紅野明日香の章_3-1
早寝早起きで目を覚ます。
この街に来たのは登校する前の晩、つまり三日前。
三日。たったの三日だ。そのはずなのに、俺は、何故か学校の番長コンビの一角を担ったりしているらしい。
妙に気の合う女子がいたり、色んなことを説明したがる級長がいたり、かつては威張り散らしていた女子とかと出会って、そこそこに楽しい日々になりそうな予感はあるが、何だか言いようのない不安が襲ったりもする。
忘れてはいけない。
この場所が『かざぐるまシティ』と呼ばれる街であることを。
出会いがあれば、当然別れもあるわけで、更生のためにこの街に来ている人々は、更生を完了すれば、街を出て行くことになるんだ。
俺は、迷っていた。出会って、仲良くなるのが怖かった。もしも、仲良くなって、それで別れが訪れるのなら、もしも、好きになって、別たれるなら、と。それを怖がっていたら、何も始まらないし、始まらなければ終わらない事も理解している。しかしながら、理屈ではない気もしてる。
とにかく、
「なるようになるだろう」
俺は、自分を信じて、その時に最善と思える選択をするだけだ。
人生ってのは、そういうもんだろう。なんて、俺みたいなプチ不良が言っても説得力なんてものは無いだろうが。
で、だ。
昨日と同じようにシャワーを浴びて、朝食。
しかし、昨日と少し違うことがあった。朝食のメニューのバランスが取れているのは昨日と一緒である。そして、俺の近くにミステリーサークルができてるのも昨日と同じ。では何が違うのかと言えば……
「戸部サン! これどうぞっす!」
昨日の放課後、寮の玄関で話しかけてきた男子――たしか『D』と名乗っていた――が、今度は俺に何かを差し出してきた。黄色くて、曲がったやつだった。
「何だ、これは」
「バナナっす!」
「何で俺にバナナを?」
「尊敬してるからっす!」
やはり問題を持つ者が集められる風車の街。こういう変な奴もいるのだろうか。
「あのな……」
「何っすか?」
「こういうものはだな、紅野明日香にでも与えてやれ。あいつなら喜ぶが、俺はバナナをもらっても喜ばないぞ。俺はバナナ一個で十分だ」
「マジっすか。じゃあ紅野サンにあげるっす」
「ああ、そうしてくれ」
そして、俺は朝食に箸をつけた。
「…………(じーっ)」
なんか、すげぇ視線を感じるんだが。しかも男の。そりゃまぁ、ここは男子寮だから、男子以外の視線なんてほぼ無いのだが。
「…………(じーっ)」
「あのな、そんなに見つめられると、落ち着かないんだが」
「あ、すみませんっす!」
「つーか、何で、俺にそう、つきまとうんだ?」
「自分、昔、少年犯罪組織のリーダーやってたんす」
何だと。
割とすさまじい極悪経歴じゃねえか。
さすが風車の街。色んな奴が居る。
「そ、そうなのか」
「ええ、恥ずかしい話ですが。それで、この街に飛ばされて来た時には、『この街をシメてやろう』って野心を抱いてたっす」
「ほうほう、それで?」
「でも、それはできなかったんす」
「そりゃまた何で」
「上井草まつりがいたからっす」
「なるほど」
「この学校、いや、この街では、上井草まつりが法律だったんすよ。彼女に意見できる人間なんて一人もいなくて、いたとしても、すぐに鎮圧されました」
「風紀委員の名の下に、か」
「ええ。オレもボコボコにされました。そして、圧政の中でオレたちはグループを組んで反抗しようとしました。でも、それもすぐにボロボロにされちまいました」
「そうか」
「オレは、それでグループを抜けて更生することを決めたんす。上井草まつりに完膚なきまでに叩き潰されて、ようやく自分の弱さに気付いたんす」
なるほど。上井草まつりの存在もプラス方向の影響を与えることが、時にはあるわけか。
「そんな上井草まつりに、転校してすぐに勝利して、風紀委員の座を奪うなんて、オレみたいな常人にはできないことっす」
「こらこら、まるで人を異常者みたいに言うな」
「すみません。でも――」
「だいたい、俺は何もしていない。ほとんど紅野明日香の功績だ」
「そんなことないっす。あの上井草まつりを連続三振なんて、とんでもないっすよ」
いや、カーブ投げられれば誰でも三振取れるぞ。
「それで、そんなオレも、今日の午後には、故郷に帰って出直しっす。朝、学校に挨拶しに行った後、風が弱まる時、飛行機で帰るっす」
「え?」
「帰る前に、少しだけ心残りがあったんすけど、それは戸部サンが先に果たしてくれました」
「心残り?」
「ええ、上井草まつりに、ちょっと痛い目見せてやりたかったんすけど」
「たぶん、返り討ちに遭ってたと思うがな」
何となくだが。
「オレも、そう思うっす」
そして、俺はバナナ以外の朝食を食べ終えた。
「ごちそうさま」
言って、盆を持って立ち上がる。
「オレみたいな男の話きいてもらえて嬉しかったっす。あっざーした!」
「ああ、もう『かざぐるま行き』にならんように、しっかり生きろよ」
「はいっ!」
俺の右手には部屋で食う予定のバナナ。そして左手にはお盆。
「達者でなー」
男に背を向けて右手に持ったバナナを振って、そう言った。