宮島利奈の章_6-1
腹減った。
世界が、明るくなってきた。
どれくらいの時間が経っただろうか。焚き火はいつの間にか消えていた。
周囲の景色が見えるようになって、すぐ近くに家のようなものがあるのが見えた。ボロボロの、古い日本家屋。朽ち果てているという表現がぴったりの。でも、二階建ての大きい家。
こんな巨大なものを今まで見落としていたとは、いやはや、夜の魔力というやつか。
でも、焚き火をしていたのにわからなかったなんて、ちょっとした不思議現象でもあるんじゃないか。
もしかして俺、頭ぶつけた影響でちょっとおかしくなってんのかな……。
利奈は元々少しおかしいし、俺がしっかりしないといかんと思う。
で、そんなタイミングで利奈が起きた。
「あ、おはよう」
朝には強いようだった。
「おはよ。いきなりだが、利奈っち」
「ん、何?」
「あれを見てくれ」
俺は、古い家を指差した。
「古い、家が見えるわね」
「ああ。お前にも見えるか。よかった。幻ではないんだな」
「何か食糧があるかもしれない。行ってみよう」
いやぁ、食糧とか、無いと思うがなぁ。
かなり長い間放置されているようで、ドアは外れ、窓は割れ、リアルに傾いている。
まぁ、とにかく、遭難して、目の前に家があるのだ。訪ねてみるのは当然の判断かもしれん。
俺と利奈は、雑木林を歩き、その屋敷の庭だったであろう場所に出た。
少し開けているが、荒れ放題で、雑草ボーボーだった。
「食べ物、あるかなぁ。お腹空いたなぁ」
「ああ、あればいいな」
まぁ、無いだろうが。
で、草を掻き分けて進み、縁側まで到着した。
「よし、それじゃあお邪魔して……」
俺は、縁側に土足で上がろうとしたのだが、
「待ちなさい」
「何で」
「入るなら玄関から入るべきっしょ」
なるほど。ボロの空き家としか見えない家にも、礼儀は尽くそうというわけか。
「そうだな。そういうの、大事だな」
「うん」
俺と利奈は、玄関に回った。
戸は外れ、蜘蛛の巣まみれ。床には穴が開き、何となく寒気すら感じる家だった。
ゴクリ、と利奈の喉が鳴るのがわかった。
「ごめんくださーい!」
俺は言ったが、しかしシンとして返事はなかった。
「誰もいないのかな?」
この朽ち果て具合では、いないだろうと思う。
家というものは、家主を失うと急速に朽ちていくものらしいからな。
「中、入ってみるか?」
「そ、そうだね、お腹空いたもんね。行きましょうか」
「ああ」
俺たちは、薄暗い屋内に入った。
古い畳のにおいがした。
まぁつまり、カビくさかった。
柱にある木目が、恐ろしかった。
一階の、戸と言う戸を開けてみたが、めぼしいものは見つからない。
躊躇いながらも台所の冷蔵庫を開けたが、空っぽだった。食糧と言えるものは無かった。腐ったエトセトラを発見するよりは遥かにマシだが、やはり空腹は埋めたい。
「無いね、何も」
「そうだな」
「上、行ってみようか」
「ああ」
二階部分に上る。
急な階段を身長に上ると、狭い廊下があって、いくつもの部屋があった。
また、戸を開けて回ってみる。
ただ古い部屋や大量の本が並ぶ書斎があった。
当然、食糧の気配は無かった。
「うぁ、見て。あれ……」
利奈が指差した先にあったのは、畳に横たわる古い日本人形だった。
しかもボロボロ。
「こえぇ……」
廃屋と日本人形のコラボは恐怖過ぎる。
「…………」
利奈は、さすがに恐怖から俺にしがみついてきた。
だがむしろ俺の方がしがみつきたいくらいだぜ。
こわい……。
俺たちは日本人形のある部屋を出て、また、戸を一つ開けた。
そこには、
「――こ、これはっ!」
階段があった。
外から見た時のこの屋敷は二階建てだった。
とすると、これは屋根裏部屋へと続く階段だろう。
「上るの?」
「そりゃ、ここまで来たら行くしかないだろう」
「オバケとか居たらどうしよう」
「いないって」
「わからないよ。この部屋に入った瞬間に、何かが目覚めてしまうかもしれないよ」
案外こわがりなんだな。しかも、可愛いタイプのこわがりさんだ。オバケがこわいとかって……。
「じゃあ、お前は下で待ってても良いぞ」
「それ、わたし独りぼっちにするってことっしょ! やめてよ!」
「どうしろってんだ」
「わ……わたしも行く」
「じゃ、行くぞ」
俺はホコリまみれの階段を上る。
利奈はぴったり後ろについてきた。
蜘蛛の巣が頭にくっついたりして不快極まりない。
十段ほどの階段を上ると、板があった。
少し押してみたが、動かない。
グッと力を込める。
バタンッ!
