え?」
振り返ると、そこには、
「「ミサイルゥ?」」
ミサイルだった!
本当に本気でミサイルだった!
何で、突然っ!
ああ、ダメだ、何かを考えてる暇は無い!
どうすりゃ良い。
あの軌道だとミサイルは何処に落ちる?
ああああ、考えている間にもう、もう落ちた。
ガギッ。
湖よりも僅かに西。
俺たちのすぐ近くに。そのアスファルトに突き刺さった。
まるで灰皿に押し付けられた煙草の吸い殻のように先端がグニャリと曲がった。
先端のパーツが砕け、ミサイル本体から弾け飛ぶ。
破片、舞う。
「伏せろ!」
迷彩服姿の俺は、制服姿の利奈を抱いて、湖へと飛び込んだ。
そして――。
「…………」
そして次の瞬間。
爆発の光が、視界を覆って……あたたかい光に包まれた。
【つづく】