穂高緒里絵の章_最終日-6
しばらくして。
「…………んあ……」
おりえが起きた。
「よう、おはよう」
「ぅゃぁっ。寝てしまったにゃん?」
「ああ、そうだな。すっげぇ寝てた」
「あぅう、恥ずかしい……」
恥ずかしいだと。
そんな感情が、おりえにあったのか。
「まつりがな、『後でモイスト』って言ってたぞ」
「も、もいすと……」
怯えていた。
一体何なんだろうか、モイストって……痛いことって言ってたが。
まぁいいか。
「ところで……これから、どうするんだ?」
「うにゅ?」
「えっと、おかーさんを連れて来るにゃん」
「華江さんをか」
おりえは頷き、
「一緒に、行こう」
「その前に、着替えろ。その格好で行ったらサプライズにならんだろう。せめて、ペンキまみれの服は脱ぐべきだ」
「あ、そか」
で、穂高家で予備の制服に着替えて出てきた。ちなみに、俺も一度寮に戻って着替えた。
「おまたせぇ」
「おう」
俺たちは、坂を下る。
そして商店街を抜けて湖に突き当たって右に曲がる。
お客さんが一人もいない昼間のショッピングセンターの前を通り過ぎる。
町の南西の丘にある病院に着いた。
病院のエントランスには、着物姿の華江さんが居た。
華江さんは、俺とおりえの姿に気付くと、元気そうに走って来た。
おいおいおいおい、走らないでくれよ。心配だから。
頼むから病人らしく安静にしていてくれ。
「達矢さん。緒里絵っ。二人とも。ちょうどよかった。なーんか急に避難するってんで、病院追い出されちゃってねぇ。あたしが最後に残ってた患者だったらしいねぇ」
俺は、そんな華江さんの言葉に、まともに反応せず、ただ言いたいことを言った。
「華江さん。おりえが、見せたいものがあるって言ってます」
「何だい?」
怪訝そう。
「一緒に来て!」
おりえは、華江さんの手を引いて歩き出す。
「何だか、ペンキくさいねぇ」
「そうっすか? 俺は何も感じないですけど」
「病気のせいじゃない?」と、おりえが言った。
「そっ――」言い掛けて「ふ……」小さく笑い「そうかねぇ……」そう言った。
そして、おりえが先頭に立って歩き出す。
「じゃあ、行くよっ、二人ともっ」
ショッピングセンターに続く、緩やかな下り坂。
ショッピングセンターの前を抜け、湖へ。
湖から、坂に出た。
視界の先には、商店街と、その奥に……花畑と、染められた風車。
「お……緒里絵…………?」
「何? おかーさん」
「な、何だい、これ……」
「綺麗でしょ。お花畑」
「……すごいねぇ……皆でやったのかい?」
「うん。そうだけど、お花は、ほとんど、あたしと、たつにゃんでやったよ」
涙が、流れた。
華江さんの、涙。
「たっ……達矢さん……ありがとう……。病気のことバレちまってんのは、納得いかないけどねぇ……でも、これは、うれしいよ」
「はい」
俺は笑顔で返事する。華江さんから教わった、精一杯の笑顔で。
「おかーさん。こんな所から見ても、楽しめないよ。もうちょっと奥に行こうよ。その方が綺麗だよ。商店街の、端まで……」
「そうだねぇ。そうだねぇ……」
涙を、手の平で拭いながら、歩く。
俯いたまま、商店街の、緩やかな坂道を登っていく。
左手に、穂高家が見えた。
それを横目に見ながら通り過ぎると、目の前は……埋め尽くされる。
カラフルな、世界に。
まるで、虹みたいな色合いの、でも、少し違う。
派手で、おりえらしくて、見たこともない世界。
「綺麗、だねぇ……」
花畑の縞模様が、広がっている。
風車も、カラフル。
数日前からは、変わり果てた場所。
色付いた場所。
綺麗。
美しくはない。派手なだけのように見える。
でも、そこには、人間が織りなす綺麗さが、確実に、ある。
「やだねぇ、本当に……やだねぇ……」
震えた声で。
「死にたく……ないねぇ……」
「華江さん……」
俺だって、死んで欲しくなんかない。
この町の医者が、手遅れと言った命でも、別の町で診てもらえば、全く別の結果が出るかもしれない。
こんな小さな町の病院の技術は、きっと遅れているから……。
大きな病院で、診てもらいたい。
その活力が、湧いてくれたら良いなと思う。
もう、十分に生きたなんて、言って欲しくはない。
まだ、足りない。
全然。
これからじゃないか。
俺がおりえと結婚して、いつか、孫でも生まれて。
ずっとずっと、幸せな日々が、これから、あって。
だから……俺は、新たな計画を、提案しようと思う。
「華江さん」
「何だい、達矢さん……」
「大きな、病院に行きましょう。こんな小さな町の病院じゃなく、大きな町の、大きな病院に……」
「そう、だねぇ……」
「セカンドオピニオン計画なんて、どうっすか」
「計画ってほどでも、ないねぇ」
笑って、泣いて、華江さんは言う。
強風が、通り過ぎる。
カラフルな花びらが、舞う。
舞い上がる花びらの中で、三人、立っていた。
赤、オレンジ、黄色、緑、青、ピンク、紫。
虹みたいな世界で。
でも、虹にピンクってあったっけ?
「なぁ、おりえ」
「何だにゃん?」
「何で手前から二番目、ピンク色なんだ」
まさかとは思うが……おりえのことだ。変なことを言い出す気がしてる。
「だって愛でしょ。愛色だにゃん」
やっぱり、それを言うなら、藍色だろうに。
「ホント、バカだねぇ」
華江さんのグーの手は、おりえの頭をコツンと叩いた。
「うむにゅん…………」
風は、呟きを乗せて、舞い上がった。