戸が開いて、ホコリ舞う。
「ぷぁっ! ちょっと君っ! 開けるなら開けるって言ってよ!」
ホコリまみれの顔を迷彩服の袖で擦っていた。
「すまん……」
「もぅ……」
で、更に階段を少し上がり、おそるおそる顔を出してみる。
真っ暗だった。
「何も見えねぇな……」
「どれどれ?」
利奈は俺と同じ段にまで上ってきた。
体が密着する。
すぐ目の前に、利奈のポニーテールな頭が現れた。
ホコリっぽいにおいと、利奈の髪の匂いが混ざって、少しクラっとした。
「ん? た、達矢……何だろう、あの……怪しげな光を放つもの……」
「どれだ?」
「ほら、あそこにポツンと……」
「うわ、怪しげだ」
見ると、目線の少し上の方に点滅するようにほわんほわんと光っている物体があった。
「ほわんほわんしてるな……」
「達矢。あれ、取って来てよ」
「俺がっ?」
「当然でしょ? 男の子なんだから」
そう言われると、良い所を見せたくなってしまうじゃないか……。
「さ、行って」
「ああ……」
俺は、言われるがままに屋根裏部屋に足を踏み入れ、その発光体のそばに寄り、それを手に取った。
振り返ると、利奈も上がってきていた。
そこそこに天井は高い。
立っていられるくらいに。
「どう? 何ともない?」
「ああ」
「なんか、君の顔がぽわんぽわんってその光浴びてるのが、何かこわい」
もはや何でも怖いんじゃないのか。いやしかし、冷静に考えれば、物体がほわんほわん発光してるという事実は、実際かなり不気味だぞ。
「何かの、本みたいだな」
「ふーん……」
寄ってきて、のぞき込みながら、言った。
顎の下から光に照らされた利奈の顔が、不気味だ。よく暗闇の中で顎に懐中電灯当てて、他人を怖がらせる悪戯があるが、ああいう顔になっている。
「持つか?」
俺は、その光る本を差し出す。
「優しい光だから、危なくはなさそうね……」
そうとは限らないんじゃないか?
見かけによらず恐ろしいものは、世の中に数多くある。
たとえば、かの有名なクリオネの捕食シーンとか。
まぁ、そんなことは置いておいてだ、とりあえず、俺は利奈っちに本を手渡した。
そして利奈は受け取り、軽率にも本を開いた。
次の瞬間だった。
閃光がほとばしり、風が吹いた。密室であるはずの、この部屋に。
「え? わわっ!? な、何っ?」
そして、火の玉のようなものが屋根裏部屋の中を飛び交ったかと思ったら、利奈の背中にぶつかったようだった。
「うきゃんっ!」
利奈は悲鳴を上げて、背中を叩かれた時みたいに、背中を弓なりにした。
ほんの、ほんの僅かな時間の出来事だった。
「…………」
利奈に何かがぶつかった……いや、利奈の中に何かが入ったように見えた。
俺は、倒れかけた利奈の肩をつかみ、支えて唖然とするしかない。
ポニーテールだった髪は、ほどけて、肩甲骨くらいまである長い髪がホコリ舞う世界の中で垂れていた。
「利奈っち。おい利奈っち。大丈夫か?」
しかし返事がなかった。
唐突だが、俺は利奈っちの胸に触った。
いや、やましい気持ちは少ない。全く無いと言ったら嘘になるが、死んでやしないかと心配で、咄嗟に胸に触れてしまったのだ。
鼓動があった。
いや鼓動はともかくとして、長身のくせに胸の小さな利奈っち。思った以上に柔らかさが無かった。迷彩服ごしだからというのを差し引いても、まな板のようだった。残念だ。思い返せば、利奈の家族写真に居た彼女の母も、貧しき乳の持ち主だったように見えたから、この先も育つことは無いかもしれない。残念だ。見た感じ美人系でタイプなのに、胸が足りないなんて。
