幕間_08_町の説明ふたたび
「さあ達矢くん。この屋上から見てもらえればわかると思うけど、町の主要道路は『Ψ』の形になってるの」
そう言いながら、志夏は虚空に『Ψ』の字を書いた。先にUの字を書いて、そこに一本縦線を通した。
見ると、確かに、そういう形に見えなくもない。湖広場から、まっすぐに伸びてくる道路は、三つに分かれている。一つは寮や図書館に至る道。もう一つは商店街と学校に至る道、最後の一つはショッピングセンターや病院に至る道である。
「なんて読むんだ? この見慣れない文字は」
「プサイ。あるいはプシーってよむ」
「へえ、Ψ……。なんか可愛い感じだな」
「あれ、知らないの? ギリシャの文字なんだけど、神様に興味あるとか豪語しておいて、なによその体たらく」
「神様には興味あるが、文字には興味ないどころか、そういう理解できない記号とか数字とか羅列されると、俺の脳みそはパンクしてめまいを起こすレベルなんだ」
「それは、苦手だと思い込んでるだけじゃないの?」
「だとしても、とにかく苦手なんだよ。数学とか、英語とか」
「ふぅん」
「まあ、とにかく、だ。形としては、確かに三叉の矛みたいになってるな」
「うん。並ぶ風車群と商店街があるのがメインの道。学校が、真ん中を突っ切る線の上端で、分かれ道の先にあるのが湖。屋上から湖方面を眺めているこの状況で言えば、左に図書館や寮。右にショッピングセンターや病院があるの」
「まてまて。一気に説明されても記憶できん」
「だから、『Ψ』の字の下のほうが、裂け目のある東の方角で、下側の海から西の山方向に向けて風が吹いてきて、三叉路で町全体に広がっていく感じ。西を上にして書くのはどうかなって思うけど、まあ、この学校が一番西端だし、これが一番わかりやすい字かなって思って」
「そうだよな。普通、北を上にするよな。そうすると、『子』っていう字を、無理矢理丸っこく書いて『ヨ』の真ん中を突き出す形になるのか、地図上は」
「え、上は東じゃないの?」
「ん? いやいや、北だろ」
「なんで北なの?」
「いや、何でって言われてもな……」
「まあいいわ。それが現代の常識ってことは、私も一応知ってるし。さ、町の説明に戻りましょう」
「おう、頼む」
「この学校の建物は、まだ建ってからそんなに経ってるわけじゃないのよ」
「言われてみれば、田舎らしからぬ比較的新しい箱だよな」
「うん。風車を大量に設置したおかげで、助成金みたいのをがっぽりもらったみたい」
そして伊勢崎志夏は嬉しそうに、町の説明を続けた。
屋上で手を広げて、風車たちに視線を送りつつ、
「というわけで学校まで続く坂道には、風車が並んでるのよ」
「見りゃわかるぜ」
「じゃあ、どこの会社の風車か、わかる?」
「国産有名企業とかじゃないのか?」
「ざんねん、はずれ。世界中いろんなところから寄せ集められた中古の風車でした」
「なるほど、中古か。道理でメンテナンス不足な雰囲気を醸し出してると思った」
「時々、鳥が直撃して弾け飛んだり、風車の羽がとれちゃって落ちたりして、危険なこともあるのよ」
「……それ、半端なくこわいんだが」
「でも、簡単に止められないわよね。風力発電でこの町全ての電力をまかなってるから。それだけじゃなくて、町の外に送電もしてるし」
「ほうほう」
「だから風車が止まれば、街は電力を失い、文化的な都市生活ができなくなるのよ」
「元々この街に文化的都市生活なんてあるのか?」
「達矢くんの中では、ここは文化的じゃないのよね。まったく、これだから都会という名の果実を知
ってしまった人間は……」
「そうは言ってもな、まず車が無いし、それどころか自転車さえ走ってるの見たことないし、しかも町の外に出られない。携帯は圏外。それだけで選択肢が限られてしまって、選択肢が著しく限られるってことは文化的でないってことだ」
「できれば、好きになってもらいたいんだけどな」
「こんな町をか? 無理言っちゃいけねえ。さっさと更生して帰る予定だ」
「まぁ、そうね。達矢くんなら、そういう顔を見せることもあるわね」
「?」
「こっちの話よ。気にしないで」
「はぁ」
「次いくわね。次は、麓の商店街」
「おう。商店街か。言っちゃ悪いが、ちょい寂れてたな」
「そうよね。でも、それも仕方ないのよ」
「何で」
「何でだと思う?」
