宮島利奈の章_6-2
俺と利奈が入ってきたフェンスの穴は思ったよりも近くて、そこから森の外に出た。
笠原商店まで走り、サンドイッチやらお茶やらを買い込んだ。サンドイッチはけっこう大量に。店番はみどりの父だった。
で、俺は急ぎ廃屋に戻ると、薄暗い屋根裏部屋の中、
「こわいよーこわいよー、うえーん」
何だか、子供っぽく泣いている利奈の姿が……。
しかも、よく見ればホコリまみれだ。何があったのやら。
相変わらず本子さんという名の幽霊はフワフワしている。
「本子さん、利奈を解放してやってはくれまいか」
「ああ、はい、良いですよ」
ずいぶんあっさりしているな、と思ったが、本子さんは続けて、
「でも条件があります」
と言った。
「条件?」訊き返す。
「ある本を、見つけて欲しいのです」
「ある本……? どういうことだ」
「本子は、誰かが此処に来るのを待っていました。いずれ、この場所に来る誰かに、この町の謎を解く鍵を与えるためです」
と、そんな緊張感のある話を幽霊と交わしていると、
「うぇーん。オバケー」
泣いてた。
「あの、利奈っち。大丈夫だから、ほら、戻ってきたから」
「……うぇっく……ひっく……」
しゃくり上げて泣いている。手の甲で涙を拭いながら泣いている。
どうしたもんかな。大事な話の最中なのに……。
「古文書が、この町のどこかにあるのです。本子は、この場所に来た人間に、その古文書を渡す役目を負いました」
「本子さんは、いつからここに?」
「さぁ、いつだったか……随分長い間、独りで過ごして来た気がするけど……」
「誰に言われて、その、古文書を渡す役目を?」
「わすれちゃった☆」
えーと、何だ、この変な幽霊さん……。
「本子うっかり☆」
「うぇーん。うっかりとか言ってるぅー」
今のは泣くようなことでもないだろ。むしろ失笑したい感じだ。
「利奈っち、もう泣き止め。サンドイッチを買って来たからな。とりあえずコレを食べろ」
利奈はようやく泣き止み、今度は、
「おトイレ」
とか言った。
「え?」
「おトイレ行きたい」
「行って来なさい」
「でも動けない」
何と!
大変な事態じゃないか!
「本子さん、動けるようにしてやってくれ」
「じゃあ、古文書、読んでくれる?」
「ほら利奈。読むって言え」
「よむ」
「では、解放しましょう」
「あっ……行って来ます!」
ようやく動けるようになったらしく、急な階段を降りてトイレに向かった。
本子さんも利奈に付いて行く。
「トイレ、トイレ……」
「トイレは、階段を降りて左の突き当たりですよー」
「ひぃい! オバケが喋ってるぅー! ていうか付いて来てるぅぅう!」
利奈はこわがりながら、幽霊と共にトイレに行った。
「…………」
一人、残される。
「さて、降りるか」
暗闇だし、ホコリっぽいし、メシは下で食べた方が良いだろう。
で、階段を降りて待っていると……。
「達矢……」
涙目の利奈っちが戻ってきた。
「ただいまですー」
と、ふわふわ浮いてる本子さん。
「どうした、利奈っち、元気ないが。何かあったか?」
「トイレ、汚かった。外でした方がマシなくらい」
「そうか。気の毒に……」
俺は、さっき外に出た時に草むらで済ませたぞ。
「水道も通ってたけど、なんかウーロン茶みたいな色の水が出るし……最悪……」
「そうっすか」
「トイレランクE」
「トイレランクって何だよ。Eが最低か?」
「うん。A~Eの五段階……」
「まぁ、笠原商店でおしぼりもらって来たからな。これ使えば衛生的に大きな問題はないだろ」
「あぁ、うん。えっと、町には戻れたんだね」
「そうだな。案外近かった」
「そうなんだ。じゃ、サンドイッチ、食べようか」
「おう」
「あのぅ……古文書は――」
と幽霊さん。
「それは、メシ食った後な」
「はぅ! オバケまだ居るぅ!」
「当り前です、本子は利奈っちに取り憑いてるんですから」
「達矢ァ、助けてー」
「そんな泣きそうな顔されてもな、どうすることもできん」
「本子はもう、利奈っちの一部です」
「勝手に一部になられたぁー」
「諦めるんだ、利奈っち。一度合わさって溶け合ったものを引き離すのは難しい。水を酸素と水素に電気分解するようなものだぞ」
「何でわたし、取り憑かれなきゃなんないのよ」
「ううむ、たしかにな。気の毒だな、何か」
そこで俺は、本子さんに訊いてみる。
「本子さん。どうすれば利奈から離れてくれますか?」
「さっきから言ってるように、古文書を解読して下さい」
どうしても古文書の解読が必要らしい。