と、さすがにそろそろ、何処さわってんの達矢、とか言われて怒られそうだったので、胸から手を離してみる。利奈は脱力していて、完全に体を預ける形になった。利奈のあごが、俺の肩に触れる。
耳元で「大丈夫か、利奈」ともう一度囁くように訊く。
何故だか淡い光に満たされた明るい世界で、利奈の横顔は目を閉じたまま、少し目に涙を溜めて、
「あぅ痛たたたたた……背中……」
「背中がどうかしたか?」
腕を回して、抱きしめるようにして背中をさすってみる。ブラ紐の感触があった。
「はぅ、せ、背中を何かで叩かれた時みたいな衝撃が……」
「そうか……って――」
俺は言葉を失った。
利奈の肩の上に、フワフワと浮いている物体を見つけたからだ。
しかもほわほわ光ってる。
代わりに、利奈が手に持ってた本から発せられる輝きは、消えてはいなかったものの弱々しくなっていた。
そして、その浮いている物体は、まるで若い女のような姿をしていて、白い着物を着ていて、足が無かった。しかも、人形みたいに小さい上に、三頭身くらいというバランスの悪いカタチをしている。
俺は、コビトさんの幽霊が浮いているなぁ、なんて冷静に考えたりしていた。
なんだ、幽霊か。
しかし、ある意味ステレオタイプな幽霊だな。足が無いとか。
俺は、利奈の肩を掴んで俺の体から離し、向き合う形になる。そして利奈の背後右上あたりに浮いているその幽霊を見つめていた。
利奈からすれば何も無い虚空を眺めているようにでも見えたらしく、
「え? ちょ……君、何を見つめてるの? まさか……」
「ああ、幽霊が居るぞ」
「や、やだ。オバケッ?」
「まぁ、オバケという感じでもあるなぁ」
でも不思議と、こわさを感じなかった。
あたたかい光を放つだけあって、何だか、あたたかさを感じた。
純真な子供の時にだけ見えるような、やさしいコビトさんが現れて、目の前でニコニコしているって感じだ。
「お、本子が見えるですか?」
幽霊はそう言った。
「本子?」
「です。本子です」
「本子ってのは、お前の名前か?」
俺が訊くと、
「そうです」
答えた。
やはり邪気を全く感じない。
俺が霊感なくてニブいだけかもしれんが。いや、でも、そもそも霊感なかったら見えもしないはずだから、実は俺の中で霊感が眠っていたのかもしれん。
「やだっ、ちょっと。何で会話してるのよ。しかも会話成立してるし」
宮島利奈は、明らかに焦っていた。
「利奈にもこの本子さんの声が聴こえるか?」
「聴こえてるわよっ。こわいっ」
利奈は自分の後頭部を抱えてギュッと目を閉じ俯いた。
「ていうか、何が起こってるんだ?」
「この女の子に取り憑かせてもらいました」
利奈っちは「!」と驚愕の表情。
俺は冷静に「まじっすか……」などと呟く。
「ちょっと君ィ! 何でそんなに冷静なのよ! 助けて、助けてよっ!」
「本子さん、利奈に取り憑いた目的を教えてくれませんかね。そうしないと利奈が納得してくれる気がしないんで」
「いやいやいやいや! 目的とかどうでもいいっしょ! 取り憑かないでよ!」
「本子はですね、動ける体が欲しかったのです」
「ちょっと! それって、わたしの体を乗っ取る宣言? やめてよ! 冗談っ!」
「あーっと、単純な興味なんですが……本子さんは何で幽霊に?」
「本子はですねぇ、たまたま死んだら、たまたま世界がズレて、たまたま幽霊みたいな存在になったみたい」
暢気な幽霊だな、おい。幽霊なんだから、もう少し深刻になれないもんか。
「わたしはどうなっちゃうのォ?」