何だ、この教師みたいな疎ましい切り返しは。
「…………」
「実はね、最近、街の南側に大型ショッピングセンターができてしまったのよ。一箇所で何でも揃う上に品質も商店街の品々よりも圧倒的に上」
南側を見ると、険しい山を背景に、街一番の巨大な建物が見えた。
へぇ、大型ショッピングセンターなんて、あるのか。この街のことは事前に調べてきたが、知らなかった。
「そう。それで、お客さんが流れちゃって、商店街全体が大ピンチ。もしかしたら上井草さんが普段より暴れていた遠因かもしれないわね」
「まつりは、あの商店街の娘なのか?」
「そう。電気屋のね。でも、街の外からやって来たショッピングセンターの若い電気屋の方が、圧倒的に腕が良いらしいのよ。それで、色々あって……ね」
「不良化したと」
「いやー、それは元々だったかも」
「そうなのか」
「売り上げが好調なのは、そうね、花屋さんくらいかしら。でも、その花屋さんもショッピングセンターに二号店出しちゃったから、また人が商店街から流れていっちゃうかもね」
「でもなぁ、学生がよく通るんだから、実質営業してる店が少ないってのは寂しいというか、勿体無いというか……」
「でも、じゃあ達矢くん。ボロい建物で商売してる店に入りたい?」
「いや、あんまり……」
「誰だって、綺麗で新しくて、工夫が見られる明るくて品揃えの良いお店に入りたいわよね」
「でも、さびれた文房具屋とか、ボロい古本屋とか、割と好きだぞ」
「じゃあ、古本屋はどこにあるでしょうか」
「えっと……さあ……。あるの?」
「あるのよ。無人古本販売所状態で、ぶっちゃけ万引きされまくりなんだけどね」
「ダメじゃねえか」
「うん、そこの店主さん、商売そっちのけで町の外で宝探しばかりしてる変なおばさんだから」
「ひどい言い様だな」
「それで、次ね」
「おう」
「背の低い建物が並んでるところ、見て。風が強いから、全部低い建物なのよね。じゃあ、何で白い建物ばかりなんだと思う?」
「何でだ」
「なんとなくじゃないかしら」
「適当だな、おい」
「次、いくわね」
「おう、頼む」
「あ、そうだ。あそこが寮よ。わかる?」
「ああ。左が女子寮で、右が男子寮か」
「そう」
「何で女子寮の方が男子寮より大きいんだ?」
「男は我慢しろってことよ」
「何だそれは。差別だ!」
「達矢くんの部屋は、ユニットバスで、和室六畳間だっけ?」
「いや、八畳だ」
「女子の部屋はね、大きな追い焚き機能つきのお風呂があって、脱衣所まであるし、トイレもウォシュレット付きよ。フローリングの部屋で広さは十二畳で広々。ロビーにはテレビも置いてあるわ」
「何で女子ばかり優遇されとるんだ」
「まあ、いろいろあるのよ。女にも。女だからこそ。そんくらいしないと、うるさくて。ま、達矢くんにはわかんないだろうけど」
よくわからんが、大変らしい。
「さ、次いくわよ。次は、湖」
商店街の奥、道が途切れた所には、湖がある。湖にも風車がいくつか並んでいて、水の底に基礎を築いて建てられているらしい。
そして、湖には浮島が二つ。丸と三角の島が横に並んで中央に浮いていた。
「志夏。あの二つの島には、何か意味があるのか?」
「知らないわ」
「そうか」
「私にわかるのは、そこに湖があることと、水質が淡水であることくらい」
「へぇ、淡水か。海近いのにな」
「地盤がね、超硬いから」
「なるほど」
「そう、そして、地盤が硬いからこそ、あの裂け目」
志夏が指差す先にあったのは、まるで鋭利な刃物で切り取られたかのような、縦二本の直線。
隙間からは、海が見えた。
「強風や高波にも浸食されずに、真っ直ぐでしょう。綺麗よね」
「ああ、綺麗だな」
「だいたい主だったところはそれくらいかな。他に、気になる所とか、ある?」
「あっちの、ショッピングセンター方面、学校寄りにある大きな建物は?」
「そっちは町の南西だから、あれは病院ね。五階建てだから、摩天楼なんて呼ばれてるんだけど、どうせ達矢くんは『はん、五階建てごときで大げさだな、都会にはもっと桁違いのビルがあるぜ』みたいなことを言うだろうけどね」
「い、いや別に、そんなことは言わないけどな。でも、そっか。医者の腕はいいのか?」
「ひどいヤブよ」
「まじか」
「この国にあるまじきヤブさで、滅ぼしたくなるわ……なんてのは、ちょっと言いすぎだけど、とにかく、あんま良い腕ではないわね」