「するから! 何でもするから! 離れて!」
「あと、サンドイッチちょっとくれると嬉しいです」
「食べられるのか?」
「はい。食べた気分になれます」
「じゃあ……ほれ……」
俺は、利奈の肩の向こうにサンドイッチを持った手を伸ばす。
本子さんは、かぶりつこうとしたが、透けてしまって、触れることはできず、サンドイッチも無くなることはなかった。
「食べられないんじゃないか」
「美味しい気がします」
金魚みたいに口をパクパクさせながらそんなことを言う。
「うぇーん。変なオバケー」
また泣いた。
「泣くな。頼むから。女の子の涙は心臓に悪いんだ」
「君が取り憑かれればよかったのに……」
何てことを言ってくれる。
「そういうことは、思っていても言っちゃいけないんだぞ」
「でも、でもさ、仲良さそうにしてるし」
「だから、悪い霊じゃないんだから良いじゃないか」
「悪い霊じゃないと決まったわけじゃないじゃん。良い霊だと思わせて、結婚詐欺師みたいに手の平返しするかもしれないじゃん」
「おい、本子さんに失礼だぞ」
「何でオバケの味方してんのよぅ!」
「あぁぁ、二人とも、ケンカしないで下さい。『夫婦喧嘩は幽霊も食わない』と言いますし……」
「――そんな言葉は無いっしょ! ていうか使い方もおかしいっしょ!」
「――そして夫婦じゃねぇよ!」
二人で、幽霊にツッコミを入れた。
「す、すみません……」
申し訳なさそうにうつむく本子さん。
どう見ても、無害そうな霊だがな。ただ、利奈の言う通り、急に悪霊に変身してしまう可能性もゼロではない、か。
「いいか、利奈っち」
「何よ」
「信じることは大切だ」
「中学生みたいなこと言わないで」
「なっ――」
「ガキっぽい」
「そ、そういう思考が、世の中をダメにするんだ! わかるか?」
「さっぱり」
「どこからか生まれた小さな不信が、螺旋状に外に広がっていって、人々は小さな世界で繋がりを断って孤立するんだ。批判と非難と訴訟を恐れて、決断が鈍り、動き出しが遅くなれば、様々なものが停滞し、世界はやがて回らなくなる。世界が縮小してしまう。不信は停滞を生むスパイラルのスタートラインなんだ」
「だからって、得体の知れないものを信じろって言う方が無理」
「そもそも、お前にとってのオバケってのは何だ! そんなにこわいものなのか?」
「誰だって、わけわかんないものはこわいっしょ!」
「でも、本子さんは、そこに居て、対話も可能ではないか! それでまだ『わけわかんない』という判断を下すのなら。俺は利奈っちを蒙昧な人間だと言わざるを得ないぞ。幽霊さんの言う事を信じようじゃないか」
「頭おかしいよ!」
「…………」
確かに……そんな気もする。
「あぁ、そっか。昨日、頭ぶつけたから」
「ということは、きっと、本子さんなんてオバケは存在しないってこと――」
「居ますよ! 失礼ですねっ!」
本子さんは、利奈の目の前にフワリと回りこんだ。
「うぁーん、オバケー」
泣いた。
「ああ、もう、どうしたらいいんだろ……」
「古文書です。古文書を探すのです」
「その古文書っての特徴とかあるのか?」
「古いです」
そりゃな。古文書っていうくらいだもんな。だが、
「この屋敷にあるだいたいの本は古いぞ」
「もっと古いです」
「他に、特徴は?」
「さぁ」
「おいおい、古いってだけの手がかりで探せってのは大変だろ」
「でも、この町のどこかにあります。そうでなければ本子が目覚めるわけがないので、絶対にあります」
「それも範囲が広すぎる。いくら小さな町だと言ってもな。そんで、その古文書を解読しないと、本子さんは消えないんだろ」
「そうです」
「この家の中には無いのか?」
「大昔に書かれた七巻に及ぶ巻物なんですけど、ありました?」
そう、特徴ってのは、そういうこと。
これで、だいぶ絞られたぞ。少なくとも、冊子タイプの本を探さなくて良いんだからな。巻物。巻物を探すのだ。
「しかし、この家の中では巻物なんて見なかったな」
戸という戸を開けたけど、巻物は無かったと思う。
「おい、利奈。何か心当たりは?」
「んなもん、図書館にいっぱいあるわよぅ」
泣きながら、利奈っちは言った。
うーん、図書館か。まぁ、ありそうだな。確かに。
だが、そんな簡単にいくとも思えない。
「まさか、そんな簡単な話じゃねぇだろ――」
「たぶん、それです!」
まじかよ!
「あぁ、じゃあ……とりあえず図書館に行くか?」
「「行くしかないっしょっ!」」
利奈っちと本子さんは声を揃えてそう言った。
結構息合ってんじゃねぇか。