穂高緒里絵の章_5-1
早朝。目覚めた。寝覚めは悪い。
華江さんがもう長くないと聞かされて、知り合いが、そんなことになるなんて信じられなくて、モヤモヤする。
今日も休日。授業は無い。
雨は弱まりながらも昨日から降り続いていたようで、少し肌寒さを感じる目覚めだった。
その時、ぐるぐると腹が鳴って、空腹を告げた。
「あー。そういや昨日メシ食わずに寝たから腹減ったぜ」
何故か独り言を繰り出しつつ、空いた小腹を満たすために階下へと向かった。
手の中で小銭をジャラジャラ鳴らしながら。
食堂の前には、カップ麺等のジャンクフードが常備された棚がある。
寮生なら、お金を置けば食べて良いという、無人野菜販売所のようなシステムになっている。
朝食まで待っても良いのだが、今の俺は飢えに飢えている。色んな意味で。それに、たまにはカップ麺のお世話にならないといけないような気がするのだ。
でまぁ、カップ麺を手に入れたのだが、その過程で、俺は変な話を聞いてしまった。
男子寮長のおっちゃんと、志夏の立ち話を聞いてしまったのだ。何でも、町の南側、ショッピングセンターのある辺りの地下に不発弾が埋まってるなんて話だ。にわかには信じがたいことであり、志夏やおっちゃんも、不発弾なんて埋まってるわけないという意見だった。
それでも避難勧告なんてもんが出ているらしく、それに応じるかどうかはこれから決める風な雰囲気だったな。
にしても、さっきの志夏の話は、突然だったな。まさか、不発弾で『かざぐるまシティ』全域に避難勧告が出てるなんてな。
町の南というと華江さんの店が入ってるショッピングセンターの辺りか。
ちょっと、行ってみるか。
本当に不発弾があるのか俺が確かめてみたいという、謎の野次馬根性が湧き出たりしていた。
で、朝食、後、部屋でしばらく過ごした。
昼になり、降っていた小雨も上がり、空が晴れた。
さて、南側に行ってみるか。
俺は立ち上がった。
寮から町の南側に行くには、湖畔の歩道を使うのが最も近い。
近いのだが、最短移動距離の短さが移動時間の決定的な短縮にならないことを身をもって知ることになった。
「さて、湖か……」
視界にあるのは、風を受けて時計回りに回転する風車の背中と、縦に伸びる大きな裂け目。その向こうの海と空。
まぁ、キレイといえばキレイだが、自然の風景っぽくはない。
作られた風景って感じだ。
自然が作った不自然な風景ってのも、存在することはあるだろうから何とも言えんが。
そして、妙な閉塞感が好きになれないな。
で、湖畔に目を落とすと……。
見覚えのある人の姿があった。
またしても釣りをしている。釣竿片手に振り返ったその男は言った。
「よう、アブラハムじゃねえか」
そして、釣竿を地面に置いた。
「戸部達矢ですよ」
いつまでそのネタを引っ張る気だ。
トベタツヤで、ベタベタツヤツヤだから転じてアブラで、ちょっと変えてアブラハムということらしい。
「湖に来るなんて、珍しいな、アブラハム」
「昨日も会ったじゃないですか。あとアブラハムじゃないです」
「じゃあ、オイルハム」
「どんなハムだ」
「ハムが気に入らんか。じゃあオイル公」
「俺の名前の原型なくなってんじゃないっすか」
「うーん……そうだな。面倒だから達矢でいいか。そう呼ぶことにしよう。それでいいか? 達矢」
「そこに行き着くまでに随分かかりましたね……」
「まぁ、細かいことはどうでも良いんだ」
「はぁ」
「ところで、聞いてるか? 避難勧告の話」
「はい、南に不発弾って話で、町全域に……」
「ほう、耳ざとい奴だ。で、どう思う?」
「どう思うって言うと?」
「避難勧告だよ。明らかにおかしいだろうが」
志夏も同様のことを言っていたな。
「おかしいって何がですか」