「そうか、なるべくお世話にならんようにしたいものだ」
「大丈夫よ。達矢くんなら。けっこう丈夫だし、いざとなったら、何かが守ってくれるんじゃないかな」
「無駄に楽観的だが、一体何なんだ」
「さあね。それで、他に気になるところは?」
「志夏の家はどこにあるんだ?」
「さて、どこでしょう」
「そうだなぁ、あの左の方にある森の中とか? 鬱蒼と茂るジャングルで生活する女子高生とかも、悪くない」
「はずれ」
「じゃあどこだ」
「寮。寮長もやってるからね。本当は、なんか神社とかあれば住みたいんだけど、学校裏庭に建てられた出来損ないの百葉箱みたいな祠なんて、ちょっとね。誰も来ないし」
「?」
「ああ、いや、こっちの話よ。とにかく、私が住んでるのは女子寮の最上階。殺風景だけど風通しのいい部屋よ」
「そうなのか」
「他は?」
「あとは……そうだな。お? あそこに洞窟みたいのあるじゃん」
「どこの?」
「ほら、あそこ、図書館の裏」
「ああ、まあ、この町には、けっこう洞窟あるから珍しくはないわね。私は地下とか苦手だから、中がどうなってるのか知らないけど。ていうか、どうしてあのユニークな形した建物が図書館だってわかったの?」
「事前に、ネットで調べてきたんだ。暇つぶしスポットになりそうだったんでな」
「ああ、あのページね。最近更新されてないけど、見る人なんて居たんだ」
「誰が管理してるんだ。あのホームページ。この町で少し過ごしてみた感じだと、ホームページ作成とかができるレベルで機械扱える人とか、ものすごい少なそうだけど」
「そうね、電気屋の娘である上井草さんですら、バカだから全然いじれないからね。まあ、ショッピングセンターと病院と学校くらいしかインターネットにアクセスできる場所が無いから、調べればすぐわかるんじゃない? 地下を通じて何者かが勝手に回線引っ張ってる可能性もあるけど」
「いや、あの、別にそこまでするほどの興味はないぞ。ちょっと気になっただけだから」
「あらそう。それで、他には?」
「あの図書館には、何か面白いもんとかあるのか?」
「面白いもん……っていうと?」
「映画DVDとか置いてたりとかさ」
「クラシックCDくらいならあったと思うけど」
「それは安眠グッズだろ。もっとこう、楽しめるような。あっ、漫画とかあるか? あれも一応、本って言えば本だろ」
「さあ、図書館のことは、図書委員に一任してあるから」
「図書委員?」
「そう。腕章つけてるから、すぐにわかるわよ。本好きな子でね、最近じゃ教室にも来ないで図書館に通ってるわ」
「不良じゃん」
「お母さんも古本屋をやってるし、母親に似たのかもね。本に囲まれてるのが好きみたい。でも、性格とか頭の中身は大工やってる変わり者の父親譲りだとも思うわ」
「へえ。本が好きなんて、俺とはあんまり気が合わなそうだな」
「どうかしらね。そうでもないと思うけど」
「ふぅむ、その子は、可愛いのか?」
「女子にしては背が高いわね。あと髪が長くて綺麗だし、見た目は美人系かも。ただ……」
「ただ?」
「けっこうなレベルの筋肉好きだから、達矢くんじゃ物足りないって思うかも」
「いや、別に彼女にしようとか、そういう話じゃないんだけども」
「そうよね。達矢くんには心に決めた人が居るんだもんね」
「おいおい誰のことだ。明日香なら違うぞ。あいつは、なんていうか、一緒に居ると落ち着くっていうか、同志……みたいな? 気が合うやつだとは思うし、うーん。とにかく、違うからな」
「じゃあ、私?」
「志夏は、うん、まあ、ショートカットの美人というのは、割と好きだけど」
「けど、何よ」
「変な子だから、ちょっと。俺、普通の子が好きなんで」
「うそついちゃって」
「う、嘘じゃねぇよ。普通の子で、大きな胸で、俺を手玉にとってくれるようなお姉さんタイプが、俺の好みなんだ! そういう子がいたら紹介してくれ!」
「紅野明日香さんが、あと何年かしたら、そういう感じになるわよ」
「何で志夏は、俺と明日香をくっつけようとしてるんだよ」
「達矢くんが、素直にならないから、もうハッキリ言わないとダメだなって思ってね」
「何なんだ、一体」
「さ、もうだいたい町のことは一通り説明したし、戻りましょうか、教室に」
「あ、ああ。そうだな。ありがとな、志夏」
二人、屋上を後にした。