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穂高緒里絵の章_5-2

 というわけで、やって来たのは、病院。


 華江さんの病室に到着すると、戸は開いていた。


「…………」


 華江さんは、窓の外、南の方をじっと目を細めて見つめながらベッドで背筋を伸ばして座っていた。


 俺は、部屋の中に入る。戸は閉めなかった。


「華江さん」


「ん? ああ、おはよう、達矢さん」


 振り返って、何事もなかったかのように、笑う。


 本当に病気なのか、疑わしくなるくらいに、晴れやかな笑顔だった。


 Dくんに振られた直後のおりえとダブって見えるくらいに。


「何で、笑ってられるんですか……」


「考え込んだり落ち込んだりしてても、どうにもならないからねぇ」


「それは、そうですけど……」


「これ、ウチの、穂高家の家訓だからね、『とりあえず、笑っとけ』っての」


「なんか、そのアバウトさは確実に受け継がれてますね」


 おりえも、辛い時によく笑う。


「どんな時でも、笑うこと。それからちゃんとゴハン食べること。この二つは欠かさないようにって。それさえできりゃ、何とか生きていけるねぇ」


「はぁ、そうっすか……」


「なんか、あんた暗いねぇ」


「いや、明るくしろって方が無理ってもんじゃないですか」


 これから居なくなってしまうことを自覚している人が、こんなにも明るく振舞って。


 それが、虚しくて、悲しいことに見えて。


 俺は、笑えない。どうしても。


「あんたがそんなだったら、緒里絵に病気のことバレるじゃないさ」


「あ、そ、そうか」


 そこまで気が回らなかった。


 それで、また自分の無能さを痛感して、更に暗い気分になった。


「…………」


 黙っていると、


「ところで達矢さん」


 話題を変えてくれた。


「な、何でしょうか」


「これ、まだハンコもらってなかったから」


 言って、俺の前に広げて見せたのは、婚姻届だった。


「…………」


 ハンコは、持ってきている。


 でも、押すだけの心が、俺には無い気がした。


「まだ、決心できないかい? できれば生きてるうちにハンコだけでももらわないとねぇ」


 言葉が出なかった。


「まぁ、そうねぇ。そりゃそうか。まだまだ若い。これからだもんね。人生は思ったよりも長くて、思ったより短いんだ。楽しみたいよねぇ」


 何も、言えなかった。


 どう答えたら良いのかわからなくて、そんな子供な自分が悔しい。


「あ、そうだ。聞いたかい? 避難勧告の話」


「え、あ、はい。不発弾があるとかで……」


「そうかい……ま、あんなもん大嘘だからね。あの辺は昔っから、穂高家が管理してるんだ。変な弾なんて埋まってりゃしないよ」


「華江さんがそう言うんだから、そうなんでしょうね」


「ったく、政府の連中もふざけやがって。不発弾があるって言い張るってのは、爆破予告に等しいじゃないか」


「爆破、予告……?」


「そうさ。この町をぶっ飛ばしてでも手に入れたい何か、いや、政府サイドからすれば壊さねばならない何かがあるんだ。いざとなったとき、爆破という処置ができるようにそういう発表をしてんのさ」


「何が……あるって言うんですか?」


「さぁねぇ。町の地下に『何かヤバイもん』があるって話は聞いたことはあるんだけど、その正体までは少しわからないねぇ」


「あっ、そんなことよりも、爆破なんてされるんなら、避難しないといけないじゃないですか。早く」


「それは、あたしらが決めることじゃない。避難勧告に応じるかどうかは、村長が決める」


「村長?」


「あぁ、ごめん、もう村長じゃなくて町長だね。村じゃなくて町だから」


「でも、誰なんですか、その町長っていうのは」


 何となく、志夏の顔が思い浮かんだのだが、返って来たのは意外な名前だった。


「上井草んトコの娘かな。実質、今の町を仕切ってんのは」


 っていうと。


「まつりが……?」


「そ、上井草家の次女」


 しかも次女だったのか。


「あの子も、危なっかしい子でね、昔のあたしみたいで、どうなるのか心配だよ。あ、そうだ。達矢さん。あの子とも結婚したらどうだい? 二人のお嫁さんなんて、どうだい?」


「それ、重婚じゃないっすか。犯罪ですよ。どこの世界に娘の婿に重婚を勧める親がいるんですか」


「親失格って意味ね」


「いえ、そうは言ってないですけど……」


 華江さんは、上半身部分だけ斜めになっているベッドに、その背もたれを利用することなく、くの字に寝る形でパタリと横たわり、


「あーあ。あたしも、爆死でもしようかしらね」


 深呼吸ついでみたいな声でそんなことを言った。


「何てこと言うんです」


 笑えない冗談すぎる。


「まぁ、あたしはもう十分、楽しんだからさ……この世界から居なくなることを、覚悟はしてるよ」


「…………そんな――」


 と、その時、コンコン、とノックの音がした。


「はい、どうぞー!」


 すると、閉じられていた引き戸が静かに開いて、


「穂高さーん。検査でーす」


 クリップボードを胸に抱いたナースさんがやって来て、華江さんを呼んだ。


「だってさ。行ってくるわ」


「はぁ」


 華江さんは起き上がり、スリッパを履いて、立つ。


 少しふらついた。


「よかったら、お店に行ってさ、緒里絵の様子、見てやっててくれないかね。不安で」


「はい……行けたら」


 華江さんは立ち上がり、ナースさんと共に出て行く。


「看護婦さん、今度は何の検査するんだい?」


「それは着いてからのお楽しみです」


「何だい、不安になるじゃないか」


「それよりも穂高さん。ちゃんと食事摂って下さい。今朝も全然食べてくれなかったじゃないですか」


「あっはは、味が悪いから嫌だね。あたしの舌は高級なのしか受け付けないんだ」


「もぅ……」


 少しずつ遠ざかる会話が……悲しかった。


 無機質な病室に一人、残される。目の前には、おりえと俺の名前が並べて書いてある婚姻届。


「俺が、華江さんのためにできることは、やっぱり……これしかない、か」


 俺は、ポケットから印鑑を取り出し、婚姻届にハンコを押した。


 覚悟した。色んなことを。




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