と、その時である、ぐぎゅるると俺の腹が鳴った。
「……腹減ったな」
「んなっ! こんな時に何を緊張感のないことを!」
いや、この状況で緊張感を持ってるのは、利奈だけだと思う。
こんな邪気の無いほのぼの系の可愛い幽霊、そうそう居ないぞ。幽霊に詳しくないけど、たぶんそうなんじゃないかと思う。
とことん悪意を感じない存在。人間よりも綺麗で、純真で、無垢で。まさに白が似合う感じの。
「利奈も腹減ったろう。俺はとりあえず、食糧を町から調達してくる」
「行かないで! オバケこわい!」
「すでに取り憑かれてんだろうが!」
「やだっ、どこよ!」
「後ろを見ろ。その辺フワフワ浮いてる」
利奈は背後をバッと振り返った。本子さんはニコニコしている。
「わぁ! 本当だ! おはらいして! お願い!」
「俺はシャーマンじゃねぇから無理だ」
「助けて!」
「なぁ利奈っち。悪い霊じゃなさそうだし、俺は腹が減ったから一度町に戻ろうと思うんだが」
「あたしも行く」
言って、駆け寄って来ようとした様子だったが。
「あ、あれっ、動けないんだけど、何で!」
「本子が取り憑いたからです」
幽霊さんがニコニコ笑顔で言ってのけた。
「今思ったけど、本子っていう名前、変な名前だよなぁ」
「ちょっ、君! オバケを挑発しないでよ!」
「オバケじゃないです。本子は良い幽霊です」
「何か、シュールだな。自称『良い幽霊』って」
「よく言われますぅ」
「何なの、何で、のどかに会話してんのよ!」
「さて、それじゃあ待ってろよ、利奈。今メシを持って来てやる」
「やだ、ちょ、待って。行かないでぇ! 逃げないで!」
「安心しろ。ちゃんと戻ってきてやるから」
「にしても、オバケと二人きりにするなんて、非道にも程がぁ……」
そんなタイミングで、「では、出前とりますか」などと幽霊が言った。
「出前って、お前幽霊だろ。あの世から何か呼び出す気か?」
「ちょっ! やめて! こわいことしないで! 出前なんて良いから! ごはん食べなくてもいいから!」
「ダメですよ。ごはんはちゃんと食べないと」
本子さんは、言って、利奈っちの額をツンと突くような動きをした。
「そうだぞ利奈っち。メシは大事だ」
「何なのよ、あんたら! イジメっ?」
「うふふふふ」「あはははは」
本子さんと俺は、笑った。
「もう嫌ぁっ!」
「お二人のお名前教えてもらっていいですか?」
「俺は戸部達矢。こっちは宮島利奈」
「ちょっ――名前とか教えないでよ! 閻魔様に報告されたら閻魔帳に書かれる!」
「何を今さら。担任教師の持つ閻魔帳には無断欠席の文字が躍っているだろうに」
ちょっとした自虐ジョークを言ってみた。
「わたしは生徒会長の許しを得た名誉図書委員だから大丈夫だし、しかもそういうことじゃないっしょ! リアルな閻魔様だよ! 舌抜かれるよ!」
「舌抜かれるって……お前、そんな嘘吐きなのか?」
「嘘を吐いたことのない人間なんて居ない!」
「ていうか、リアルな閻魔様っておかしいだろ。閻魔様って言葉自体がリアルさに欠けるぞ」
「とにかく、助けてよ!」
「いや、俺の空腹が限界だ。ということは、利奈っちの空腹も限界のはずなんだ。幽霊よりもそっちをまず何とかすべきだ」
「鬼イィィ!!」
「鬼ではない。利奈っちのためなんだ。腹が減っては幽霊と戦うことも出来ん! というわけで行ってくる!」
俺は言い残し、階段を降りた。
「覚えてなさいよぉおおおー!」
屋根裏からの声が、二階にまで届いた。
そして、更に階段を降り、廃屋の外に出た。
走った。