「そうだな。本当に不発弾があるのなら、人命救助・リスク回避の観点から、住民を問答無用で即刻立ち退かせるべきだ。それに、本当に不発弾があるならば、何故一週間後までの立ち退きなんだ? どう考えても即刻立ち退かせるべきだろう。費用をいくら掛けてでも。もしモタモタしている間に爆発しちまったら、政府はどう責任を取るんだ」
言われてみれば、そうかもしれない。
「まるで、そうだな……何かに逃げる期間を与えるための宣告……みたいな……そんな感じだ」
なんだそれ。俺が頭の悪いせいかもしれんが、言いたいことがよくわからない。だが、政府の発表の何かがおかしいということは理解できた。
国、政府……現在、かつての民主主義政権が崩れてしまっていて、この国は、誰だかイマイチわからない臨時政府が治めている。
「どうして、そんなおかしな避難勧告が出たんですかね」
「さぁな。詳しい事はただの店長であるおれにはわからん」
ああ、そういえばこの人、あのショッピングセンターの店長だとか言ってたな。
ん、ショッピングセンターということは、つまり華江さんやおりえと面識があるってことじゃないのか。
ちょっと、おりえのことを訊いてみるか。
「ところで、質問していいっすか」
「うん? どうした。言ってみろ」
「穂高緒里絵って子のこと、知ってます?」
「穂高……? あぁ、花屋の子だな。知ってるが……何だ。お前ああいう子が好みなのか。ロリコンだな」
その辺は、ほっといてくれ。
「その……どうっすか、おりえは」
「どうって……何がだ」
「仕事ぶりとかは……」
「そうだな…………花屋スキルはゼロ通り越してマイナスだ。使えねぇ」
やっぱそうか。
「ほとんどおれが花束作ったりしてたぞ」
って、そんなこともするのだろうか、店長というのは。
「あとバラとカーネーションの見分けできないって、ちょっとアレすぎるだろ。ずっと勉強ばっかしてた俺の方が花屋の仕事をしてたくらいだぞ」
「そうっすか」
「でも花屋らしい子だからな。可愛くて愛嬌あるし、また来たくなるわな。お客は」
何だか、おりえが褒められると、俺が嬉しかった。
「それに、若いしな。人生これからだろ」
「そうっすよね……」
人生これから。
その人生が、俺と結婚する事によって狭くなってしまう気がして、心配なんだ。
「おれだって人生これからだからな。まだまだ人生を諦めたわけじゃない。こんな寂れた町の店の店長などでは終わらんぞ」
店長。店長か……。
「って店長なのに、またこんな所で油売ってて良いんですか?」
「ふっ、アブラハムに油を売る……か」
「クソ意味わかんないっすけど」
思わず汚い言葉が出るほどに。
「ま、おれはアイドルじゃないんでね。おれ一人が抜け出しても売り上げに影響は出ないさ」
若山は言うと、慣れない手つきでポケットから煙草とライターを取り出し、口にくわえて火を点けた。
大きく煙草の煙を吸って、
「がはっ、ごほっ、げほっ! けほ……」
咳き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「煙草も、けっこう強敵だぜ……」
「そうっすか」
「よし。じゃあ、おれはそろそろ店に戻るとするか」
言って、「よっこらしょ」と声を漏らした後、釣り道具を手に取った。
「あ、それと達矢。言い忘れたが……」
「何すか」
「くれぐれも、昨日教えたトンネルには近付こうなんて思うなよ。下手すれば……死ぬからな」
「はぁ。今のところそんな予定はないっすけど」
華江さんとおりえのことを考えたら、今、この町を出て行くことなんて考えられない。
「なら良い」
頷きながら言った。
「ところでうちの店でバイトしない?」
「そんな暇は無いですよ」
やるとしても、おりえの花屋を手伝うことくらいだ。
華江さんのことも心配だしな。
「まぁ、やる気になったらで良いからな。じゃあな」
昨日と同じようなことを言って、軽く手を振ると、南の方角へと歩き去った。
空を見上げると、昨日と違って晴天で、俺は大きく天に向かって伸びをした。
「さて、どうするかな……」